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巡る誰かの思想

 花が舞う、とある集合墓地。

 つい十年ほど前の平和な時代であれば考えられない程に簡素なその集合墓地は、とあるコミュニティが管理する、遺体さえ埋葬されていない形だけのものだ。

 それでも、一日の内にその墓地を訪れる者は少なくない、多い時はコミュニティに所属するほとんどの人がお参りに来る程に多くの人が足繁く通う。

 彼らにとっては替えの効かない大切な拠り所。


 そんな中に、小さな一つの墓石があった。

 両手で抱えられる程度の大きさの石から削り出された小さな墓石。

 傍目から見ても素人が作ったと分かるそれは、何時頃から立てられているものかは分からないが、手入れが行き届き、今なお苔一つ生やすことなく色取り取りの花々に囲まれてそこに鎮座する。


 ただ石が集積されているだけである、子供が作ったようなその墓の前に、一人の女性が立っていた。

 彼女は何の感情も窺えない能面の様な顔のままで、墓の手前に膝を着いて優しく花を添える。



「……梅利、今日は貴方に似た雰囲気を持っている人に会ったよ。……驚いちゃった、そんな筈無いって分かっているのに思わず貴方の名前を呼んじゃうくらい」



 耳元で囁くような声でそう言って、女性はそっと墓石に手を伸ばす。

 ただ冷たいだけの感触が帰ってくると分かっているのに、いつものように優しく撫でる。



「背丈も同じくらいでね、自衛隊の人から取った迷彩服を着ている女の子。……あは、女の子を梅利と間違えたなんて聞いたら貴方は怒るよね、背が小さいのを気にしていたもんね」



 そう言って思い出すのは小さな頃から一緒に居た少年の姿だ。

 

 からかうと直ぐに怒ってふて腐れる彼は、牛乳を毎日飲んで、いつかお前を抜かしてやると息巻いていた。

 運動をすれば天性の才能があった女性に一蹴され、目尻に涙を溜めて睨んできた。

 勉強だけは勝ってやるとせっせと努力して、かなり上位の成績を取って誇らしげにその答案を見せてきた。

 

 良く笑う少年だった。

 善良で、公園でひとりぼっちで居る少女を見過ごせなくて、罵詈雑言を吐いて警戒する相手の隣に居続ける馬鹿な少年だった。

 昔言った女性の言葉をいつまでも覚えていて、約束をなんとしても守ろうとするものだから、それはそれで困ってしまうこともあった。


―――だから、昔の約束を守って身を挺した彼は、異形の化け物の凶刃に倒れたのだ。



「いやだな、どうしても貴方の事を忘れられない……。なんであの時私を庇ったの? なんで私を一人にしたの? なんで……」



 最近はようやく収まっていたと思っていた発作のような嘆きの言葉は、堰を切ったように止まらない。



「酷いよ、こんな……残されて、こんな気持ちを抱えるくらいなら、私は最後まで梅利と一緒に居たかったのに……。……私は……ううん、違うよね、貴方は悪くないもんね。悪いのは全部あいつらだもんね」



 涙はもう涸れ果てて、女性に残ったのはほの暗い激情だけだから、他人がどんなに言葉を紡いでも彼女は過去の呪縛から解かれることはない。


 けれどそれでも良いと女性は思っていた。

 こんな生を長く続けるつもりなど、女性は毛頭に無かったからだ。


 機械のように無機質な目が、ゾッとするほどの冷たさを伴う。



「……異形は始末する、全部……全部だ」



 先ほどまでの優しげな様子は既に無い。

 憎悪に満ちたその目はもう、目の前の墓石を見ていない。



「貴方を死に至らしめたあの屑は始末した、けれどそんな物じゃもう収まりが付かない。あれらの存在が許せない、この空が続く何処かにあれらが居ると思うと気が狂いそうになる」



 地に着けていた膝に力を入れて立ち上がる。

 すらりと高いその女性が立てば、墓石は完全に彼女の陰に隠れてしまう。


 その何も入っていない墓石に対して最後に黙祷すると、直ぐに踵を返した。

 女性の――――南部彩乃の怒りは十年の時を経ても、微塵も衰えはしていない。



「私が血の海に伏せるその時まで、私はあいつらを殺し続ける…絶対に」



 ドロドロとした凶悪な感情を乗せたその言葉は宙に溶ける。







 海の中を漂うような感覚の中から急激に意識が引き上げられる。

 閉ざした瞼越しからも分かる明かりに、ゆっくりと目を開いていく。


 視界に入ってきたのは見慣れた教会の天井。

 柔らかな毛布が体を包んでいる感触に、ぼんやりとした頭のまま上半身を起こした。

 自分以外に動く物の存在が感じられないその部屋を見回しながら、口を開けてあくびする。

 こうして目が覚めて周囲を見渡しても、まだ夢の中に居るような心地だ。



(……あ、あれ、俺は……んん?)



 混乱しながらも、いつもの習慣で顔を洗いに水場へと向かう。

 バシャバシャと置き水を使って顔の汚れを取れば、ようやく記憶に残る最後を思い出した。



「……俺、ま、負けて……って、ならなんで何事もなくここに戻って来れてるんだ……?」



 感染菌のガスで体をやられ、激しい拒否反応に襲われた…のだと思う、多分。

 ともかく、無力化された俺の最後の抵抗も空しく、意識を失う前に見た光景は大量の獣と球根の化け物が今にも俺に襲い掛かろうとする姿だった筈だ。


 死んでいなければ可笑しい。

 食われてなければ可笑しい。

 奴らと同じように成っていなければ可笑しいのだ。

 あ、もうお仲間ではある訳だが。

 ……と、ともかく、無事では済まないような状況であった筈の俺が、なんでこの拠点で平穏に睡眠を貪っていたのかが分からない。



「知子ちゃんも居ないし、どうなってるんだ?」



 部屋の中を死者の様にふらふら徘徊して、変わったところがないかを探し回る。

 いくつかの食料が減り、またその分見掛けない食料が新たに増えている。

 また、見当たらない銃器や迷彩服の予備を除けば、他は変わったところがない。

 

 誰かがこの部屋を荒らしたのかと思ったが、どうやらそういう訳でも無いようだ。

 どういう経緯でこうなっているのかと、顎に手を添えて考え込んでいれば、壁に設置している姿見に見慣れない物が写っているのに気が付いた。

 

 黒髪の少女、これはいつも通り。

 ふんわりとゆとりを持った大きめの服装、これは昔一人で寝るときに着替えていた寝間着だ。

 側頭部から生える双角、……なんだこれ?



「あれ、あれあれ!? なんだこれっ、角が増えてる!!?」



 右から生えるのは見慣れた黒巻き角だ。

 だが、左から生える先端を握り潰したように砕けた角は全く見覚えがない。


 と言うか、この握り潰したような痕はヤバイ。

 何故って、今まで何とか壊そうとして傷一つ付かなかった右の角の強度を考えれば、これを握り潰した奴はマジでヤバイ。

 あれだけ攻撃して体に傷一つ付けられなかったあの球根の化け物なんて、比じゃない奴がこの近くに居ると言うことだ。



「……ひ、引っ越そう! 知子ちゃんは何処だっ……?」



 一人でわたわたと慌てて、手当たり次第持って行く物を集め始める。

 そうしてバタバタと忙しなく動いていたから、誰かがこの部屋に入ってきた事に気が付くことが出来なかった。



「……梅利さん?」

「あっ! 知子ちゃん、大変だ! 早くここから移動しないと、とんでもない奴がこの場所にっ……!?」



 掛けられた声に振り返れば、そこには俺の予備の迷彩服を身に纏い、愛用している自動小銃を肩から提げた知子ちゃんが、食料が詰まった袋を持ってこちらを見ている。

 取り敢えず彼女の無事を喜びつつ、事情を説明としようとして気が付いた。


 あれ、今俺って頭を隠していたっけ?



「……タンマー!!! ちょっと、ちょっと待って知子ちゃん!!! うおわあぁぁぁ!!?」

「ば、梅利さん、なにされてるんですか!!?」



 頭から布団に向かって突っ込み、ゴロゴロと床を転がる。

 予想外の俺の行動に悲鳴染みた叫びを上げて、顔ごと頭を布団で包んだ俺が知子ちゃんに誤魔化すような笑顔を向ければ、彼女は渋面を作った。


 ……正直、誤魔化せている気がしない。

 絶対にバレてると確信出来る。



「あの……あのだね。知子ちゃん、これはあの、君を騙そうとしたわけじゃなくて」

「……何言ってるんですか、ほら、ご飯を取ってきましたよ。食べましょうか」

「あ、はい」



 床の上に広げられていく食料の前に、彼女の指示に従って腰を下ろせば手に割り箸を握らされる。

 テキパキと整えられる食事の準備を呆然と眺めていれば、窘めるような目でこちらに視線を向けてきた。



「その顔を覆ってる布団を早く取って食べる準備をして下さい」

「い、いやあ、なんだか寒くってね、あはは……」

「今日、三十度は超えていると思いますよ。良いから……その角はもう何度も見ましたから」

「は、はは……ごめん……」



 自分の顔が引き攣っている事を自覚しながら、頭を覆っている布団をゆっくりと取る。

 視界の端に映る自分の黒い角に嫌気が差しながら、顔を俯けた。


 じっと正面から視線を感じる。

 こんな姿の自分を、本当は見て欲しくなかった。



「……わ、わーい! 凄いね知子ちゃん! こんなに食料を持ってくるなんて、もしかして地下街に潜ってたの!?」

「……」

「あの中の異形は大体倒していたと思うんだけど…でも死者は一杯残ってたと思うのに、凄いなあ!! あ、今度一緒にあそこに潜ろっか、通路とか隠れ場所とか色々知ってるんだよ!」

「……」

「あ、その銃使いやすかった? 俺好みに調整しちゃってたからもしかしたら合わないかなあって思うんだけど……いや、うん。ごめんなさい」



 じっと何を考えているか分からない仏頂面でこちらを見る知子ちゃんに、話を逸らそうとしていた惨めな努力を止める。

 

 この角を見て、俺がなんなのか彼女は理解している筈だ。

 人間ではない、……異形であると彼女は理解している筈だ。

 町を徘徊し、人を襲い、この国を崩壊させた奴らの仲間だと、分かっている筈だ。


 ならもう……ここで彼女との関係は終わりにするべきなのだろう。

 少なくとも彼女は、こんな個室で人でない化け物と一緒に生活などしたくは無いだろうから。



「真面目な話をしよう、俺は人間の時の記憶を持った異形だ」



 だから隠し事はせずに、話してしまおうと決める。



「やっぱり……そうなんですね」

「うん……俺も驚いたよ。気が付いたら辺り一面が崩落した建物で、押し潰されている筈なのに痛みを感じないこの体に、少女の風貌をした自分自身に……どうすれば良いか分からなかった」

「それは……はい……」



 死んだ筈の自分。

 幼馴染を庇って受けた傷から感染した俺は、ぶくぶくと泡立つ皮膚に浮き出る血管を見てもう助かることはないのだと分かっていた。

 だから、最後に幼馴染が父親に連れられて去って行くのを笑顔で見送ることが出来たし、未練も無く彼女の幸せを願うことが出来たのだ。


 だから逆に、続いてしまった自分の生にどう向き合うべきなのか。


 そんな事を考えている筈がなかったのだ。



「異形となった自分の体、性別も異なれば見た目も違う。周囲の状況は自分が知っている町の様子ではないし、向かってみた自分の家はもう何もなくなっていた。何も分からなかった、これからどうするべきかも、何も」

「……男の人だったんですね、でも……じゃあ、私が感染した状態で梅利さんに会ったときは」

「……俺の、活発に侵食する状態じゃなかった感染菌で、重なるように感染させた……ごめん、知子ちゃんは完全に治ったわけじゃないんだ」

「いえ、それは良いんです。……あの食べながら話しましょう」



 やけにあっさりとした彼女の反応に思わず顔を上げる。

 飲み物まで用意し始めた知子ちゃんに気圧されて、久しぶりに食べ物を口に含む。


 俺が食べ物を食べ始めたのを見届けてから、知子ちゃんは話し始める。



「梅利さんがこの場所に帰ってきてから1週間程経ちました。……その間、梅利さんはずっと眠っていたんです」

「へ? い、1週間?」

「私、言われた通り朝になってから扉を開いて……梅利さんの死んだように眠る姿を見付けて、後悔しました。なんで私は貴方の足ばかり引っ張っているんだろうって、私はそんな事のために貴方の傍に居たいわけじゃないのにって、思ったんです」

「そんなことっ、俺は知子ちゃんが居てくれるだけでっ!」

「ゆっくりと食べて下さい。ずっと寝てたから、液状にしたものを食べさせるようにしていましたけど、きっとさほど栄養取れてませんから」



 俺が知子ちゃんの言葉を否定しようとすると、彼女は被せるように食事を勧めるように促してくる。

 真意が読めずに動揺する俺だったが、黙ってしまった彼女の言葉の続きを聞くために食事を再開させる。



「私は誰かの足を引っ張るためでも、ただ保護して貰うためだけでもない。他ならない、こんな世界でも善良であり続ける貴方の傍に、居たいって思ったから、役に立ちたいって思ったからここに居るんです」

「……うん」



 ようやく彼女の真意が少しだけ見えてくる。

 だから俺は黙って食事を続け、彼女の言葉に相槌を打った。



「梅利さんは凄いです。大人が計画を立てて、複数人で倒すような異形を片手間で倒しちゃいますし、身体能力も機転も、行動力だって秀でています」

「うん……」

「私を信用できないのは分かってるつもりです。だって梅利さんに比べて武器の扱いも、身体能力も機転も、体の頑丈さも足りません。私から目を離したら、きっと梅利さんが予想もしなかった様な弱い異形にも負けて、帰らないかもしれないなんて不安に思うのは当然です」



 ポツリと視界の端に滴が落ちた。

 顔を上げれば、真剣な表情のままこちらを見詰める知子ちゃんの目から大粒の涙が溢れている。



「梅利さんが倒れて、看病して、勝手に武器や装備を借りて外に行きました。色んな異形が居て、襲い掛かってきて命からがら逃げたのは一度や二度ではありません。一つの食料を確保するだけでも決死の覚悟が必要でした。梅利さんがほんの僅かな時間で取ってくるようなものを、一日掛けて集めてきました。私は弱いって何度も何度も思い知らされました」

「……」

「私は弱いです。梅利さんの様に能力がある訳でもなければ、お兄さんの様に誰かの支えに成れる訳でもない。勉強ばかりして機転が利くとは言えないし、死の恐怖に対面して直ぐに対応できるほど精神が強いとも言えません。それでも――――」



 震える手を握って、歯を食いしばって、彼女は思うがままに吐き捨てる。

 そうかこれが…、そうしてようやく彼女が抱えていた想いを形として理解する。



「―――私も一緒に戦わせて下さい」



 彼女は違う。

 守らなくてはいけない、そんな弱い人間じゃない。

 立派に自分の意思で立とうとする、尊敬するべき一人の女性だ。



「もう誰かに置いて行かれたくないんです。背中を見送るだけなんて嫌なんです。無事を祈るだけなんて嫌なんです。だから……」

「……この食料、知子ちゃんが一人で集めたんだよね」



 彼女の言葉を遮って、そう口にする。

 意表を突かれたのだろう、ボロボロと涙を溢しながら目を丸くする知子ちゃんに視線を向けずに言葉を続ける。



「うん、本当に凄い。この体だから俺は無理できるけど、きっと臆病な俺は人間の時の体じゃ怖くて外にも出られないんじゃないかな」

「っ……!」



 彼女が持ち帰った多くの食料を見ながら、そう言葉にする。

 俺が意識を失っていた一週間、恐らく彼女は何度も何度も外へ出たのではないだろうか。

 恐怖に打ち勝ち、絶望に耐えて、俺との差に心を折られながらも、それでも彼女はこの一週間を必死に努力し続けたのだろう。


 だからこそ、この結果がある。

 だからこそ、彼女は俺に意思をぶつけることが出来る。

 それらの積み重ねを蔑ろにしてまで、俺は自分本位な考えが出来る訳じゃない。


 だから必要なのは、確認だけだ。



「……俺は人間じゃないんだよ?」

「変わりません、私は貴方の善良性に惹かれました」

「……勝手に君を人間からこちら側に引き摺り込んだんだよ?」

「問題ありません、今私が生きているのは、全部貴方のおかげです」

「……これからきっと、怖い想いも、痛い想いもするかもしれないよ?」

「怖くても、痛くても、喪失の寒さに比べれば」



 目が合う。

 意志の強い、あの頃と変わらない彼女の濡れた瞳が俺を写す。

 なんだか、彼女の瞳に映る俺の方が情けない顔をしている気がする。



「知子ちゃん……俺の、背中を守ってくれる?」

「いいえ、私は貴方の隣に立ちます」



 意表を突かれて目を見開けば、彼女は嬉しそうに微笑んだ。





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