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やさしい猛毒  作者: 鹿井緋色
真夏になくのは
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ハンバーガートリオ

 某県の県庁所在地某区に小尾家はある。あるといっても賃貸のボロアパートなのだが。

 築四八年。2LDK。畳部屋。ペット可。家賃四五〇〇〇円。


 玄関からリビングダイニングキッチンに入り、そこから畳部屋の男部屋。その奥に女部屋がある。リビングダイニングキッチンには男部屋をよらずとも行ける間取りなのだが、父さんの捨てられないものが蔓延って実質それは不可能になっている。


 美空が産まれた時から……いや、正確には母さんが死んでからこの場所が俺たちの家だった。

 お金の問題もあるのだが、まるで父さんは今もそこに母さんがいるかのように拘って引っ越そうとしない。本当に母さんを今でも愛しているのかもしれない。

 だとしたら、どうして浮気なんて……。



「おはようっ」



 鼻孔をくすぐる甘い声と香りに揺り起こされた。

 目を開けるとそこにはエプロン姿の夏陽が満面の笑みで立っていた。包丁を持って。


「……ぅぅぅううううおおおおおおお!? 命だけは勘弁してくだしゃい!」


 刹那、俺の脳は完全に覚醒した。


「なーにハトが核弾頭くらったような顔して驚いてるの?」

「……豆鉄砲で勘弁してくれ」


「分かった分かった。朝ご飯もうすぐできるから、顔洗ってきて」

「ああ……母さん。……ぶっ!」


 おや、まだ半覚醒だったらしい。エプロン姿の夏陽に記憶にないはずの母さんの姿が重なった。そうだ。昨日から夏陽は小尾家の一員として暮らすことになったのだった。


「母さん? 私まだ十五歳なんだけど……複雑……」



「母さん!」と突然父さんが叫んで起き上がりまた寝た。なにしてんねんこの人。



「いや、その……悪かった。って朝ご飯? 料理は俺の仕事なんだけど」

「そうなの? まあ、作っちゃったから食べて食べて」



 キッチンからは砂糖が焦げる甘くていい匂いがする。昨日の時点で冷蔵庫にあったのはタマゴと牛乳と野菜が数種類だから……。



顔を洗って食卓に着くとなにか違和感を覚えた。そういえば誰かに食事を作ってもらうことなど久しく経験していない。最後に食卓で食事を待ったのは一昨年の俺の誕生日だったか。誕生日プレゼントに美空と父さんで料理を作ってくれて大失敗したんだった。


「な、なんでにやけてるの……?」


「え? にやけてたか? いや、料理を待つの懐かしいっていうか……家族の中ではずっと料理係だったから。こういうとき、どういうふうに料理を待てばいいんだったか……」


「家族か……」と夏陽は呟き微笑んだ。「家族っていうのは、おなかグーグー鳴らせて待っててくれればいいんじゃないかな?」とかわいらしく付け足して。


 まったく、これのどこが猛毒なんだか俺には分からない。



 夏陽の最終定理。「っでん!」と食卓に並べられた正方形の黒い物体の正体を暴け。



「なにこれ……?」


「ごめんなさい。失敗しちゃった。いちおうフレンチトーストです」


 言われればなんとなくフレンチトーストだと分かる。匂いも香ばしくてほんのり甘い。しかしどこから見ても真っ黒で、フォークを差し入れるとサクッと音が鳴った。炭……?


「これ、食えるのか……?」


「どうかな。捨てる? 三食分作っちゃったけど」


「いや、捨てるのはもったいないからダメだ。そうだな……いちばん焦げてないのを美空に、いちばん消し炭に近いのを父さんに食わせよう」


「ねえ、さりげなく私をディスってない?」


 戦略的無視。


「とにかくこの真っ黒焦げが残るわけだがこれをどうするかだ」


 すると足下からニャーという鳴き声が聞こえてきた。


「あ、にゃんこ」


「オカビアンカだ。こいつに食わせてみるか。オカビアンカぁー食うかー?」


 オカビアンカは夏陽に慣れていないのか警戒して俺の足元から離れようとしない。ついでに料理については完全に沈黙している。


「食べないみたいだね。じゃあ私が毒見を……」


「おい、無理するなよ。本当にシャレにならないことになるかもしれない」


「大丈夫。私が作ったものだから私に対しては免疫があるはず」


 自分で自分の料理を毒に認定しちゃったよ……。


 夏陽はおそるおそるフォークで真っ黒なフレンチトーストを一口大に切る。その度にサクサクと不穏な音が鳴り、まるで医療ドラマのワンシーンのように俺と夏陽の間には緊張が走っていた。

 そして夏陽はゆっくりフォークを持ち上げて黒い塊を口の中に入れた。そして次の瞬間、


「ゲホッゲホッおえぇえ……!」


 およそ女子が出してはいけない声で夏陽は咳き込み吐き出した。俺はついうっかり夏陽が吐き出したモノを両手でキャッチした。


 うおおおおあぁぁああああああ! ねっとりしてるぅぅぅ!


しかし俺は平静を装ってそのゴミをティッシュにくるんで流し台の三角コーナーに捨てる。


「おいおいおいおい……大丈夫かよ……」


「ごめんなさい。……ゲホッゲホッ……」


 どんな劇物が入っていんだと思ったが口には出さず、むしろ口にすることを選んだ。


 女子高生にこんな反応をさせる料理の味に単純に好奇心がわいたのだ。


「あ、やめたほうがいいよ。秀美郎くん。それ……」


 夏陽の制止を振り切って俺はザクザクと謎の黒い物体を切り分けて視線の高さまで持っていった。

どんな味がするのだろう。

なんとなくそんな好奇心が俺の心を支配していた。


ぱくり。


「ぐっ……」


 思わず全身の毛が逆立つ。


 苦い。甘い。苦い。甘い。苦い。甘い。苦い。甘い……ただただそれだけが口の中で自己主張する料理。攻撃的で保守的で、前衛芸術のような味だった。


 この料理に名前を付けるなら……


「限りなく砂糖に近い炭!」


「逆だよう! 炭に近い砂糖だよう!」


 どっちでもええわ。


「はあ……。とりあえず、これやるから」


 俺はポケットから財布を取り出して千円札を二枚夏陽に手渡す。


「な、なに……? この二千円……不気味」


「美空とお前の分の朝食を買ってこい。俺と父さんでこれは処理しておくから」


「え、やだ。一緒にいこ」


「なんでだよ。俺がこれ食ってる間に……」


「この辺の地理よく分かんないもん。だいたいそんなの食べさせられないし……」


 このっ……俺が厚意で言ってやってるのに……。

 俺は目にも留まらぬスピードでフォークを操り限りなく砂糖に近い炭を口の中にかっ込んだ。


「ああ! 私の失敗作が!」


 脳天突き刺すような激烈な味にしばらく身悶えするが、正気に戻るとワサビを初めて食べた時のような涙目でこう言った。


「美空を起こしてきてくれ。三人でコンビニ行くから」


*


「お兄ちゃん大佐、なっちゃん長官。おはようございますで候」


 夏陽に起こされて美空は首の据わっていない赤ちゃんのように眠たそうに傾げながらリビングにやってきた。そういえば夏陽は昨日、父さんから官房長官の階位を賜ったんだった。賜ってどうする。


「美空、いまからコンビニ行くから顔洗ってこい」


「やや? ケチなあんちくしょうのお兄ちゃんがなぜにコンビニへ?」


 もうちょっとうまい言い方があるだろうよ。


「このアホアホお姉ちゃんが」


「アホじゃないもん! ちょっと焦がしただけだもん!」


「夏陽が食材をことごとく灰がちになりてわろしだから買いに行くんだ」


「古文の使い方間違ってるよぉ……」


「なんとなく事態は理解したであります……」


 そのまま寝入りそうな勢いで欠伸をしながら美空はしとしと洗面所に歩いていった。


「あいつ半分寝てるぞ……」


「……かわいい妹さんね」


「まあな。あれで頭がいいんだから人は見かけによらない……」


「むう……」


 なぜか夏陽がむっと怒り肩になっている。なにを怒っとるんだコイツは。


「なにか不備でも? 夏陽おねえちゃん」


「むう……ずるい……」


 今度は急に赤面し始めた。面白いやつだな……。もうちょっといじってみようか。


「夏陽は朝食なにが食べたい?」


「朝食? 朝食はねー……」


 あれ? 反応が普通だ。さっきはなにに反応したんだ? 普通に考え始めちゃったよ。


「ハンバーガーとか」

「バーガー!?」


「うおっ……」


 びっくりした。後ろから筋肉隆々の幽霊が化けて出たかのような不意打ちで美空が叫んだ。


「バーガーバーガー! ハンバーガー元老院! アタシ朝バーガーしたい!」


「おちつけ美空。ハンバーグはこの前食べただろ」


 すると美空は「困ったちゃんだな」と言わんばかりに俺のことを鼻で笑いながらやれやれとかぶりを振った。


「違うのです。お兄ちゃん大佐。ハンバーグとハンバーガーにはロンドンとパリほどの隔たりがあるのです」


「おちつけ美空。どっちも素敵な街だぞ。あれか? 距離的な隔たりか?」


「じゃあ、西ドイツと東ドイツなのです」


「その壁はベルリン限定だし、もう壊れてるけど!?」


 バンズで挟むかそのままかの違いしか俺には分からない。


「いえーす! れっつごー、ニクドバーガー!」


「待て、美空! 行くのコンビニだから! バーガー屋さんじゃないから!」


「はい! 行きたい!」


 今度は夏陽が高々と手を挙げた。


「私も朝ニックしたい!」


「ぐっ……」


 小尾秀美郎。逃げ切ることなく数の原理に負ける。




「お兄ちゃん、シェイク! シェイク頼んでいい!?」


「あ、私はストロベリーで」


「分かった。席とっといてくれ」


 この二人は人の金だと遠慮がないな……いや、まあ、大手チェーンのシェイクなんて安いものですけどね。


「モーニングバーガーセット三つ。飲み物はストロベリーシェイク二つとアイスコーヒーで」


 田舎の中の都会であるこの街には都会と同じように大手ハンバーガーチェーンであるニクドバーガーが朝ニックなるキャンペーン(?)をやっている。しかし残念なことに客の数はまばらである。それでもバイト先の古書店よりか人はいるけれども。



 席につき与太話で場を賑わす。幸い、姉と兄と妹が同学年に集結しているので話題には事欠かない。ただし俺の人間関係は壊滅状態の模様。ネタになる先生の名前もあまり憶えていない。それどころか会話中にヅラ疑惑が上がった先生の顔も思い出せない。


「お兄ちゃん、ちょっとお手洗い行ってきまふ」

「おー。行ってこい」


 俺と夏陽の対面に座っていた美空がハンバーガーを口いっぱいに詰めてトイレのために席を立つ。相変わらず変なタイミングで食事の場を抜けるやつだ。


「はあ……」


「どうしたの? 気骨が折れたような顔して。今日これからバイトでしょ?」


「朝飯に千円越え……ありえない。俺の財布が泣いてる」


「でも楽しいからいいじゃん。私朝からお店のハンバーガー食べたの初めて」


「マジでか? っていっても俺も美空もそんなにしょっちゅう来るわけじゃないけど」


「それはみっちゃん見てれば分かるよ。あんなに楽しそうにしてればスペシャルなんだなって」


「貧乏だからな。なるたけ食事代は押さえたい。そのかわりちゃんとした日にはちゃんとした飯を食わせてやるんだ」


 俺がそう言うと夏陽はふふんと笑ってトントンと軽く俺の肩に触れた。


「なんか言ってることが保護者っぽいね。それもお母さん」


「いいだろ母さんぶったって。母さんいないんだから」


「あ、ごめん……」


 夏陽の声のトーンが落ちる。


「いや、そういうつもりで言ったんじゃない。受け流してくれ」


「うん……」



 しばらく無言。気まずい。俺にできた新しい存在に少し戸惑う。



「ところで夏陽。どこか行きたいところあるか?」


「どこかって? なに、いきなり」


「いや、海とか山とか映画館とかだよ。せっかく家族が増えたんだ。つまんねー家族だと思われたくないからな」


「でも、お金……」


「いいんだよ。家族サービスするためにもバイトしてんだから。家族さえいれば他にはなにもいらない。どこ行きたい? ブレーンストーミングだ。とりあえず言いたいだけ言っとけ」


「えー……じゃあ……」


「海」


 ぬっと飛び出る小尾美空。


「うおっ、びっくりしたー。海? ああ、悪い美空。今は夏陽の意見を聞いてるんだ」


「お兄ちゃんの古本屋で鍛えたバキバキボディを見たいです」


「いや、古本屋で筋肉はバキバキにはならない。お粗末なもんだぞ」


「あ、でも海行ってみたいかも。潮風にあたって気持ちよーくなりたい」


「いいんだぞ。無理して合わせなくても。本当に海でいいのか?」


 こくこくと美空と夏陽は頷いた。


「じゃー今週末は海だな」


「やった!」


 美空が小さくガッツポーズをとる。父さんのシフトはどんな感じだろうか。空いていれば車を回してもらおう。空いてなければ電車とバスで三人だけで行こう。

 絶対楽しい夏にしてやろう。


「あ、水族館も行きたい! あと花火大会! そういえば映画も見たいかも。あーそういえば観たいのいっぱいあった! この夏はフルコンプしようね、秀美郎くん!」

「お、おう……」


 なぜか、生きる希望でも湧いたかのように夏陽から要望がこんこんと出てくる。

 新しくできた姉という存在に少し戸惑いつつ、俺たち兄妹はこの夏を楽しもうと誓い合った。




 帰り道。店から引き続き、たわいもない楽しい話をしながら帰路に就く。


「本当にお土産はそれだけでよかったの?」


 夏陽は俺の右手のハンバーガーを見て言う。


「いいんだよ父さんの分はこれだけで。フレンチトーストもあることだし」


「いやあれゴミだし……」


「ゴミでも腹に入れば血肉になるだろ」


「あ、私の料理をゴミって言ったね?」


「お前が自分から言ったんだろ」


「日本にはへりくだり文化があるのっ」


「へいへい」


 ようやく自宅に到着し、玄関のドアノブをひねって中に入る。

 すると食卓でうなだれている父さんの姿が。筋弛緩剤でも打たれたのか。


 話を聞くと、起床一番で限りなく砂糖に近い炭を食べたそうだ。それから十五分ちょい体に力が入らないとのこと。


 それを聞いて俺たちは爆笑したのだった。


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