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やさしい猛毒  作者: 鹿井緋色
毒のある花
3/15

毒の匂い

 翌日。


 朝方は降り去った雨で蒸し暑かったけど、徐々にカラッとした暑さに変わり、そしてゆっくり夕暮れ時になった。初めてフルで入ったバイトもそれなりになんとかなりそうだ。


 現在時刻は午後六時ちょい過ぎ。ようやく夏の神社は薄暗くなってきた。

 そしてちょっとした神社の境内を埋め尽くすように屋台が並び、提灯が優しい明かりを灯し、BGMさながらに軽妙な和太鼓と横笛の音頭が聞こえてくる。


「お兄ちゃん大佐! 綿あめ! ぼったくり値段で有名な綿あめだよ!」


 少し丈の短い浴衣姿に着替えた美空がとんでもない失言を振りまきながらサンダルで石畳をカツカツ鳴らす。普通に綿あめ屋のおっさんが聞いているんだけど。


「大佐の称号は家の中だけなのでみだりに使いまわしてはいけません。あと、いくら原価が安いからってぼったくりとかいう真実もみだりに言ってはいけません」


 真実とか事実とかを言うことが必ずしも正しい行いとは限らないからな。

 きっとあれだ。綿あめ製造機の値段が高かったりするんだ。


「お兄ちゃん、買ってぇー。友だちいないからお金の使い道ないでしょぉー?」


 おい、みだりに真実を言ったらあかんってさっき言ったでしょうが。


「ダメだ。綿あめごときに金を使えるか。自費で買え」

「だってゲーム買っちゃったし。アタシ、まだ十四歳だからバイトできないし」


 なんでこんな不真面目な奴の偏差値が七〇をオーバーしているんだ? 神様は何考えてこの世界を創造したんだ?


「じゃあいいもん。友だちに買ってもらうし」


 友だちを財布にするのかよ……。え? いや、ちょっと待て。


「待て! お前、友だちがいるのか!? クラスで浮きまくってるって言ってたのに!?」

「そりゃ友だちくらいつくれるよ~留学生とぉ~留年生とぉ~病人とぉ~」

「ずいぶんワケありなラインナップだな……なんか心配になってきたぞ……」

「心配してくれるの!? じゃあ綿あめを……」

「ダメですー綿あめは買いませんー」

「じゃあ綿菓子!」


「仕方ない。綿菓子なら……ってバカ! さすがの俺でも騙されねぇからな!」

「いーじゃんいーじゃん、おにーちゃーん。綿あめぐらいで渋ってると本当に大切なものが大切な時に手に入らなくなるぜいっ!」

「……」


 もうダメだ。これは聞いてやらないとエンドレスで繰り返されることになる。


「……買ってやるよ」



 焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、イカ焼き、りんごアメ、べっこうアメ、フランクフルト、唐揚げ、かき氷、おでん、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ……。


 俺は金の無駄だから買わないでおこうと思っていた品々を結局美空に買わされるハメになった。もちろん二人で仲良く半々で分けて食べたのだが、無駄遣いした感がすごい。


 しかもりんごアメとたこ焼きは食べ残されている。うおおおおお……時給が八四〇円だから、取り戻すには俺は何時間の労働をしなければならないんだ……。


「お兄ちゃん、金魚すくいがある!」

「金魚はオカビアンカが食べちゃうから駄目だ」

「うん。あそこの店のポイは紙が薄いからほとんどぼったくりだね」


 金魚すくい屋のおっさんが睨んだ気がした。

 ただでさえ人の多い往来であえて言わないでください。


「つーかぼったくりって知ってるのに屋台で買うのはなんでなんだよ」

「それはお兄ちゃんのお金だか……雰囲気だよ雰囲気! 夏の盛りにごみごみしたところでその日限りのものを食べる! 最高でしょ!?」


 美空の本音が七割がた見えたけど見えなかったふりをしておこう。


「そっかぁー夏だもんなー……」

「夏は私の生誕季! つまり私の時代なんだよぉー!」

「はいはい……」


 そういえば、こいつは誕生日が近くなるとテンションが上がるんだよな。そして秋になると冬眠寸前までテンションが下がる。冬になるとコタツから出ない。春になると花粉症になる。

 分かりやすいといえば分かりやすいし扱いやすいといえば扱いやすいのだがちょっと疲れる。


「ってことは……もうすぐ母さんの命日か」

「……うん」


 一気に美空のテンションが下がる。しまった。母さんの命日は美空の禁句だ。


「アタシが殺しちゃったお母さん……」

「んな言い方すんな。母さんが死んででも生みたかったのが美空だったんだろ」


 美空は自分が母親と引き換えに産まれてきたことを気にしている。しかし俺は美空が気にするべきことなど何もないように思える。母さんだってこんな天才児が生まれてくれたんだから、天国ですき焼き食べ放題コースを満喫できているだろう。


 産まないという選択肢もあったのかもしれないが、命のかかった状況で母親が我が子を見捨てることなどできないと以前に父さんが真面目な顔で俺に話してくれたことがあった。

 ああいう真面目な顔もできるんだから親子はやめられないよなぁ。


「んー……」


 美空の顔が渋る。


「ちょっとお花摘んでくる」

「え? ああ、おお……」


 言って美空はてとてと、とお手洗い場に向かって歩いていく。ふっと見知らぬ誰かが目の前を通り過ぎると美空の姿はもうなかった。


「……」


 さて、どうやって暇をつぶそうか。周囲をキョロキョロ見ると見知った顔が何人か。同じ高校の人間だろう。同じクラスの人間もいたような気がするが、プライベートでまで話すような仲ではないので気持ち会釈でスルーする。暇つぶしになるような屋台といえばくじ引き、金魚すくい、カタ抜き、射的、輪投げ……あたりか? うん。金の無駄だな。


 一番店主の妨害が入らないのは美空がやりたがっていた輪投げだが、見たところ景品は全て幼児向け。やる意味はないに等しい。

 しかし美空の花摘みは長いからな。なにかしないと落ち着かない。


 英単語帳は家に置いてきてしまったし、持ち運ぶべきケータイはいつの間にか電池が切れている。家計の厳しい小尾家ではバッテリーの活動限界が短くなっても買い替える余裕はないのだ。いや、その資金をバイトで捻出しようとしているはずなのだが……。お金って貯まらないもんだね。

改めてきょろきょろ周りを見ると、みんな楽しそうに笑って往来を闊歩している。


 幸せそうだな……。


 友達恋人友達恋人友達恋人友達恋人友達恋人友達恋人友達恋人友達恋人友達恋人……まるで猛毒に中てられたように気分が悪くなってきた。他人とつるむのってなにが楽しいんだろう。


「ねえ、キミ。ひとり? よかったら一緒に遊ばない?」


 快活で明瞭な女性の声が背後から聞こえる。逆ナンかよ。いったいどこの誰がどこの誰を誘っているんだ?

 怪訝に思って振り返ると、そこに変質者がいた。


「(うわぁ……)」


 俺が声にならない声を出して唖然としたのは、その変質者が某戦隊モノのお面をつけて仁王立ちしていていたからだ。腰まで真っ直ぐに伸びる濡れ羽色の艶髪と新河高校の夏服。首元のリボンは赤で一年生を示している。


 校則順守のスカート丈から伸びる綺麗な脚線等々、女子だということは分かるのだが、この変質者の扱い方を俺は知らない。


「……」


 しかたない。ボランティアだ。境内の草むしりでもするか。

 無言で変質者に背を向けて草をむしるためにしゃがみこむ。


「ねえ、キミ。ひとり? よかったら一緒に遊ばない?」


 しまった!

 屋台の食いモンの残骸で両手が塞がっている!

 しかも全部食べかけ。捨てるのはもったいない。どうするべきか……。


「無視するなぁぁあああ!」

「へがぁあ!」


 お面をつけた変質者に背後からモンゴリアンチョップを食らう。鎖骨が!

 おはよう、キラー・カーン。あ、今はこんばんはだ。


「なにすんだてめえは! そもそも誰だ!」


 変質者は「ふっふっふ……」とお面に触れて高らかに宣言する。


「立てばスズラン、座ればダチュラ、歩く姿はヒガンバナ! かくしてその正体はっ……私でした!」


 変質者はお面を剥ぎ取り正体を現す。毒気のない目鼻立ちの整ったキレイな女子だった。挙動がところどころおかしいが、たしかに見た目はキレイだった。少しいい匂いがする。しかし、


「……どなたですか?」


 見覚えはある。同学年でいたような顔だ。しかし名前までは分からない。クラスメイトではないことは確実なのだが。


「はぁー!? 知らないの!? 新人鬼風紀委員の私を!?」

「……新人にして鬼になるとは随分な御身分ですね」


 風紀委員ということは祭りの陽気に中てられておイタをする新河高生がいないか監視しているのだろう。


「え? なに? ケンカ売ってるの?」

「売ってないけど……誰? なにさん? あんた俺の何?」


 すると自称新人鬼風紀委員の目がきらりと光った。そして自慢げに、


「私はキミの猛毒、です!」と威勢よく言う。


 意味が分かんねえ。愛しい美空さんはまだ帰ってこないのか。


「じゃあ猛毒さん。俺は指導対象ではありませんので新学期にお会いしましょう」


 俺はペコりとお辞儀してそっぽを向き、美空を迎えに行こうとする。


「待って! 待って、ちょっと! キミ、ひとり? 友だちは? 彼女は? ひとりでお祭りに来たの? 大丈夫?」


「妹同伴だよ失礼な! 友だちも彼女もいらねえ!」


「……なぁんだ、ひとりお祭りじゃなかったのね。幻の存在だと思って損した」


 毒舌。


「とてもとてぇも失礼な風紀委員だな。猛毒というだけある。もういいか? 妹を迎えに行かなきゃならんのだ」


「あ、うん……」


「じゃ、新学期に」

『ぐううううう……』


 猛毒さんの空きっ腹が嘶く。そしてその猛毒さんの視線は俺が提げている屋台で買った食べ物に注がれる。


「……食べるか? 冷えてっけど」

「いいの!?」



 俺と猛毒さんは境内に臨時で設置されたベンチに並んで座る。そういえば美空はどうなったんだろう。


「美味いか? 冷えたたこ焼き」

「うん! すっごく! ずーっと目を光らせてたから疲れちゃった」


 猛毒さんは屋台で作られたもっちゃりたこ焼きをもしゃもしゃと食べる。さすがに舐めかけのりんごアメを進呈するわけにもいかなかった。


「ねえ、さっきのってどういう意味?」

「さっきの?」

「友だちも彼女もいらねでがんすってやつ」


 うろ覚えだけど絶対そんな言い方してなかったですよね?


「別に。そのまんまの意味だよ。なんかさ、年をとるにつれて友だちとか人づきあいが面倒くさくなってな。どんどんどんどん打算とかメリットとかで付き合っていくだろ? それが嫌なんだ。だから友だちも彼女もいらない。見返りのために付き合うような関係なんて、無為なだけだ」


 友だちからノートを借りるために友だちをつくり、先輩後輩先生に気に入られるためにそれらにいい顔をし、アクセサリーのように周りに見せびらかし、誇示するために恋人をつくる。

 そんな空虚な関係作りが俺には甚だ無意味にしか思えなかった。


「へー……なんかバカっぽい」

「バッ……! バカとはなんだバカとは」


 初対面の相手に自分語りをしたら小馬鹿にされるという屈辱。


「だって友だちは多い方がいいでしょ? 友だちひゃくにんらららららって歌知らない?」

「友だちの数がステータスになるって時点でなんかもう人として末期だよ」

「ああ、ごめん。いいっていうのは楽しいって意味だったんだけど……たしかに質より量っていう理論に似てるね。友だちが多ければ楽しいっていう理論は考えてみれば違うかも」


 猛毒さんは三個目のたこ焼きに手を伸ばす。遠慮がないな……。


「でも、そういうメリットデメリットを考えずとも付き合える関係ができたならそれは本物の絆って呼べるのかな?」


「本物の絆か……猛毒さんはカッコいいことを思いつくんだな」

「そうそう。本物の絆はきっと楽しいよ。だから……」


 猛毒さんはポケットから取り出したティッシュで口を拭く。歯に青のりはついていない。


「だから私と友だちにならない?」


「はあ?」

「私と友だちになっても、きっとメリットないと思うよ。私は猛毒だから。……私、キミの猛毒になる」

「……はあ」


 意味が分からん。新手の美人局か?

 猛毒さんは立ち上がり、ぽんぽんと軽くスカートをはたく。


「さぁーて、見廻りに戻らなくちゃ。じゃあ今度連絡するね」

「ああ。……え?」

「ばいばーい」


 猛毒さんは手をヒラヒラさせて悠然と忽然と雑踏の中に消えていった。

 なんだったんだあいつ……。


「やっほーお兄ちゃん。あたしとイイコト、し、な、い?」


 突然ぎゅっと後ろから抱きしめられた。というかほとんど首を極めにきている。真綿で首を絞めあげるような優しくも容赦のない絶妙な力配分。


「つまらない冗談はやめろ。……遅かったな、美空」


「すまねえな大佐。こちとら足挫いちまってしばらくスピークイージーにカンヅメだったぜ」


「なにキャラなんだそれは。俺の語彙力を追い抜いた発言をするのはやめてくれ。理解が追いつかない」


 もう分って頂けたと思うが、我が妹、小尾美空は思春期である。

 美空が右足をこちらにつき出すので見ると、足首に包帯が巻きつけられていた。


「あ、マジで捻挫したのか? 帰ったら足冷やさないとな」

「つきましてはお兄ちゃん。帰り道をおんぶしてほしいでありんす」

「分かったからその病は家の外で発動しないでくれ」


 中二病ってフィクションでいたらかわいいけど身内にはほしくないよねを体現している妹である。いや、美空は充分かわいいけども。美しいは黄金率から、かわいらしいは欠点からって言うしな。誰が言ったんだそんなこと。



 腕時計を見ると、時刻は八時を少し過ぎた時刻だった。戦傷を負った妹をおぶって帰る道中も祭りは続き、むしろこれから本番といった勢いだった。楽しそうにしている人たちの顔を見て悪酔いしたような気分の俺はその人波を足早にすり抜ける。


「美空、風紀委員の一年に猛毒って女子はいるか?」

「ごめん、お兄ちゃん。意味が分からない」


 真っ直ぐシンプルな返し。おぶって見えないがたぶん美空は真顔で言っている。


「いや、なんか同級生の風紀委員の女子に絡まれたんだけど心当たりがないんだよ」


「にゃるほど~。ふーきーんかぁー……猛毒って名前の人はいないかなぁー。いや、アタシふーきーんじゃないから構成員なんてよく知らないし」


「そうか。いや、名前が猛毒ってわけじゃなかったんだが……」


 あの濡れ羽色の髪の女子は何者だったんだろうか。命を狙われるようなことはしていないと自負しているが、あいつの目的がよく分からない。


「そもそも、にー高に風紀委員なんてないし」

「はあ? まじで?」


 公然と嘘をついた猛毒とやらにビックリだが、風紀委員がないことを知らなかった俺に対してもビックリだ。にー高とは新河高校の愛称である。二―ハイとは関係ない。


「ますます何者だったんだあいつは……」

「玉藻の前にでも化かされたのかもね」

「……俺は鳥羽院ですか安倍氏ですか」


 まあ、祭りの空気に浮かれてふざけていただけなのかもしれないけど。もしかしたら罰ゲームで絡んできていたのかも。これ以上、この話題はする意味ないな。


「それより美空、高校生活一学期はどうだった?」

「疲れるねぇ~。皆、腫れ物を触るように接してくるから」

「だったら中学に残ってもよかったんだぞ? 向こうには仲いいやつとかいたんだろ?」

「残念ながらこの性格ですぜ? 秀美郎の旦那」

「……ああ、ごめん」


 中学でも浮いてそうだなぁ……こいつ。


「手違いで合格通知が届いた時はビビったよ~。いくら偏差値が良くても今の日本じゃ普通は飛び級できないからね~」

「そうだな」


 なんの因果か、(たぶん俺の合格通知とごっちゃになったのだろうが)我ら小尾兄妹のもとへ合格通知が二枚届き、美空は勝手に入学手続きを済ませてしまった。手違いだと発覚したのは入学式当日で、美空の圧倒的かつ異常なまでの学業成績の良さから県も市も学校側も飛び級入学を認めてしまうという異例の事態が起こったのだった。


 まあ、うちのお台所事情をお役所さんたちが目の当たりにしてお情けでその特例が適用されたのだとなんとなく俺は思っている。向こうさんの体裁もあっただろうし。


「どうしてもツラかったら言えよ。いつでも中学三年生に戻れるらしいから」


 基本属性が縦社会というお国柄から飛び級だとか特例だとかの肩書きで白い目を向けられるのは当たり前だといっていい。きっと俺の知らないところで美空はしんどいくるしい思いをしてきているはずだ。


「へーきへーき。クラスに友だちいるもーん留学生でしょ? 留年生でしょ? 病人でしょ? あと……」


「分かった分かった。これ以上友だち自慢をするな。切なくなる」


「別に自慢じゃないけど……。お兄ちゃんこそ友だち作った方がいいと思うけど」


「友だちは作るものじゃない。いつのまにかなっているものだ。自分の評価を上げるために作った人間関係なんて、キーホルダー程度の価値しかねえよ」


「めんどくさい性格だねぇ~」


 どっちがだ。


「そんなお安いオトモダチを作るくらいなら猛毒に犯された方がマシ……」


 あれ? なんで今、猛毒って単語が出たんだろう。

 なんか本当に、数分しか接していないあの女子に毒されているのかもしれない。

 良薬は口に苦しというが、猛毒はもしかしたら鼻孔をくすぐるいい匂いがするのかもしれない。


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