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やさしい猛毒  作者: 鹿井緋色
なかよし時間
15/15

やさしい猛毒

 その後、夏陽がゆっくり眠りにつくのを見届けた後、夏陽は一週間、目を覚まさなかった。そして夏休み終盤に入り、俺がバイトに行っている間に夏陽の最期は訪れた。


 日を経るごとにゆっくりゆっくり体が衰弱してとうとう心機能が完全に停止したのだ。


 知らせを受けた俺と美空はすぐに病室へ駆けつけた。そこで俺たちを迎えてくれたのは、少し口角を上げたように見える、目を閉じた夏陽の顔。笑顔と呼ぶには生気が足りないが、死に顔と呼ぶには不幸感が足りない不思議な顔だった。


 風前寺先生が急用で一時的に病室を離れて家族四人になった時、俺は頑なに裾を握る美空の肩に触れた。


「もういいんだ。泣いても。俺たちはもう泣いてもいいんだ」


 そのセリフを言った時、俺は既に泣いていた。声もボロボロだったと思う。


 それにつられたのか、自発的になのか、美空も泣いた。そして父さんも泣いた。

 美空はまるで地球が割れたように大泣きし、父さんは声を殺して悔しそうに泣いた。

 もちろん俺も更に泣いた。ちょうど二人の中間くらいの強さで。女々しくすすり泣き、ガタガタ肩を震えさせ、家族にしか見せられない情けない顔で泣いた。


 夏陽の長い戦いが終わったのだ。



 そのあと、落ち着いてから顔いっぱいの涙と鼻水をティッシュで拭い、飲み物を買うために病室を出た。ちょうど緩和ケア病棟の隅にある自販機ゾーンにたどり着く。


 そこで風前寺先生が悔しそうに首をもたげていた。


「また救えなかった……」


 自分で自分を非難するように彼はそう呟いた。明らかに俺へ向けた言葉ではなく、自責の独り言だった。


 そこで気を利かせてサッとその場を去ればよかったのかもしれないが、リノリウムの床と靴でキュッと音を鳴らしてしまい、存在がバレた。


「秀美郎くんか、恥ずかしいところを見せてしまったね」


 風前寺先生はそう言って自虐的な笑いを誘ったが、俺はその誘いに乗れなかった。乗ればよかったのかは分からない。ただ、彼は自嘲気味に笑って俺の返事を待たずに続けた。


「人が人を救おうだなんておこがましいと思うかい? 医者をやっているとね、患者の生殺与奪を掴むわけだから神様にでもなった気分になるものさ。だから時々こうやって地面に叩きのめされる。所詮自分は人間。どんなに手を伸ばしても届かないものだってある。誰もかれも救うことなんてできないんだってね」


 風前寺先生はポケットからボロボロの財布を取り出し、硬貨を数枚自販機に投入する。


「なにが飲みたい? 僕を元気づけようとしに来たわけじゃないんだろう? こんな時くらいおごらせておくれよ」


「……スポーツドリンクで」


「妥当だね。僕は緑茶にするよ」


 風前寺先生がボタンを押すと、ガコンとペットボトルが二つ出てくる。そして風前寺先生はスポーツドリンクを俺に投げて渡した。


 そして飲みながらなんとなくその場に留まる。


 今でも夏陽の明るい声が頭の中で谺する。夏陽の死はもう訪れたというのに。


「先生、死ぬってなんだと思います?」


「急だね。死ぬというのは生命活動が終わるということさ」


 ……医者として大人として俺をあしらいにきやがった。


「もうちょっと気の利いたことは言えないんですか?」


 風前寺先生は鼻を鳴らし、卑屈そうに笑う。


「気の利いたことを言うと、生きる前段階なのが死ぬということだと僕は表現しようかな」


「……え? 生の前が死ってことですか? ふつう逆では?」


「人は死を実感して初めて生を目視する。必死になれる。夏陽くんもそうだった」


 俺の記憶に残るために必死に駆け抜けた夏休み。夏陽が死に物狂いで生きて死んだ証。


「もう必要ないかもしれないが、秀美郎くんにひとつアドバイスをしよう」


「なんです?」


「自分なりの生き方をしなさい」


「っ……」


 俺なりの生き方。

 まず一番に、自分が自分らしいと思える生き方……か。


 すると風前寺先生がボロボロの彼の財布をヒラヒラと俺に見せびらかしてきた。


「いい財布だろう?」


 ……いい財布なのだろうか。ボロボロで見栄えは悪いがヴィンテージ品なのか?


「すみません。貧乏高校生に財布の価値は……」


「大学時代に美会子さん……君のお母さんにいただいたんだ。あの人らしいよ。遺せるものはなんでも遺し

ていくんだから」


「母さんが? なんでまた……」

 なんでまたそんなものをもらったのか、ボロボロになっても持ち続けているのか。


「好きだったのさ。美会子さんのこと。美会子さんの強い意志みたいなのがね」


「……尊敬していたってことですか?」


 日本の好きは意味が広すぎる。


「恋人にしたいと思っていたよ。手は届かなかったけどね」


 それを聞いて少しだけ胸が痛くなった。父さんは風前寺先生の恋敵だったのだ。先生はどんな思いで母さんの診察をしたのだろうか。俺には推し量ることのできないような屈託があったに違いない。


「また手は届かなかった……血筋かな」


 また手……血筋……え?

 えっと、風前寺先生は父さんの大学時代の恋敵で……。


「まさかあんた、夏陽のこと……」


「別におかしくないだろう? ナイチンゲール症候群じゃあないよ。……夏陽くんに毒されたのは一人だけじゃあないって話さ。さて、次の患者が待ってる」


 そこまで言うと、風前寺先生はヒラッと白衣を翻して自販機ゾーンを去った。


 俺はしばらくそこで亡くしたものの重みを再認識し、感慨にふけった。


 俺がみんなから奪ったもの、与えたもの、もらったものの痛みと重みを。


 かけがえのないものを失い、奪い、代わりにみんなからもらったものの痛みと重み。そして猛毒を。




 その次の日、あらかじめ父さんが「もうそんなに長くないかもしれないから」と連絡を取りあっていた葬儀屋が来てすぐに葬儀が執り行われた。


 葬儀は彼女の意向に沿って家族葬になった。


「遺体」となった彼女は葬儀屋によって艶やかな着物姿に着替えさせてもらい、華美すぎない化粧をあしらわれ、薄ピンク色の棺の中に納まった。そして火葬場で焼かれ、彼女は骨になった。ひどく脆く、細く、真っ白なただの骨に。


 その段取りの早さたるや、まるで光のような速さで、彼女と出会った時のことを少し思い出した。



 彼女が中学一年生だった時のことを。中学の卒業アルバムを見てようやくだ。


 あの時、毒島夏陽は三つ編み眼鏡の典型的なほどに地味な女の子だった。


 あの時、小尾秀美郎は既に一家の料理を一任されていてその日のメニューに頭を悩ませていた。中学生だった当時は予算のことなど頭になく、ただ単にバリエーションに悩んでいたのだ。


 もう作るべく物は作りきったと思っていたのだ。


 そしてあの日、俺と彼女は夕方の校内の曲がり角でぶつかった。特段それがなにか出会いのきっかけだったわけではない。ただ、ぶつかった拍子で彼女が落としたプリントに小さく「ハンバーガー食べたい」と落書きされていたのだ。だからその日、俺は初めて家でハンバーガーを作ったのだった。あまりにもヘタクソなハンバーガーで、家族三人で不出来なそれを大笑いして食べたのを覚えている。しかし今となっては自分で作ることはなくなり、ハンバーガー屋に頼ってばかりだ。


 ただそれだけのプロローグ。たったそれだけのプロローグを思い出すのにいったいどうしてこんなに時間をかけたのだろうか。悔恨の極みである。


 だからきっと、俺はその後にいじめられている彼女を助けたのだろう。そういうふうに思うことにしよう。


 だから今日は久しぶりにハンバーガーでも作ってみるか。



 やっぱり、奇跡を起こしたのは俺じゃなかったんだ。


 夏の陽射しは高く高く、ただたかいままに、再びのぼってくることはなかった。


   *


『前略 夏陽へ


 手紙なんて書く性格じゃないけれど、自分を納得させるために筆を執ることにした。


 でもどうすればこの手紙がキミに届くのか分からない。


 燃やして空に飛ばせばいいのか、海や川に流せばいいのか、はたまた噛みちぎって食べればいいのか、よく分からないからここで音読することにした。


 大嘘つきの夏陽のことだ。もしかしたら成仏できずにこの辺をうろちょろしているかもしれないしな。


 全てのことの始まりは中学生だったな。あの時夏陽を助けたのは実は偶然じゃなかった。ずっと前からやかましく出張っていたいじめっ子たちが目障りだったんだ。だから頃合いを見計らってキミを助けた。キミを口実に使ってしまった。きっとそうだと思うよ。


 だって俺、自己顕示欲はあっても正義感なんてないからな。偽善者だよ。


 あの時の俺は自分と家族のことしか見えていなくて、いじめられていた夏陽のことなんて全く見ていなかった。ごめん。あの勇気は自己満足の勇気だったんだ。未だに話した内容はよく思い出せない。


 ハンバーガーのことなら今は思い出せるのだけど、そっちをキミは覚えていないだろうな。



 夏陽、奇跡はキミが起こしたんだよ。

 俺の奇跡が、キミだよ。



 じゃあ、二度目に話した時のことについて話そう。高校一年の夏祭りの日だったな。あのわけ分かんねえ出逢いは。


 あの日、キミを思い出せなくてごめん。友だちになれなくてごめん。


 でも、声をかけてくれてありがとう。


 あの時、キミは勇気を出して話しかけてくれたんだよな。カッコいいよ。



 スイカ割り大会で三回目の会話。唐突の姉宣言。その時の俺の心にはびっくりしか残らなくてなにがなんだか分からなかった。


 次の日の朝のフレンチトーストはこの世のものとは思えなかった。


 バイト先に闖入してきたかと思えば店長に説教して、流れ流れて温泉に入った。口じゃ文句たれていたけど、すっげー楽しかったよ。


 蛍、また一緒に見ような。天国でも地獄でも来世でも。


 熱出して倒れた時はこんな大事になるとは思わなかった。救急車が来てちょっと焦った。でも、キミの手紙を読んで本当のキミを知ることができた。


 未だに俺はキミを生かせていたのか死なせたのか分からない。別れ際、あれでよかったのかな? 気の利いたセリフ、まだ思いつかねえよ。


 ありがとうとか、愛してるとか、そんなありきたりな言葉しか出てこない。


 キミのこと、忘れないよ。忘れられないよ。


 キミが俺を見つめ続けていた約三年間は申し訳なく忘れているけれど、ちゃんと出逢った夏祭り以降は忘れない。


 夏祭りのあの日、キミは猛毒になると言った。でも、それは無理だったよ。キミは猛毒になりきれなかった。キミは世界一やさしい猛毒だよ。


 あの日、キミに毒された。


 でもその症状はやさしくて、温かくて、いい匂いがして、ただの猛毒と呼ぶには物足りないみたいだ。


 大丈夫、キミの毒はやさしいから、俺はキミを忘れない。忘れずに囚われずに、いつまでもやさしく思い出す。なかよし時間を思い出す。


 夏陽、キミが好きだ。


 小尾秀美郎は毒島夏陽が好きだ。


 これから先、他の誰かを好きになったとしても、キミを好きだった事実はなくならない。絶対に忘れない。キミはやさしい猛毒だから。


 だから夏陽、安心してくれ。キミはまだ生きているよ。ありがとう。


 結語の言葉は書かないでおく。たぶんまだ、続きを書き続けると思うから。だから、どこかで聞いていてくれよな。聞いてくれなきゃ、聞かせに行くかもしれない。


 いや、ごめん。ただの軽口だよ。


 やさしい時間をありがとう。



 小尾秀美郎より』


   *


 九月某日。初秋。残暑厳しい夏の陽射しは性懲りもなく、手の届かないほど高く昇りつめたまま俺を照らしている。


 いましがた、ようやく夏陽への手紙を書き終えて、推敲もせずにその場で音読した。朗読とは言えないほど噛んで閊えてしどろもどろに。


 こんな愛情表現が適切なのかは分からないが、なんとなく納得することはできた気がする。


 夏休み開けて二学期が始まった。俺はクラスメイトに挨拶して話しかけてみたが、キレイに社交辞令を返されてしまった。エロ本の隠し場所が母親にバレたような苦い顔を両者していた。母親なんて手紙越しにしか知らないけれど。


 しかし夏休み終わる直前に美空と夏陽の友だちだった同級生とは話をできるようにはなれた。葬儀の後に直接家に弔問しに来てくれた女子生徒たちだ。ついでにバイト先の店長も来てくれた。


 バイトはまだやっている。相変わらず家計は火の車なのだ。


 さてと、俺は夏陽の手紙を読み返す。何百回目かの熟読。一枚読んだら、いつものように次の「二枚目」に手を出した。


 夏陽からの手紙の二枚目にはこう書かれていた。




『最後にもう少しだけ伝え残したことをこの二ページ目に残します。


 私の葬儀を行ってくれるのは嬉しいけれど、あまり仰々しいお葬式は好きじゃありません。できるだけ控えめな式を希望します。人もそんなに来ないと思うし。


 食えないタイプの紳士って感じな主治医の風前寺先生にはお礼を言っておいてください。あの先生のおかげで私はキミに近づけたんだから。先生にはいっぱい救ってもらいました。


 キミに近づきたくて、苦しくなって、つらくなって、悲しくなって、もどかしくなって、悔しくなって、キミとようやく近づけても、結局、また苦しくて、つらくて、悲しくて、もどかしくて、悔しくて。


 でも、とても楽しくて、幸せで、奇跡に恵まれていて、そんな暖かい場所を守るために、私はたくさん嘘をつきました。キミにも美空ちゃんにも、自分にも。


 私のついたたくさんの嘘に疑心暗鬼になるかもしれないけれど、好きという気持ちに嘘偽りはありません。


 ねえ、私はキミの猛毒にちゃんとなれたのかな?


 キミの心に残り続けられるくらいの猛毒に。キミが変われるきっかけになるような毒薬に。


 キミが私に殺されない程度の猛毒に、なれたのかな?


 ねえ、毒のある花は好き?


 スズランは?


 ダチュラは?


 ヒガンバナは?


 聞きづらいけど、……私は好き?


 ねえ、私の生涯は悲劇なんかじゃないよね?


 ねえ、キミの生涯は退屈なんかじゃないよね?


 ねえ、この世界で生きる決心はついた?


 ねえ、もう私がいなくても寂しくないよね?


 ねえ、みんなの顔を見る決心はついた?



 ねえ、私の免疫はもうついた?』


本作はこれで完結となります。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

慣れない連載で個人的に一喜一憂した数日でしたが、また次回作に向けて頑張ろうと思います。

ちなみに私は超遅筆なので次作の目途はたっておりません。本作は少し前に書き溜めたものです。

本当はもっとふざけた性格をしているのですが作品の雰囲気を壊してはいけないと思い後書きは書きませんでした。

本作の(マイルドな)感想、評価、上手な後書きの活用方法等お待ちしております。

もうすぐ夏休みですね。(私にはありませんが)

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