第五十一話 「嘘つき」
相も変わらずに、レイモンドさん付きになった私の朝は早い。
鳥のさえずりにうながされながら、まぶたを上げて、眠気眼を擦る。おぼろげな意識は、すぐに洗面器で水を使って顔と一緒にすすぐ。
そのまま、いつもの仕事着のメイド服に着替えるんだけど。
そこに、新しくすることが最近一つ増えた。
服のシワがないかとか、首もとと腰のリボンが歪んでないか確認する。
それから、ベットのそばのテーブルに置かれていたものを手に取った。
チャリ、という軽い金属音。揺れる宝石の大きさは、何回見たって私には不相応だって思う。
首もとで揺れる新緑の宝石を軽くなでてから服の下にしまった。
こんな高価なもの本当は持ち歩くべきじゃないとは思ってる。
でも、身につけてることで、レイモンドさんをもっと身近に感じれる気がして、どうしてもやめられなかった。
借りてるだけって言ったのに。もしも急に元の世界に帰ることになったら、返すことだって叶わないのに。
胸の奥が軋んだ。痛い気持ちを、首を振って打ち消す。
落ち込んだ気分を無理矢理上昇させて、部屋の扉を開いた。
◇◇◇
その日は、何故だかレイモンドさんの様子がおかしかった。
どこかぼんやりと空を見たり、かと思えば険しい顔で書類を見たまま固まっていたり。そう、まさに心ここにあらずって感じがピッタリだった。
さすがにそんなのが続いたら、気になって仕方ない。
邪魔にならないように、いつも以上に気配を消して仕事をしてた。だけど、この状態が数時間も続いたんだから、聞いてもいいよね?
「あの……レイモンドさん? どうかしましたか?」
視線が合う。その途端、いつものしかめっ面になった。
「何がでしょうか。あなたにそのような余計な気を回される理由がありませんけれど?」
「……その紙、見るの3度目ですけど」
「っ! ……確認していただけですが」
そう言いながらレイモンドさんは、紙をわきに置きながら違う書類を手に取った。
机上にのったそれを見て、思わず口出ししてしまう。
「それは5度目です」
「…………」
レイモンドさんは、モノクルを黙っていじった。そしてそっとその紙を、書類の山に戻す。
何事もなかったかのように他の書類を手に取って――
……って、いや、レイモンドさん!? 誤魔化されませんからね!?
本当に、一体どうしたんですか!?
しかも気づいていますか! その新しく取った紙はさっき戻した、最初からのってたものですよ!?
「レイモンドさん、どうしたんですか? 本当に、今日変ですよ?」
あまりにもな言い方だったけど、そう言わざるを得ないよね。
仕事にならないような感じなんて、レイモンドさんらしくないというか……。
「なにか、あったんですか?」
そう勘繰らざるを得ないような状況。
それに、レイモンドさんの表情が険しいのも引っかかる。顔を観察しても、どういうことを抱えているのかまでわからない。
私の視線を受けて、レイモンドさんは口を閉ざしてた。
けれど、私が答えを聞くまで引き下がるつもりがないことがわかったみたいで、しばらくして特大のため息を吐きだした。
「……勘繰るのも大概になさい。なにもありません」
っ! 言う気はないってこと?
あくまでもしらを切ろうとする、その姿勢にカチンときた。
レイモンドさんに近づいて、彼の両頬を手のひらではさんだ。
両目を丸くした彼が、私をとらえてる。
「嘘つき」
なじっても、気なんか晴れない。彼の瞳の中の私が、睨み返してくる。
どう言えば、伝わる? どうすれば、彼の邪魔にならずにすむ?
グルグル悩んで、吐き出せなくて、苦しい。もやもやしてる胸の奥が、私を急かしてる。
「私は、レイモンドさんがつらいのは嫌です」
なにか背負っているのなら、その重荷を分けてほしい。
平凡な私ができることなんて、たかが知れてるけど。
それでも、何もしないままなんてできない。
以前の私なら、きっと一線引いて、関わらないようにしてたけど。
そんなの耐えられない。
好きな人には、笑っていてほしいから。
「私じゃ、頼りないかもしれないけど。でも……!」
伝えたいのに、声が震えてうまくいかない。
思わず、じれったさに唇を噛んでしまう。ふと、目の前のレイモンドさんが、ポツリとこぼした。
「……参りましたね」
触れる先の彼の顔が、表情を変えた。瞳を揺らして眉を下げる彼は、明らかに困ってた。
「あなたを苦しませるつもりは、ありませんでしたのに」
こぼれた吐息が、手首にかかる。思わず反射で手を引こうとしたら、片手が何かに捕まれた。
レイモンドさんの手のひらが、私の手の甲を包んでる。
彼の頬から離れようとしたはずの手が、他ならない彼自身にとらわれて身動きがとれない。
ソッと目を伏せられたら、そのまつげが長いって改めてわかるな、なんてことを考えてしまう。
瞳があうだけで、心が跳びはねた。
「あなたを狙う者が動き出したと、影から報告がありました」
影? ……情報屋みたいなものかな。
それに、私を狙う者って?
「狙われるだなんてそんな……私には、そんな価値なんてないのに」
「自覚がないのでしょうけれど、あなたはそのような立場にあります」
「どうしてですか?」
「何一つ、自身のことを理解されていませんね」
レイモンドさんが、深いため息を吐き出した。
首を傾けたら、ますますレイモンドさんの表情が怖くなった。
「あなたは、垂涎ものの存在なのですよ。その叡智が、マクファーソン商会にもたらした恩恵は幾多もあるでしょう?」
「私はただ、自分のほしい物とか、レイモンドさんとの取引で元の世界との違いを話しただけですけど」
物珍しいだけじゃないの? それに知識はいずれつきるものだと思う。
だから、価値も薄れていくと思うのに。
「……その様子ではまるで理解していないでしょう」
「え?」
深いため息をこぼして、レイモンドさんは肩を落とした。
まばたきをひとつしたら、彼の深い緑の瞳にとらわれた。
「誰が、それだけだと言いました?」
「へ?」
ツッと彼の細くしなやかな指が、私の手の甲をたどる。優しく触れられてるだけなのに、背筋がゾワゾワと浮き上がってしまう。
彼の目が、細くなる。射ぬかれてしまいそうな強い光がそこにはあって、身動きがとれない。
「その絹のように広がる髪に、星を散りばめた夜空のように輝く瞳。繊細で脆い細工物のような身体だけでなく、周りの者を惹きつける情が豊かな顔。その瞳に、自身だけを映して欲しいと請う者は、跡をたたないでしょう」
「っ!? レイモンド、さん……!?」
どうしたの!? レイモンドさんらしくないというか、アルでもあるまいし、こんなあまい言葉なんて。
耳から入った情報を飲み込めなくて、混乱するしかない。
だって! だってこんなの……!
ふ、とレイモンドさんと目が合った。
エメラルドみたいな瞳に、熱が見えたのは気のせい?
手の甲を触っていた彼の指が動く。手をつかんだかと思ったら、そのまま彼は自身の口元にそれを運んだ。
手のひらに伝わる、薄い、けどたしかに弾力のある感触。
手に口づけを、されてる。
目で入る情報と、手からうつる彼の熱に間違いなく現実だってわかるのに。
夢みたいで、幻覚か疑ってしまう。
切なそうに細くなる彼の潤んだ瞳に、喉がカッと熱くなる。足の裏から浮き上がってしまいそうなくらい、ジンと痺れそうな感覚。
「願わくば、それが己でありたい。そう想いを秘めた者は、いくらでもいますよ」
勘違い、してしまいそう。
そんな風に見つめられたら。シロップをまぶしたみたいな言葉を言われてしまったら。
熱に浮かされてグラグラする。思考が揺れてしまう。
ありえないのに。
レイモンドさんに口説かれてるのかも、なんて。
彼自身にも、そう思われてるのかな、って思ってしまうことだっておこがましいのに。
「レイモンドさんも」
自然と、口が動いていた。
何を聞こうとしてるのかって、冷静な自分が驚愕して止めようとしてるのに、勝手に言葉がこぼれていく。
「レイモンドさんも、そう思ってくれますか?」
一瞬目を見開いて固まった。
そして、再び表情をゆるめて、レイモンドさんは淡く笑った。
「そうです。……そうと、言ったら?」
なにそれ……っなにそれ!?
探る視線に、ブワッと頬が熱気にあてられたみたいに染まる。
ああ、もう。聞くんじゃなかった。
こんなの、反則じゃないかな?
あまくて、苦しい。この胸に宿ってる感情が、これでもかって程に暴れてる。
好きなのに。
好きだから。
うれしいのに、つらい。
『冗談ですよね?』って尋ねてしまえば、私はきっと壊れてしまう。
だから、何も言えなかった。
みっともなく求めてねだってしまいそう。
そうならどうか、私を好きになってください。
意気地無しで、自分もレイモンドさんも傷つけたくなくて、言えないくせに。
一人で考え込んで、パンクしてしまいそう。
なんて答えたらいいのかわからなくなって、固まってる私を、レイモンドさんはしばらく見ていた。けれどやがて、顔を背けた。
そして、咳ばらいを一つして、何事もなかったかのように切り出してきた。
「……ともかく。あなたは、危機感が不足しています」
……そんなこと言われたって。危機感も何も、どこか他人事というか、実感が湧かないんだけど。
私の心中を読んだかのように、レイモンドさんは不服そうに眉をつり上げた。
「あなたを狙う輩がいるのは事実。囲いがなければ、どうぞお好きに、とこちらから提示しているようなものです」
「対策が必要ということでしょうか」
「さすがにわかるようですね」
嫌味をすかさずはさんでくる。
さっきまでの空気を自分から一掃してしまう言動は、気を遣ってのものかな。
レイモンドさんの言おうとしてることはわかる。
だけど、それで私がどうすればいいのかまではわからない。
答えを持ってる、彼に聞くのが一番だよね。
「どうしたら、いいですか?」
レイモンドさんは一瞬視線をこっちによこした。だけどそれも、すぐに外れる。
「……1ヶ月、長くて3ヶ月は、屋敷からの外出を禁じます」
……なるほど、そうなっちゃうんですか。
「わかりました。おとなしくしていますね」
「……は?」
なんでビックリしてるの?
訝しそうに、信じられないものを見るような目で観察されてる。
い、居心地が悪い……!
身じろぎして逃れようとしても、彼の視線が追いかけてきた。
「それだけですか?」
「? はい」
確認するみたいな質問。もしかして理不尽だとか、フラストレーションがたまる、とか、言い出すと思ってたの?
そんなの、言うはずないのに。
だってレイモンドさんは一度、妹さんを襲撃で亡くしてる。なら、より警戒するのは当然だと思う。
ただ、それほどまでに警戒してるってことは。
「……何でしょうか?」
視線が合うと、怪訝そうな表情を浮かべられた。
ーー私は、彼にとって友人以上にはなれているのかな?
ふいにさっきまでのレイモンドさんの表情とあまい言葉がよぎって、首を振る。
過度の期待はしちゃいけない。裏切られたときにつらいから。
「…………いえ、なんでもないです」
否定して、取り直した。レイモンドさんにこの感情が読まれないように、微笑んでみせた。
「レイモンドさんのこと、信じていますから」
そう、信じてる。
理由もなく縛ろうとする人じゃないってことくらい、知ってるから。
だから、大丈夫。レイモンドさんなら、信じられる。
ううん、信じたいから、信じさせてほしい。
きっと彼なら、皮肉で毒舌な言動とは裏腹の、誠実な態度でしめしてくれるってそう思えるから。
「……釘を刺されたような気分ですね」
「え?」
「いえ、何もありません」
レイモンドさんは否定をしながら、モノクルをいじった。
小さなため息を吐いた後、彼は頷いてみせた。
「長くはかからぬよう、努めましょう。それまで、待っていなさい」
「はい」
ほら、彼はこんなにも優しい。
私をあくまでも気にかけるような言動に、思わず笑みがこぼれた。
やっとこさ終盤に近付いてまいりました。
あと10話程度で完結となります。
最後までお付き合いをいただけましたら幸いです。
次回は11月25日(水)0時更新予定。
それでは次回も。よろしくお願い致します。