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 俺には約十三年前に妹ができた。母親と二人目の父親の間にできた娘だ。


 二人目の父親は愛する女の前夫との子供である俺のことをとても可愛がってくれた。俺が欲しいと言えば何でも買ってくれた。最初はテレビだった。ゲーム機も買ってくれ、パソコンも買って、携帯も買ってくれた。小学校に通うときには、放任している母親の代わりに学習机やランドセルなんかを俺に買った。登校拒否になっても学校に行くよう強要はしなかった。彼は、いつか自分で行くようになってくれると夢見ていたのかもしれない。  


 他にも、小学校の頃から不登校で中学校にもろくに通っておらず、文字通り勉強の「勉」の字も書けない俺をせめて高校には行かそうとしてくれた。中三の冬、俺を無理やり部屋から引っ張り出して三者面談に連れて行き、外に出たがらない時点で既に進学は諦めていた担任に、どうにか行かせてあげたいんだと頭を下げ、相談して、通信制の高校に進学するよう俺を根気強く説得してくれた。そんなふうに必死になっている彼の隣で、俺は初めて会う担任の顔をぼんやりと眺めていた。


 普通のサラリーマンで、普通に幸せな家庭を築こうと努めていた二人目の父親は、母親と何度も喧嘩して何度も離婚しそうになりながら、俺と妹のために、とその選択を必死に避け続けていたが、結局母親の態度に我慢しきれなくなり家を出て行った。でもそのきっかけだって他の女ができたからだ。「ごめんな。お父さんには一緒に暮らしたい人がいるんだ」と出て行く直前、わざわざ俺の部屋に寄って高一だった俺の頭を撫でた。


 妹が生まれて、母親が退院して家に戻ってきたとき、二人目の父親は真っ先に赤ん坊を抱いて俺の部屋に駆け込んできた。アニメを夜通しで見ていた当時五歳ぐらいだった俺の隣にしゃがんで、大事そうに抱えた赤ん坊を、見て、と近付ける。可愛いだろう、と。生まれる前から、女の子だよ、俺に妹ができるんだよ、と嬉しそうだったが、このときはそれ以上に顔をくしゃくしゃにして笑っていた。本当に嬉しいんだろうなと素朴に思った。そのときに妹の名前を教えてくれたが、眠くて目を開けるので精一杯だった俺は忘れてしまった。これまででも何回か妹の名前を聞く機会があったが、なぜか頭から抜けてしまう。二人目の父親の名前だって知らない。アニメの登場人物の名前とゲームのキャラクターが繰り出す技なら覚えているが。


 現在推定中一の妹は二人目の父親によく似て、性格がいい。少なくともまともではない母親を「ママ」と慕っている。半分しか血が繋がっていない俺のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれる――俺みたく名前を覚えていないわけじゃないだろう――し、答えはいつも同じなのに毎日必ず今みたいに風呂に入るか訊きに来る。俺は風呂に入らないわけじゃないが、基本深夜で、二日に一回程度だ。真夏でもこうやって始終エアコンの効いた部屋にこもっているため汚れているという感覚がない。もしかしたら、妹は俺が不潔な男だと思っているかもしれない。それでも、引きこもりのこんな気持ち悪い男のところを訪れてくれている。


 一日一回は顔を合わせることになり、それは俺にとって習慣化している。しかし去年、一日だけ来ないことがあり、翌日部屋に来たときに尋ねると、修学旅行だったんだと鹿のストラップと五個入りの生八つ橋をくれた。同じときになぜ前日に教えなかったのかと訊くと、妹は眉を顰め、一週間以上前から毎日、すごく楽しみだと言い続けていたじゃないかと口を尖らした。「聞いてなかったの? でも確かにお兄ちゃん、ゲームに夢中で何も返事してくれなかったもんね」その頃は手強いストーリーに手古摺っていた。日課の「お風呂入る?」以外の言葉は俺の中にインプットされておらず、首を振る以上の会話を妹としたこともなかった。いつの間にかストラップは失くしてしまい、食べるのを忘れた生八つ橋は、思い出した頃に中身を空けると既に腐っていた。

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