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やさしい猛毒  作者: 鹿井緋色
毒のある花
2/15

夏の幕開け

 カレー、シチュー、唐揚げ、コロッケ、カツ、ハンバーグ、ドリア、そうめん、うどん、ラーメン、ソバ、みそ汁、中華スープ、ポトフ、豚汁……。

 うん。もう作るものが思い浮かばない。一週間前にハンバーグを作り、昨日までの三日間はカレーだった。揚げ物系も四日前に作ったしそろそろネタ切れだ。


 今日ももう、夕方だし帰る前にスーパーに寄っていかなければ。どうせ、一緒に遊ぶ相手なんていないし。それにしても、男子学生なのに所帯じみてやがるな、俺は。


 夕暮れの校舎の外で蝉が鳴いている。もうすぐ夏が始まるのだ。思わずどこで蝉が鳴いているのか見つけようと日の光が注がれてくる窓の外を眺める。

 まるであの蝉たちは死ぬために鳴いているみたいだ。とふと思った。


「……帰るか」


 廊下の窓から見える黄昏を眺めて感慨にふけろうかと思ったけれど、家で小鬼が腹を空かせて待っている。

 俺がガッと半身を廊下に返すとひとりの女子とぶつかった。バサッとノートが一冊宙を舞って床に落ちる。ついでにその女子の通学カバンも一緒に。


「ああ、ごめん」


 その女子は三つ編みに眼鏡といった地味さを体現したようないでたちだった。


「……」


 女子は無言でぺこりぺこりと頭を下げて慌てたようにカバンを手に取る。


「あ、これ……」


 俺は床に落ちてページが開いたノートを手に取る。

 数学のノートのようで、数式がいっぱい書かれている。そしてそのページの端に小さく、「ハンバーガー食べたい」と書かれていた。なぜにハンバーガー?


「……!」


 女子はバッと俺からノートをひったくり、一回転んでから走り去って廊下の角を曲がって消えていった。


「なんだあのへんてこな女子……終始無言かよ」


 そういえばあのページはなんだったんだろう。

なるほど「ハンバーガー食べたい」か……そういえば、ハンバーガーは食べたことがあっても作ったことがなかった。


「もうすぐ終業式か……」


 一品作ってみようか。

 月にして七月。期末テストが終わったころ。夏の陽射しが昇りはじめる。


    *


 某年七月某日。新河県新河市。

 夏休みの突入を告げる終業式がその日あった。


 その日は雨だった。しとしとと控えめに降るその雨はまるでこれからくる夏休みの軽いインターバルに過ぎないような気がして、……なんだろう。特になにも思わなかった。夏にだって雨は降るだろうし、夏が暑くても涼しくても、俺は冷房の効いた店内でバイトをして、冷房の効いた室内で勉強をするのだから外の天候などどうでもいいだろう。

 強いていうなら、野菜の値段が上がるのはゴメンだ。小尾家には食欲旺盛な小鬼が三匹も住んでいる。


「お兄ちゃんご飯まだー?」

「秀美郎、飯ー」

「ニャー」


 夜七時を回ったころだった。小鬼三匹が兵糧の催促をしに来たのは。もっとも、それはいつも通りなのだが。


「もうちっとでできるから我慢しろー馬鹿どもー」

「馬鹿とはなにごとですか無礼者ーこちとら偏差値七〇越えの高校一年生でありまするぞー」


 一個下の妹がソファでうだうだと携帯ゲームをしながら無気力気味に文句を返す。


「はいはい。平凡な偏差値の高校一年生はお料理頑張りますよー」

「秀美郎、飯早く! 父さんは明日早いのだぞ! 早く寝なければならないのだ! なにせ父さんはホテルコンシェールジュだからな」


 今年で齢四〇になる父親がコンシェルジュをやけにいいアクセントで発音する。うぜえ。いっそホテルで暮らせばいいのに。


 今日は終業式なので奮発して牛豚合挽きのハンバーグ(牛多め)。リビングの座椅子に座る二人は手伝わない。あの二人は料理に向かないのだ。大惨事が起こる。

 けっして家庭内で俺がイジメられているわけではない。マジで。


「ニャー」


 俺の脛に最後の一匹の小鬼がすり寄ってきた。黄色と黒の縞模様のトラネコだ。こちらは齢にして……うん。忘れた。


「おう、オカビアンカ。お前の飯はもっと後だ」

「なー」

「うむ」


 いつも通り、食事の前には不機嫌になる猫である。

 俺の足元で調理の妨害をしてくるオカビアンカを足でげしげし押しのけながら俺はハンバーグの「焼き」作業に入る。いやもう、猫じゃま。っていうか俺の妨害をすることによってお前の飯はもっと遅くなるんだからな? いつものことだけど。


 閑話休題。


「おら、たーんとお食べ、小鬼ども」

「わはーバーグだー! バーグ先輩だー!」


 妹の美空ははしゃいで左手に箸をとって右手にフォークを握り、多めに作ったハンバーグを捕食する。美空が器用に二刀流をしているが、左利きなのだ。


「半ナマだったら言えよー焦げてるのは黙って食え」

「いえっさー秀美郎大佐!」


 そう言ってかぶりつくのは俺の父親・小尾秀作。家庭内での階級は元帥(自称)。前記の通り某ホテルのコンシェルジュをしている我が家の金づる……大黒柱だ。


 ひとしきり盛り上がりが終わると二人は静かにテレビを眺めながらもしゃもしゃと食事する。それを合図に俺は飼い猫のオカビアンカにエサをやる。なんのことはない骨ばった煮干しを数本だ。するとようやくオカビアンカは上機嫌になる。


「ところで二人とも。七月模試の結果はどうだった? 結果によっちゃあ父さん明日はメキメキと仕事張りきっちゃうよ~」


 いつもメキメキ仕事してくれればハンバーグがチーズハンバーグになるんだがな。それどころかデミグラスハンバーグに化ける可能性もある。和風おろしは帰れ。


「だいたいの大学はA判定でありました。お父さま元帥!」

「BとかCとかDとかだったな」


 俺が正直に話すと父さんはがっくりと肩を落とす。


「え~秀美郎いまいち~。もっと頑張ってくれないと困る~」

「稼ぎがないならバイトを増やす。バイトが増えたら成績が落ちる。成績が落ちたら東京の私大に行く。授業料も家賃も高いだろうな。奨学金で人生マイナススタートだ」

「それは困る! 父さんが働かなければ!」


 父さんは背筋をぴんと伸ばして焦ったようにハンバーグをかっ込む。オカビアンカがニャーと鳴いた。

 もう分かって頂けたと思うが、我が小尾家は家計が厳しく父親の秀作と妹の美空、飼い猫のオカビアンカとこの俺、秀美郎の三人プラス一匹構成だ。母親は死んだらしい。ちゃんと簡易仏壇は置いてあるのだが、そこに供えられた写真は一枚。もう十何年も昔のものだ。結構な美人の母親だが育てられた記憶なんてない。


 なんでも美空を産んだ代わりに死んだらしい。なので美空の誕生日は母親の命日でもある。


「それより美空大総統。学校のほうはどうだね?」


 この家で一番地位があるのは偏差値の高い者なのだ。地位が高くとも特になにもないけど。


「首尾は上々であります元帥! 一年飛び級進学したおかげかクラスで浮きまくりであります!」

「おお! そいつはいかしているな!」


 このアホ父娘の会話を飛び級させて浮かせたい。ワンランク上のアホにしたい。


 もう分かって頂けたと思うが、我が妹、小尾美空は大学教授もビックリの成績を叩きだし、俺と同じ新河高校に一年抜かして飛び入学した才媛である。(本当は飛び入学ではなく手続き上の不備だが)年子の妹と同じ学年(成績は妹の方がはるか上。クラスは俺が一組で美空が特進クラスの八組)になり俺の心境は複雑である。くるくる癖毛を父親から遺伝しているところからして学力は母譲りなのだ。きっと。


「食ったらさっさと風呂入れよー。そんでもって美空、勉強教えてください」


 妹に勉強を聞くのは癪だし、まだ高校一年生だが、第一志望の判定がDなのはなにかと不安なのだ。口では粗雑に言ってはいるが、なるべくいい会社に入って父さんと美空に楽をさせてやりたい。


「えー? アタシ、ゲームしたいです。ノート貸すから勝手に読んでいいよー」

「お前の文字はミミズ文字でほとんど象形文字だから解読できないんだ。お願いします。教えてください、大総統様」

「……うむ。秀美郎大佐の誠意、しかと受け取ったぞよ。なので明日の掃除は……」

「俺がやります」


 小尾家の家事は分担制だ。俺が炊事、買い物。父さんが会計、ゴミだし。美空が掃除、洗濯。

 なので、俺と美空は勉強を教わるたびに分担を商取引している。主に俺が掃除洗濯を請け負うことになっているのだが……。


「あ、じゃあ父さんのゴミ出しも……」

「てめえでやれ」

「……はい。秀美郎大佐」

「それよりお兄ちゃん、お兄ちゃん。アタシは夏祭りに行きたいと思っているであります」


 美空が挙手して話をぶった切る。ええ、まあ、ぶった切られてさして問題のない話でしたが。


「夏祭り? いつ?」

「明日の夜とか! 輪投げやりたい!」


 また幼稚な屋台が目当てなんだな……。この子今年で一五歳の高校一年生で偏差値七〇オーバーのかしこちゃんですよね?


「明日か……雨は上がるからやるだろうけど……バイトが疲れるからな」


 俺のバイト。寂れた町外れの古書店の店員。特に客の出入りが多いわけではないが、その割に時給は八四〇円と田舎にしては上々の給料。まあ、肉体労働が主なわけだが。


 学校主催の夏期講習が始まるのは八月に入ってからだから、それまではバイト三昧のつもりだった。下手な塾より学校の夏期講習のほうがお得。今のところは。


「バイト何時に終わるのー? 終わってからでいいよー。アタシは疲れてないだろうから」


 この小鬼め。小さいころからゲームばかりして自宅学習などトータルで一時間もしていないようなやつが何故にこんなに頭がいいのかね。


「あ、いや、ゲームしたら疲れるかもしれんのです……」

「勉強しろよ。宿題も出てるんだろ?」


「あははー。高校の勉強なんて授業聞いてれば追いつけない内容じゃないじゃーん。あとウチのクラスは宿題という概念がないのです。授業の前後に予習復習をしてテストと模試でそれなりに取れてればいい的な? 予習復習もしてないけど」


「……天才児め。さすがAB型め」

「正確にはシスAB型だよー。小尾美空大総統は希少種でありますっ」


 もぐもぐとハンバーグを口に入れたまま美空は敬礼。うむ。行儀が悪い。

 シスAB型。簡単に説明するととても珍しい血液型なのだが基本的にはAB型である。別にそれで飛び入学できたわけではない。


 えーっと、本題はなんだったか。ああ、そうだ。


「バイトは六時に終わる。その後でいいか?」

「断然オッケー! いちゃいちゃしようぜ、お兄ちゃん大佐!」

「やめろ。兄妹でいちゃいちゃとか気持ちわりぃ。で、交換条件だが……」


 無償の愛がなんとやらだがこちらもバイトにいそしむ高校生。お金の計算式は気にする性質である。よって、見返りとかが気になる。とはいえ、美空からの見返りなどたいして期待はしていないのだが。


「ふふ。お兄ちゃん大佐にはこの銀のエンゼンルを二枚プレゼント!」

「いらね。五枚揃えて出直して来い。単刀直入に言え」

「……勉強教えてあげる券を三回分差し上げますで候」


 三回分か。美空にしては奮発したな。そんなに夏祭りに行きたかったのか。


「ちょっと待った! 夜間の外出には保護者の同行が必要。父さんも一緒に……」

「仕事しろ。父さん」

「仕事してください元帥殿」


 と俺と美空からダブルパンチ。


「あう……なんだこの寂寥感。親離れか? 親離れの季節なのか!? 父さんノスタルジックだよ~。ブルー入っちゃうよ~」


 と言いつつ父さんはハンバーグをもりもり食べる。ノスタルジックの意味をちゃんと理解しているのだろうか。不安で不安ででもどうでもいいです。


「別に深夜徘徊して補導なんてされねえよ。九時前には帰ってくるさ。明日は花火大会じゃないし見るものなんて屋台ぐらいだ。安心して金の出る残業をしてきてくれ。金の出ない残業はするな」

「いえっさー大佐……」


 こりゃどっちが親なんだか分かんねえな。今に始まったことではないけど。


「じゃあ、これ食べ終わったら片付け手伝ってくれ」

「あ、それは嫌です」

「あ、それは嫌です」

「ニャー」


 食い気味で二人に拒否された。オカビアンカまで!


「……」


 この父娘はボランティア精神というものがないのか!

 そうやって日常は暮れていくのです。

 燦々と輝く夏の陽射しはもうじき上がる。


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