ルーティン±0
ルーティン。自身が決めた特定の動作を行うことによる、ある行動のパフォーマンスの向上である。
○する前に×する。そう決めておき、×する前に必ず○を行うことで、×を滞りなく、スムーズに実行できるようになる。
スポーツなどで主に用いられ、最近では、ビジネスの世界でも取り入れられるようになってきている。
QとAという、二人の男が、初夏の休日の真昼間、少し山奥にある、人の少ない隠れ家っぽいカフェのテラスで、Qがチョイスしたベルガモットの柑橘系ながら落ち着いた味のする紅茶をしばきながら何やら話しこんでいる。
二人が会うのは割と久しぶりだった。
Qは、遊び人のような、神を茶色に染め、原色系のチャラい格好をした、ひょうきんそうな男。Aは、恰幅が良く、上品で真面目そうな、シャツスタイルの渋い格好をした男。二人とも年は若い。
Q「なあなあ、お前さ、ルーティンって知ってるっ?」
Qが話題を振った。Qはこの日の朝に、テレビ番組の特集で、その言葉と概念を知ったのだ。そして、早速、話題に使った。
A「ああ、知ってるぞ。確か、プロ野球選手とかが、打席に立つ前にするポーズみたいなやつのことだよな。それとか、最近だと、ラグビーの有名な選手がボールを蹴る前にやってる、お祈りみたいなやつのこと、で合ってるか?」
Aは元からそれを知っているようだった。それも、割と色々なことに無知なQでも知ってそうな例まで出せるほどに。
A「それそれっ。お前も知ってたんだなあっ、ははっ!」
QはAのそんな手心に一切気づかず、得意げになっている。まあ、それでも二人は長年友人としてやっていけているので問題はない。
そうやってQがそのテレビ番組の内容を語るのを、Aは時々相槌を打ちながら聞いている。そして、最後にQはAに疑問をぶつける。
Q「なあ、A。」
A「どうした?」
Q「ルーティンって意味あんのかなっ? 俺もなんかさぁ、ルーティンぽいのやってるんだわ。でもさ、それってかえって邪魔なってんじゃないかなって思うわけよ。」
A「言ってみろ。俺なりに実際のところどうか判断してやるから。」
Qは、その言葉を受けて、自身のルーティンについて話し始めた。
Q「俺のルーティンってのは、目覚ましが鳴る前に朝起きて、目覚ましのスイッチを切ることだっ!」
A「え、それルーティンでも何でもなくないか?」
Q「いいから、最後まで聞けって!」
A「お前の話、切れ目が分かり難いんだよ。てっきりそれで終わりだと思った。」
Q「俺ら何年友達やってんだよ! それくらい分かれよっ!」
二人は小学生の頃からの付き合いで、もう友達暦二桁年には突入している。だが、Aは何かと融通が利かず、空気を読めないため、独特なAの話の切れ目がまだ把握できていないのだ。おそらくこれから先もそのままだろう。
A「悪かった。茶々は入れるが最後まで結論は出さないようにする。」
Q「……。それでいいよ。で、だなあ、俺はこの後どうすると思う?」
A「唐突だな。だがまあ、お前のことだ。きっと、この後安心して眠りに就くんだろう。」
Q「当たり! 流石Aだな。空気は読めないが、俺のことはホント良く分かってるなっ。まあ、分かってないとこもあるけどさ。」
A「はは、そうだろう。で、話はそれで終わりか?」
Q「つれないなぁ。まだあるに決まってんだろ! 今日もよぉ、そのルーティンやって、で、朝のテレビでのルーティン特集見てよぉ、知ったわけだあ。ルーティンってやつを。で、俺ルーティンやってねぇ、もう? って思ったんだがよ、これ、絶対にいいように働くってわけじゃないのな。」
A「それはだな……。いや、最後まで話聞くって言ったばかりだったな。すまん。で? お前は何が言いたいんだ?」
Aは答えを提示したいという気持ちを抑えて、聞き役に徹した。
Q「俺のルーティンってのはな、つまり、二度寝なんだよ。目覚ましをセットしちゃうと、必ずそれよりすんごいすこ~しだけ早く起きて、目覚まし消しちゃうのよ。で、もう俺の睡眠を邪魔する奴は居ねぇ、ってまた寝ちゃうもんでよぉ。この間もまたそれで会社遅刻しちまったんだ。」
A「相変わらず遅刻魔だったのか、お前……。」
Q「ああ。でも、俺って仕事できるから謝りまくったら許してもらえるんだけどね。それに、絶対に遅れちゃ不味い日は遅刻したことないしなっ! それに俺、会社のエースだしっ!」
A「お前、なんか要領良かったからなあ。あんだけ遅刻しておきながら、大学でも留年しなかったしなあ。絶対遅刻できないテストの日は必ず時間通りに来るくせに、普段の講義遅刻しまくり、頭下げまくりだったからなあ。」
Q「でも、まあ俺はそれでもやっていけてる。じゃあそれでよくね?」
A「それもそうだな。」
Aも、要領はいい。Qには及ばないが。ただ、あらゆることでミスをしないので、優秀であり、Qほどではないが、会社でもうまくやっている。
Q「で、だ。俺ルーティンのせいで遅刻してるんじゃねって思うわけよ。」
A「まあ、お前の話を聞く限り、目覚ましを前日にセットしたら、目覚ましが鳴る時間よりも必ず早く起きて二度寝して、遅刻することになるってことか。」
Q「うわ、分かりやすっ!」
A「お前の話があまりに纏まってないからだよ。」
Q「でよぉ、俺どうしたらこれ辞められるかなぁ……。」
A「珍しく弱気だな。何かあったのか?」
Q「最近さぁ、彼女とのデートの約束、それですっぽかしたんだ。」
A「うわあ……。」
Q「なあ、頼むって、A。何とかしてくれよぉ~。」
Qはそう言って、Aの両肩を持って、擦った。
A「それなら、手があるぞ。」
Q「え、何何っ?」
A「目覚まし捨てろ。それと、彼女とのデートの約束は、絶対遅刻しちゃいけないものだと肝に銘じろ。それだけでいい。」
Q「あ、そういうことかぁ。さっすがQ。すっきりしたぜっ!」
Qは、解決の記念に乾杯しようと、追加の紅茶を頼み、Aもそれに応じて、新たに注がれた、マスカットっぽい甘い風味のする紅茶で乾杯した。
だが、Qは気づいていなかった。これでは根本的な問題は何も解決していないということに。マイナスに働くルーティンを何とかできたわけではないのだから。
ただ、Qの中にあった別のプラスに働くルーティンである、大事と思った用事が次の日にあると強く思えば、必ず間に合うように起きる、というルーティンを代わりに働かせただけなのだから。
このように、ルーティン(予備動作)は、必ずしも良いものばかりというものではない。良い行動へ繋がるルーティンばかり人々は口にするが、悪い行動に繋がるものもあるのだ。どうせなら、それを認識して、悪い行動を潰す工夫をすればいいのに。
だが、言っても無駄である。Aはそんなことを考えながら、Qが何も知らずに勝手に余分に棒砂糖三袋分を注いだ自分の紅茶を、一気に飲み干した。
Qは強烈でしつこい甘さが広がりを少しでも抑えるため、大きく溜息をついた。これでは、折角の、貴重で高級な、マスカット風味のするセカンドフラッシュのダージリンも台無しである、と。