第三十五話 「テメェは、ルイスがどんな奴でも受け止めるか?」
「とすりゃ、早い方がいいか。クガ、テメェいつヒマだ?」
「え? 今日ですか?」
「おう」
どうしてそんなこと聞くのかな?
疑問だから首を傾けたまま、答えない理由もないし素直に隊長さんに答える。
「この後、夕飯の仕込みの手伝いと厨房の受付をすれば、今日の分の仕事はおしまいですけど」
「そうか。……できれば夜は避けた方がいいだろうが、仕方ねぇ。一刻を争うからな」
「? あの……一刻を争うって」
「…………手を引かせる予定で、コレはテメェに伏せとくはずだった」
何を?
どうして深刻な表情を浮かべているんですか?
「奴の顔を、俺をふくめて他の奴らもここ数日間見てねぇ」
「…………え? それって」
つまり、仕事すら行けてないってことなの?
「どうして、ですか」
「あのバジリスクの発生の翌日だが、奴の気が立って勤務どころじゃねぇってわけで俺が強制で部屋に帰したんだよ」
「思い返しても頭が痛ぇ」なんてぼやいて、こめかみを押さえていますけど……。あの、一体何が起こったんですか?
「あ、あの?」
「……ワリィ、いや、んなこたぁどうだっていい。問題はその後だ。ほっときゃあ治っかと思ったが、悪化しやがってな」
悪化って?
……もしかして、アノ状態のときよりひどいってこと?
隊長さんは舌打ちを軽くして、頭を掻きむしってる。
「ま、コレは最近その兆候があったのを見逃した俺のミスでもあるな」
「兆候?」
そんなのが、あったの?
「…………テメェも見てるはずだ。気づいてないだけで」
「私、も?」
それって……どういうこと?
私が、その兆候を見てたって……。
「しかし、俺とテメェは持ってる情報が違ぇからな。テメェに責任はねぇ」
「……」
私が変に気負わないように言ってるのかもしれないけど……でも、それは本当なの?
実は、もっと前におかしいっていうところを見つけられたら、ルイスさんに異変は起きなかったかもしれないってこと?
「……なぁ、クガ。テメェは、ルイスがどんな奴でも受け止めるか?」
「え?」
急にどうしてそんなことを聞くの? 隊長さん?
どんなルイスさんでもって?
「いや、それは俺が聞くべきじゃねぇか」
「……あの」
詳しく聞きたかったのに、隊長さんは首を左右に振って言及を許さない体勢を見せられた。
「忘れろ。…………後で、テメェの仕事終わりに迎えに来る」
「……はい」
背を見せ去っていく隊長さんに、私は頷くことしかできなかった。
◇◇◇
「ここ、ですか」
「おう。……極力周りの部屋にいる野郎共が助けるだろうから、何かあったら叫べ。いいな」
極力って……どことなく不安になるんですけど。
扉の前で、私の横に並んで立つ隊長さんを見上げた。
このルイスさんの部屋まで案内してくれたのはありがたいんだけど……中までは付き添ってくれないってことなのかな。
「んな不安まみれの顔で見んな。俺だと、奴を刺激しちまうんだよ。状況が悪くなることはあるだろうが良くなることはねぇ」
「……わかりました」
配慮した結果が付き添わないってことなら、仕方ないよね。私より隊長さんの方がルイスさんと付き合いが長いんだから、きっと実際にそうなんだって思うよ。
「いいか。無理や深追いはするんじゃねぇ。クガに何かあれば、我に返ったときに苦しむのは奴だってことを忘れるんじゃねぇ」
「……はい」
ルイスさんは女の人に対しては不誠実な姿勢をつくってるけど、責任感があるってことも彼に関わり始めてからわかってきた。
だから、隊長さんの発言もすんなり理解できるよ。
「ここまで案内してくれて、ありがとうございました」
「いや、たいしたことじゃねぇよ。じゃ、俺は自宅へ帰るな」
「はい」
そういえば、隊長さんって家庭持ちで騎士舎じゃなくって敷地外に自分の家を持ってるって前に聞いてた。
だから、これってわざわざ私をここまで送ってきてくれたんだよね。ありがたいよ。
ルイスさんの部屋って騎士舎の一室ではあるけど、副隊長の役職の人の部屋って他の一般的な騎士の生活ゾーンの階とは違ってた。だから連れてこられないと、場所が正確にわからなかったと思う。
「……おい、クガ」
「? なんでしょうか」
立ち去ろうとして踵を返しかけてた足を止めて、隊長さんは私をひたと見つめていた。
「ルイスとは奴がガキの頃から面識があった。言わば奴は、俺の弟見てぇなモンだ。……ちっと、年は離れちまってるがな」
お互いに気を許してるとは感じてたけど、そんな前からの知り合いなの?
それで、ルイスさんが何で悩んでるかも把握してるってこと?
「だから、奴が長年苦しんでやがるのも知ってる。心が壊れかけているのを、必死に保ってんのが今の奴だ」
心が壊れる?
そこまでのことが、彼にあったってこと?
それが、今のルイスさんが不安定に見える原因?
「…………頼む、奴を救ってやってくれ。他でもねぇ、テメェじゃねぇとできねぇんだよ」
「………………私、は」
頭を下げる隊長さんが、初めて弱々しく見えた。
苦悩する表情に、ルイスさんが心配で隊長さん自身も悩んできたんだって思う。
「私に、何ができるかわかりません。でも……」
不用意に言葉を発しては駄目だってわかってる。
だから私は、今言えることだけを形にした。
「救えるなら救いたいって思います。だって――」
紡ぎかけた言葉が途中で止まった。
『だって』? ……私は、その後に何を続けるつもりだったのかな。
首を振って、打ち消した。
「……ルイスさんには、お世話になっていますから」
そう、これでいい。
それ以上の言葉なんて、今は必要ないはず。
「そうか。…………頼んだな」
「はい」
深く追求しない隊長さんは、何かを察したんだと思うけど。聞かれないことをいいことに、私も何事もなかったみたいに流した。
◇
背を向け去っていく隊長さんを見送ってから、私は扉に向き直った。
この中に、ルイスさんがいるんだよね。
まさか、食堂だけじゃなくて職場にも行ってないとは思わなかったよ。娼館に行ってるのかもって一瞬でも疑ったことに、罪悪感が湧いてきちゃう。
「ご飯とか食べてるのかな」
食堂に来てないってことは、食べてなさそうだよね。こんなことだったら何か軽食でも作って来ればよかったかも。
そもそも体調面とか大丈夫なの?
心配が尽きないよ。
とにかく、話してみるしかないよね。
それで、部屋から連れ出せそうなら食堂で料理長のベティさんにお願いして、軽食を作ってもらって食べてもらおうかな。
「うん」
流れを確認して、こぶしを構えた。
扉を軽く二回ノックする。木製の扉にあたって、コンコンっと軽い音がした。
息を吸い込んで、中にいるはずのルイスさんに話しかける。
「ルイスさん、私……久我です」
「……」
返事がないよ。
しばらく待っても、物音すらないなんて。
居留守をつかわれてるの?
……それともまさか、部屋の中で倒れてたりとか?
その可能性に思い当たって、血の気が引いた。焦りながらも、部屋に話しかけ続ける。
「っ! あ、の……っ! 入っても、いいですか?」
「………………な」
「え?」
何か、聞こえたような。
気のせい?
「あの……」
「入ってくるな!」
「っ!」
扉越しに激しく怒鳴られて、肩が思わず揺れた。
彼の怒気が、扉を通してまで伝わってくる。
どうして、そんなに怒ってるの?
そこまでのことを、気がついてないうちに私はしちゃったの?
ショックで涙が目に浮かびそうになるけど……ここで引くわけにいかないよ。
ルイスさんのもっと深いところまで知りたいって、そう決めてここに来たんだから。
「開けます、ね」
返事を待たずに私は扉を開けた。
一つだけある窓はカーテンがきっちりかかってる。部屋の明かりをつけてない室内は真っ暗になってた。
扉を開けっぱなしにするのは、会話とかが廊下に漏れたりしたらうるさくて近所迷惑だよね。後ろ手で扉を閉めとこうっと。
廊下から差し込んだ最後の光が、部屋に浮かび上がった二つの目を照らし出す。
その一対の瞳は、私を鋭い眼光で睨んでいた。
パタンと扉が完全に締め切った瞬間、私の視界は暗闇に包まれた。
「っ!?」
なに? すっごく強い力で腕を引っ張られたけど……?
背後からカチリと、鍵が回る音がした。
「え?」
鍵をかけられたの?
……なんで?
呆然として見上げる私と、闇の中でも鈍く光る目の視線が合った。
次回、28日12時投稿予定。
それでは次回も。よろしくお願いします!