狂乱からの救出戦
情報にあった動物園の確認はその後、数体の死者や異形を片付けるだけで何事もなく終了した。
途中までの調査で考えていたとおり、どうやらイケメンが言っていた事に間違いは無いらしく、どの動物の死骸も発見することは出来なかった。
情報収集としてはそう悪くない結果なのだろうが、だからと言ってそこから次に繋げられるかというとそうではない、結局、異常が起きている事の確認しか出来なかったのだから次に予想される危険に対し備えることしか出来ないのだ。
問題は他にもある。
異形の分類である俺は、基本的に食事はそれほど必要としない。
二日や三日程度であれば何も口にしなくとも飢えや渇きを感じることはなく、極めて良好な体調を維持できる。
だが同居人の知子ちゃんは別だ。
人間、それも成人に成り立て程度の彼女にはそれなりの栄養は必要であろうと思うし、無理してやつれるような事はあって欲しくない。
コミュニティが所有していると噂に聞く、菜園のようなものを俺も所有していれば好きなものを育てることも出来るであろうが、俺にそういう知識はまるでないのだ。
自給自足でも出来なければ、いずれ食料など無くなってしまうと思うから余裕が出来れば作っておきたいとは思うのだが……まあ、それはまた今度。
ともかく食料の確保の必要性が浮上したのだ。
自分もついて行く、役に立ちたいと言って引かない知子ちゃんを無理矢理教会の地下室に押し込んで、この近辺で確実に食料が残っていると確信できる地下街に帰って直ぐに繰り出した。
「ええと……缶詰20個に乾物が十数袋。これで足りるかな……昔どれくらい食べてればお腹一杯になったんだっけ?」
荷物一杯に入った戦利品を数えて見るが、これでどの程度持つのだろうと直ぐに疑問が湧き出した。
自分が人で無くなってから丸々一年、碌に食事を必要としないこの体では、この量の食料でも半年は優に持つのだから人の体は不便だったのだなと思う。
まあ、だからと言ってこんな体になりたかったのかと聞かれれば、首を縦に振ることはないのだが…。
地下街を歩けば空間を埋め尽くす死者の群れが自分に見向きもしないで徘徊している。
自分を襲うことはないからと処理を適当に済ませていたために、地下街に住まう異形の数は減っても死者の数はまるで最初と変わりない。
「……知子ちゃん。さっき死者と遭遇した時、襲われなかったな……」
ぼんやりと歩きながらそんなことを呟く。
死者は基本的に同種を襲わない。
彼女が死にかけ感染した状態で現れた時、俺は彼女に力任せの応急処置を行った。
彼女の感染した肩、そこに異物として入っていたものを食いちぎり、同時に体中を侵食していた感染を抑えるために自分の血を使って感染を重ね掛けた。
急速に再生していった肩の傷口に自分の考えの成功を喜ぶと同時に、どうしようもない罪悪感に襲われたのだ。
この子はまず間違いなくこちら側の仲間入りしているのだろう、そう思って。
「そうしないと助けられなかったんだから仕方ないのに……」
ぐりぐりとヘルメットを深く被りながら大きな鞄を持って出口へ向かう。
目的は既に達成したのだ、早く帰って知子ちゃんにご飯でも食べて貰おうなんて思いながら暗くなった外界へ身を晒して――――幾重にも重なった鳥の鳴き声に身の毛がよだった。
「う、うるさっ……!? なんだこれっ……!?」
鳥達の大合唱。
いや、鳥だけではない、多くの獣の鳴き声や唸り声が幾つも重なり荒廃した町に響き渡っている。
興奮を、熱狂を、狂喜を。
感じさせるそれらの音は、直ぐにでも耳を塞いで蹲りたくなる程に不快であり鳴り止む気配が全くない。
音の発生源を探そうと腹立たしげに周囲を見渡せば、上空で鳥が異常なまでに密集し飛び交わしているのを発見する。
あの下で何が起こっているのかと考えるまでもなく、その場所に俺は心当たりがあった。
「あそこって……知子ちゃんが居たコミュニティの拠点だよな……?」
少しだけ逡巡して、様子を見るために足を動かした。
△
血に飢えた獣達が異常な凶暴さを見せて、ホームセンターの補強された外壁を乗り越えにかかっていた。
それだけではない、巨大化した象の形をしたものは直接外壁を壊しにかかり、キリンに似たものは首の中程まで裂けた口を建物の窓に突っ込んで直接咀嚼して。
ライオンや虎、フラミンゴ等の鳥の群れ、それからアライグマのような中型の動物の死骸は目に凶悪な赤い光を灯して、餌袋でも漁るように百人ほどが滞在する筈のホームセンターを食い荒らしている。
それは一種の地獄のような光景。
悲鳴を上げながら逃げ惑う、その場所に住まうコミュニティの人達が次々に命を落としていく様を狂った動物達が各々の重厚な獣の鳴き声を上げ愉しんでいる様は、嫌悪の情を禁じ得ない。
「なんだよこれっ……!!」
どうするべきか、どうしたら彼らを少しでも多く救えるのかなんて事が瞬時に頭を過ぎり、たたらを踏む。
助けなければなんて思うけれど、その助けた後どうするのかなんて葛藤が自分の体をその場に縫い付け歯噛みする。
(そもそもあいつらは知子ちゃんを見捨てるような奴らだろうっ……! 助けるような価値があるのか……!?)
常識外の光景であるが、何もこの場所が異空間と化した訳でもない。
自分ひとりのやれる量は何一つ変わっていないのだと自分に言い聞かせて、手元の銃を握る。
(……ゆとりを持って道徳を備える、そうだろう……やれることはやらないと後味が悪い。助ける価値が無くとも、助ける理由なんてそれだけで充分か……)
この危機から救い出した後の事は自分にはどうしようも無い。
生前の知人である知子ちゃんとの同居だけでも自分の隠し事を隠すので精一杯なのだ、これ以上同居者を増やすことは難しい。
だが、そんなことは分かっている。
そんなものは自分がこの場でやれる、彼らを救い出す作業をしない理由にはならない。
(何よりも……きっとこのまま見捨てたら、知子ちゃんは泣いちゃうんじゃないかな……)
くしゃくしゃの顔で、きっと自分に見えないように、あの子は涙を流すのだろうとなんとなく思った。
「ああ糞っ……! 帰ったら知子ちゃんに褒めて貰いますかっ……!!!」
心は決まった、迷いもない。
ならば後は実行するだけだ、そう決心した。
全力で踏み込む。
踏み込んだ大地は砕け陥没し、周囲に蜘蛛の巣状の亀裂が走り――――俺の体は圧倒的な推進力によって空を舞った。
数十メートルはあった距離を一回の跳躍で飛び越えた先には補強された窓ガラス。
空中で身を丸め、砲弾のように突っ込む場所にあるものを確認する。
左に虎、右にアライグマ三匹。
窓を割りながら転がり込んだ俺は踏み出した力を使って壁へ垂直に立つと、反応できなかったアライグマを直ぐに弾幕で片付け、咄嗟に距離を取ろうとした虎に壁を足場にして追撃した。
「よしっ、生存者は何処だ!?」
首を吹き飛ばした虎の姿を確認し、そのまま走り出す。
今の音でこちらに少しでも注意が引ければ良いが…なんて願うが、そんな都合の良いことそうそう無いだろう。
早く見付けなくては、そう思って全感覚を総動員させる。
「人の匂いは――――こっちか!」
わざわざ扉や階段など使っていられないと、目的地へ壁や床を突き破っていく。
ぎょっとした様にこちらに気が付いた動物達を処理し、最速で人の匂いが集まっている場所に飛び込めば、そこには血に塗れた巨大な熊が鋭い爪を振りかざしてる瞬間だった。
「――――っっ!!!」
四の五の言っている時間は無いと、振りかざされている相手も見ないで全力で体当たりを敢行した。
意識外から強烈な体当たりを食らったのが悪かったのか、俺に為す術もなく吹き飛ばされた熊の化け物は、口から血を吐き散らしながら暴れ覆い被さった俺をなんとか振り落とそうとしてくる。
熊は銃弾が通りにくいと聞いたことがあるが、この至近距離ならばそんな心配は無いだろう。
ガチリと首元に銃口を当てて、組み伏せた熊の顔を見下ろせばそいつは恐怖に怯えるように抵抗を止めて体を震わせ始める。
結局何の抵抗もしないまま、そいつは体を穴だらけにして動かなくなった。
後ろを振り向けば、いつか見たあの三人を含む集団がそこに居る。
「な、なにがっ……自衛隊の人……!?」
「黙って付いてこい、脱出するぞ!」
「まっ、待ってくれっ! まだそこに猿がっ……!!」
有無を言わさず連れ出そうとするも、気の強そうな男……確か兵藤と呼ばれていた奴が部屋の隅を指差してそう言うので、直ぐに銃口をそちらに向ける。
確かにそこには猿が居るのだが……命乞いをするように五体投地してこちらに頭を下げたまま動かない。
こいつも、逃がした二体の内の一体の様だった。
容赦なく打ち抜いてやろうかとも思ったが、直ぐ外から獣の怒り狂う咆哮が聞こえてそれも止める。
襲ってくる気配がないなら、わざわざ弾薬を消費し音を出すこともないだろうと思ったからだ。
「攻撃してくることがないなら放置する、さっさとここから避難するぞ、付いてこい!」
「す、すまねえ……。おらっ皆行くぞっ……!」
商品棚を縫うように襲い来る中型の獣たちを、得意の聴覚で場所を特定し一匹残らず一掃しながら生存者の集団を先導していく。
戦闘の邪魔にならないように少し距離を取っている彼らに対して問い掛ける。
「外にバスがあったな、その鍵は持っているか?」
「あ、ああ、持ってる。あのバスは動くが……公道なんて車が散乱していてバスなんて通れたものじゃねえだろう……?」
「いや、ルートさえ間違えなければ何とでもなる。一番近いコミュニティに逃げ込むぞ、運転できる奴はいるだろうな?」
「俺が出来る、ここから一番近い場所となると市役所を拠点としている“東城”だが」
「なら、その方向で行くぞ」
それだけ短く会話して、生き残って付いてきている者達を一瞥し、子供や年寄りが居ることを確認して歩く速度を緩める。
「小さな子供や動けない年寄りに背中や肩を貸してやれ、見捨てようなど考えるな、その場所までの露払いは俺がなんとかする」
不安など微塵も感じさせない俺の声に、今にも死にそうな蒼白な顔色をした者達が顔を上げる。
愕然とした顔を向けてくる若者達と視線を交わして、正面から飛び掛かってきた獣達に向き直りヘルメットを深く被った。
「生き残るぞ。足を動かせ」
そう言って目前まで迫った獣を薙ぎ払い突き進む。
ホームセンターの入り口を飛び出して、直ぐに目が入るのは様々な種類の動物が入り交じった群れの中でも巨大な存在感を醸し出す象とキリンだ。
あれをどうにかしないと、バスに乗り込んでも横転させられるのは目に見えている。
空から強襲してくる鳥の群れに弾幕をばら撒いて打ち落とし、駐車してあるバスの傍まで行って早く乗り込めと動作で生存者達に合図すれば、彼らも直ぐにそれを理解して乗り込んでいく。
俺達の姿を確認したのだろう、象とキリンがその巨体で他の動物達を吹き飛ばしながらこちらに突っ込んでくる。
あのデカさで突っ込まれたら全滅だろう、最後に乗り込もうとしていた兵藤に声を掛ける。
「あれをなんとかしてくる。バスの扉を閉めてエンジンを掛けておけ」
「お、オイっ……!!? 嘘だろっ、あんな奴らまともに相手になんてっ……!!」
高所から飛び降りたときのために持っていた鉤付きロープを手に持って、駆け出す。
通り過ぎ際に噛み付いてきたキリンの首に鉤を引っかけながらその首に乗り、振り落とされないように数回巻き付ける。
俺のことを無視してバスに向かおうとする象にキリンの首を駆け上がり飛び移って、そのロープを象の首元に同じように数回巻き付けてから、暴れ狂う象を大人しくさせる為に腕を背中に突き刺した。
痛みを感じているのかは分からないが象の速度は目に見えて遅れ、こちらに敵意を向けてくるキリンがもう一度噛み付いてきたタイミングでその頭を掴み、ロープでキリンと象と頭を巻き限界ギリギリまで密着させる。
あとは懐から、虎の子のグレネードを二つ程惜しげも無く彼らにプレゼントするだけだ。
「これで……終わりだっ……!!」
象の背から飛び降りつつ、二匹の顔の付近に浮いているグレネードに銃弾を撃ち込んだ。
火炎を含んだ爆発が至近距離で巻き起こる。
砕け散った二匹の頭が血を撒き散らし、俺の迷彩服を赤黒く汚していく。
激しい爆風に身を晒されて、吹き飛んだ体が数回地面に叩き付けられるが、そんなものでこの体はかすり傷一つ負わないのだ。
直ぐに起き上がって、バスに襲い掛かっていた鳥の群れへ銃を乱射して蹴散らすと、そのままエンジンの掛かったバスに発進するように手で合図すれば、即座に動き出した。
「さあっ、ミッションコンプリートってね!!」
通り過ぎようとするバスの窓に飛びついて、凄まじい早さで小さくなっていく動物の群れを見届ける。
なんとか出来る限りの人数を生き残らす事が出来ただろう。
とりあえず窮地を脱したのだと言う安心感から溜息を吐いた。
だが、まだ安心は出来ない。
このバスが通れるルートを教えなければと気持ちを切り替えて、しがみついた窓枠からバスに飛び込めば、生存者達の視線が俺に釘付けとなる。
「す、すげぇ……、あんた救世主だ……!!」
「なんでっ……!!? 私生きてるのっ……!!?」
「なんなんだあんたっ!!? 自衛隊の生き残りなのかっ……!? すげえよ、どうなってんだマジでっ!!」
「た、たはは……」
喜び湧き上がる生存者達に照れ笑いを浮かべてヘルメットを目深に被るも、一斉に周囲に集まり寄ってくる生存者達に次々に握手を求められ、肩や頭を叩かれる。
泣いて縋り付いてくる者も居るが、そんな人達全てにまだ時間を使っている余裕なんて無いので、そんな人達は軽く叩いて安心させながら運転席に近付いた。
「災難だったな、とりあえずは第一段階クリアか。……あ、そこは右に行って」
「おお……! お前……、いや、ありがとう……。お前のおかげで俺らは助かった……」
「たまたま目に付いただけだ。感謝はいらん。……そこは左でお願い」
「そ、そうか。な、なあ一つ聞いて良いか、お前女か?」
「…………そうだ。そこは左」
「あ、すまない。気を悪くさせるつもりはなかったんだ。怒らないでくれ」
今はそんな下らないことを話している時ではない。
と、そんな事を言いたい気持ちを抑えて、行き先を指示していく。
「……しかし、何者なんだ? 武器が良いってのもあるんだろうが…お前ほどあいつらを倒し慣れてる感じの奴なんて見たことねえよ。もしかして、お前が噂に聞く“南部”のハンターとやらなのか?」
「いや知らん。そんな奴がいるのか?」
「ああ。だが、さっきのお前ほどすげぇ奴なんて居ねえよっ! ハンターよりもお前が確実に上だろうなっ!!」
「ははは……、……まあとうぜんだけどねー……」
「ん? 何か言ったか?」
「んんっ、何もないな」
チラリと車内を見渡す。
歓喜するような啜り泣きと、音を出さないように小さく笑い合うバスの車内は先ほどまで殺され掛けていた人達が乗っているとは思えないほど、柔らかな空気をしていて。
これからどうしようなんて言う、考えなしの行動をした俺の悩みも一時的に吹き飛んで一緒になって笑ってしまう程、彼らはお互いの生存を喜び合っていた。
考えなしで、今でも馬鹿な行動をしたと思うけれど。
無駄ではなかったと、ようやくそこで確信できたのだった。