脚本は その字面だけでは完成に至らない
衣替えには幾分か早いだろうと毎度のごとくぼやきながら、半そでの制服にそでを通したのはひと月ほど前だっただろうか。今ではすっかり半そでに似合う気候となっている。
半そでを切るには少しばかり寒いような時期に衣替えなるものを強制的、強引に行うのはなぜだろうか。
おそらく、世の制服を着用したことのある学生は一度は疑問に思うはずだ。
俺個人、制服という制度に異論は唱えないが、指定の服であれば、好きに着させてくれよと感じる。自分の健康管理くらい自分でやれと言い、体調が悪くなるのは自身の管理不足だという、“自己責任”を振りかざすのなら、衣服の選択も当然、その責任と責務の含まれてしかるべきだと思うのだが。
さあ、今年のボヤキは去年とどう変わったでしょうか。
そう自問自答しながら、靴をごそごそと脱ぎ、靴箱に放るようにしまった。
階段の方向へ進もうとすると、追浜が俺の靴箱の裏手から現れた。
俺が懸命に“朝の挨拶”をしようと未だスリープ状態の声帯を使おうとしていると、彼女は少しのぽかんとした顔をしていた。
そうして、彼女は自然に、かつ朝としてはふさわしいと言わんばかりの笑顔で俺に言った。
「おはよう、西君。」
俺はせっかく急速に温めた声帯を使うに至らず、先の彼女の表情以上にポケンとして、そこにツッタテイタ。
「ん、どうしたの西ク...」
俺はそう続ける彼女の言葉を、まるで蜘蛛の巣を払うかのようにして言葉を重ねた。
「なんだその呼び方は。」
「だから、西 村 だから、西君...」
「そんなことは解説しなくてもわかる。ああ、わかっている。」
俺は、そうして息を整える間を置いてから、さらに彼女に言った。
「だから、なんでそんな呼び方をするんだ。」
「んんと、なんとなく...かな。助けてもらったし、お礼みたいなもんだよ。」
彼女はそう言って、二・三歩後ろに下がりながら、くるりと方向を変えて、階段のほうへ小走りで向かった。
そのしぐさ、動作はいかにも“かわいらしい”という言葉が似合いそうなものであった。
おかげで、始業のチャイムの音に“ニシクン”という音の波形が混じっていると感じる次第だ。そっちゃそこらの頭痛薬の副作用より強烈だとも思うほどだ。
まあ、副作用を体験したことがないからその真偽には疑問しか残らないが、“副作用”という単語は、その状況にまさしくあっていた、そう感じる。
やっとのことで最後のニシクン入りチャイムを聞き終わり、両腕で教材をまとめながら、鞄に詰めた。その様はいかにも不自然であったことは俺自身でもわかっていた。
鞄を片手で保持しながら、ひとつずつ鞄に入れていくのが自然であろうところを、俺は両手であらかたの教材をまとめ、まとめて鞄に詰めようとした。
急がない限り、このような動作は少なくとも自然ではない。
そのおかげか、珍しく、いや ふいに、唐突に、雪宮が俺に言った。
「いつもと違うわね。何か、あったの」
「誉め言葉ではないことはわかっている。そのうえで言うが、違うのは俺のデフォルトだ。」
俺はそう言って、部室へ向かった。
教室のドアを出て、曲がろうとした時、彼女が俺の残像をトレースするようにして、歩いているのが見えた。
今や部室となった、いや 自称部室とでも言うべき部屋の戸を引き、出して そのままにしてある椅子にそれぞれ座った。それはまるで、活動初日の状況を再現するかのようであった。
この空間の状況がいつも通りとなりえるのか、俺の日常となりえるのか、その期待交じりの感情、思考が脳内にちらついた。
そういう意味ではこの状況は“再現”ではないのかもしれない。
あの時、俺にはそれだけの能力、容量を持ち合わせていなかった。
そのようなことを考えている自身を俺は鼻で笑った。
しかし その笑いは幼い子供の大人からすれば考えなしの、子供からすれば最良の行動を微笑む、親のそれと通づるものがある気がした。
しかし、俺が再現と感じていたのはあながち間違えではなかったのかもしれない。
「あの...あ、いたいた。」
おぉ、まじか...俺は思わずそう思ってしまった。
そこにいたのは追浜だったのだ。
俺は“まじ”などという言葉を早々使わない。
もちろん、西村出版 西村国語辞典 には
【まじ】「まじめ」の略 本気であるさま。本当であるさま。〈類:がち〉
例:「まじな話」「まじ、うざい」
というそっちゃそこらの辞書よりは しっかりと記載されているが、それを使うか使わないかは別である。
だが、その“再現”という表現は想像以上に“まじ”であったのである。
「そういえば、弟、学校行くようになったよ。」
追浜はそう言いながら、後ろの方に積まれた椅子を持ち上げた。
彼女は俺らが聞く前にその話題について自ら発言した。
しかし、その発言は初めて彼女が弟について触れたときの、どこか“シナリオ臭い”言葉とは決定的に違っていた。
「そうか...」
俺はただそういった。
雪宮は追浜の一言によって久々の休息を楽しむように唇をわずかに動かして、一息を吐いた。
「それでね、報酬のことなんだけど...」
「ちょっと、待て。報酬ってナンダ...」
俺はそう少し食いつくようにして言った。
「だって、私、雇ったんだよ。ということは、クライアントは報酬を与える義務があるってことだよ。」
そういってから、彼女は仕切りなおすかのように足をそろえて座りなおした。
「私、座談部に入部したいです。」
そう、俺と雪宮を それぞれじっと見つめた。
ここで俺らは、彼女の論理展開や提案にあれだこれだと突っ込むこともできたであろう。
しかし、俺は少なくともそのようなことをする気にはなれなかった。
俺と雪宮は互いに示し合わせたかのように目線を合わせ、答えを出した。
「ええ、ありがたく受け入れるわ。」
「ああ。」
たった、それだけのやり取りで、俺はどこか満たされた感情を得ていた。
本当に台本が存在するならば、台本の最終ページには追浜の入部が描かれているだろう。
やはり 彼女の“雇う”や“報酬”“義務”という言葉は台本臭かった。
しかし、彼女が入部するといったその時の表情は、脚本家の予想の範疇を超えていたのではないか、そう感じる。




