第四十九話 「レイモンドさんは意地悪です!」
レイモンドさんにエスコートされて植物園を回ってたけど、ここで思いがけない特技が判明した。
「レイモンドさん、これは?」
「グムグム草。煎じれば塗り薬になりますね」
「……これは?」
「ラスズイですね。根は調合次第で毒を持つので、決して触らぬよう」
「…………じゃあこれって」
「モヨですね。葉は巻くだけで鎮静する効果が」
「いえ、ちょっと待ってください」
解説していたレイモンドさんを止める。
不審そうに見下ろしてるけど、そうじゃない。
「一つ聞いてもいいですか」
「はぁ、構いませんが」
「どうして薬になるか毒になるかの2択なんですか!?」
どう考えても変だよね!? 普通名称答えるだけ……でもすごいけど! だとしてもその補足はしないんじゃないかな!?
「いつ何時も対応できるようにですが」
「えええ……」
それで覚えたってこと?
戸惑ってレイモンドさんを見上げたら、ふいに顔をしかめた。
「マクファーソン家は商家です。他国や地方へ遠征視察や商談に赴くこともあります。その道中に薬が切れたらどうなります?」
「……!」
そっか、そういうときに処置に使うのは薬草。だからわかるってこと?
……? ちょっと待って? 薬効があるのを知ってるのはわかったけど、どうして。
「毒は、どうしてわかるんですか?」
「……」
モノクルをいじるだけじゃ、わからないよ。
ジッと彼の瞳を見つめ続けた。
彼が大きなため息を吐いて、渋々といった様子で口を開いたのは、しばらく経ってからだった。
「知識として、必要だったからですよ」
「……そんなのが、必要になるって」
誰かに盛るため? ううん、そんなはずないよね。
だとしたら、考えられるのはーー
「盛られたときに、対処法を知るためですか……?」
「……わかりませんよ? 誰かへの使用目的かもしれません」
一瞬よぎった考えを、レイモンドさん自身が口にする。
酷薄とした笑みに、探るような瞳。
逆にそれが、彼がそういった目的じゃないことの裏付けにしか見えない。
ひねくれてる彼の、精一杯の虚勢に映った。
私の反応に怯えてるみたいなのに、あえて怖がらせようとするなんて矛盾してる。
どうしてそんな嘘をついたのか、それはたぶん、私を心配させないため?
手を伸ばして彼の両頬を包んだ。私と視線を合わせてほしくて、そっと彼の顔の向きを変えた。
「レイモンドさん」
不安そうに揺れる彼の瞳。なんでもないような表情をして装ってるけど、私にはわかる。
以前だったら察せなかった、彼の感情の変化。それをくみ取れるようになってて心からよかったって思う。
「レイモンドさんが生きててくれて、嬉しいです」
間違えたりなんかしない。彼の見え透いた嘘に踊らされたりなんかしない。
自分自身を傷つけてまで、私に気を遣わないで。
私は大丈夫だから。レイモンドさんの身に何かあったのかは、知りたいけど。
「こういう時だけ、あなたは聡いのですね」
「こういう時だけってなんですか」
憎まれ口に軽い調子で言い返したら、彼の目が優しく見つめ返してくれた。
彼がそんな知識を身につけたのは、護身のためか、それとも妹さんの出来事で懐疑的になったせいなのかはわからない。
彼の取り巻く環境が、そうさせたんだと思う。
彼がどれだけ肩肘をはって、一人で抱え込んでるのかはわからない。
だって、このことですら、氷山の一角でしかないのかもしれないから。
ただ、その事実が悲しい。
私ができることはなんだろう。
ただの一介の女子高生だった私にできることなんて、たかが知れてるけど。
レイモンドさんが悩んでるときに、力になりたい。
そう考えるのは、おこがましいかな?
見上げたら、レイモンドさんが苦く笑う。
「あなたは、だから御しづらいのですよ。そういうことまで目をつけれないほど愚かであれば、容易かったでしょうに」
「……?」
変なの、まるで愚かであってほしいような言い方だよね。
ジッと見ていたら、レイモンドさんの手が頬に触れてきた。
「っ?」
「けれど、そうであったらこうはならなかったでしょう」
え!? な、なにっ!?
私の頬を包むみたいに触れてる。細くて長い指が、優しくなでてくるから、白昼夢とかじゃないとは思うけど。
混乱で目が回りそう。心臓だってバクバクして破裂しちゃうのかなってほど痛い。
「だからこそ私は、あなたをーー」
「レ、イモンド、さん……」
「……」
向けられる視線が、熱く感じるのは気のせい? それとも――
視線をはずせなくて、見つめあっていた。
口数を減らされると、不安になっちゃうんだけど。
レイモンドさんの指が動く。
持ち上がった手をぼうっと眺めてた。
指先が髪をかき分けて額に触れて。
「っ!? いったぁ……っ!?」
なんでいきなりデコピン!? こっちの世界にも通用するなんて実体験したくなかったんだけど!
涙目になって睨みつけたら、鼻で笑われた。そこは謝罪じゃないの!?
「間抜け面。良い気味ですね」
「~~っ! レイモンドさん!」
声にならないうめき声と文句をこめて名前を呼んだのに、レイモンドさんはそっぽ向いた。
ツンツンな態度に混乱とムカムカがとまらないんだけど!
さっきまでのあのたよりない表情は演技だったの!?
心配したし、ドキドキだってしたのに! 私の感情を返してほしい!
「あなたは余計な気を回さず、アホ面をさらしていればよいのです。私の事情など、取るに足りないことなのですから」
「アホ面って……! それにレイモンドさんの事情が取るに足りないなんて、そんなことありません!」
レイモンドさんの事情をどう判断するのかは、私なんだから。
前のめりになって否定したのに、片眉をわずかに上げるだけだった。さては信じていませんね!?
彼に指をつきつけて宣言する。行儀が悪いとかは多めに見てください! これは私の気合を表してるんだから。
「いいですか!」
息を吸って、彼を見上げる。
モノクルの先の瞳が私を映してる。口をへの字に曲げたレイモンドさんが、私の様子をうかがっていた。
「私は、レイモンドさんのことならなんだって知りたいし、教えてほしいんです!」
「は……?」
ポカンと口を開けた。
目を大きく見開いたレイモンドさんが、私を穴が開きそうなほどに観察してる。
あっけにとられた様子のレイモンドさんの表情に、満足感が湧いてくる。
どうですか。思い知りましたか!
心の中で鼻息を荒くしてたら、レイモンドさんが固まったまま動かない。
「……」
「レイモンドさん?」
「…………」
目を開けたまま寝ちゃってるとか? ううん、そんなわけないよね?
顔の前でヒラヒラ手を振ってみせても、反応なし。一体どうしちゃったのかな。
背伸びして、顔を近づけてみる。目をのぞきこんでも、焦点が合わないんだけど。え、本当に立ったまま気絶してる?
ふと、彼の瞳が動いた気がした。
「!? なっなぁあああああああああ!?」
「っちょ、レイモンドさん!?」
そんな急にエビぞりしたら、バランスが取れなくなって……!
そのまま後ろに数歩勢いよく後退したかと思ったら、案の定姿勢がグラッと後ろに傾いた。
「っ!?」
「レイモンドさんんんん!?」
すごく派手に尻もちをつきましたね!? というより、大丈夫!?
慌てて駆け寄って正面にしゃがんで、視線を合わせた。
……え。レイモンドさん、どうしてそんなに顔を赤くしてるのかな?
真っ赤に染まったレイモンドさんに、つられて私まで頬が赤くなっちゃう。
「ああああああああなたは!? あなたはですから! どうしてそのような恥ずかしいことを臆面もなく!!」
「へ?」
恥ずかしい? 何が?
首を傾けたら、ますます彼の顔色が変わっていく。口を開けては閉じてるけど、言葉にはならない文句を言ってるのがわかる。
片手で口元を覆ってるのに、全然赤くなった部分は隠れてない。色白な耳まで染まってるけど、どれだけ動揺してるの?
「無自覚ですか!? どこまで性悪なのですかあなたは!?」
「ええと、ごめんなさい?」
「わかってもいないのに謝罪は結構です!」
「えー……?」
じゃあどうしろって言うのかな……? 謝ったら怒られるって、そんなことある?
困るなぁ、なんて思ってるはずなのに。レイモンドさんの慌てふためいている姿がおかしいし、なんだかかわいいなって感じる。
……ああ、ダメ。ここで表情を崩したら余計にレイモンドさんの機嫌が悪くなるって予想つくのに。
「何を笑っているのですか!?」
「す、すみません……ふふ」
やっぱり怒り出しちゃった。
申し訳ないって気持ちはたしかにあるのに。それを上回るくらい、浮き立つ気持ちが抑えられなくて。
ささいなことで言い合えるのが楽しい。私の言葉が彼の感情に変化をあたえられることにムズムズする。
前じゃあり得なかった距離感。それが今は、こんなにそばに彼がいて。
数か月前までは、彼の強い口調や物言いに戸惑って腰が引けてたなんて嘘みたい。
「そのニヤニヤとした笑みはやめなさい!」
「えー?」
「えーではありません!」
ガミガミと叱ってくるレイモンドさんに、調子にのってからかってみる。
本気で怒ってる様子じゃないからいいかな、なんて。ふざけてみることだってできる。
「仕方ないですね、レイモンドさん」
「……何ですか、この手は」
「え? 立てないんですよね? 腰が抜けて」
差し出してみせた手を、レイモンドさんがいかにも不機嫌ですって顔で見てる。
私の返事に、彼の口元がひきつった。
「……ほう?」
黒い笑みが、こぼれていく。モノクルの奥の目が細くなって、にぶい光を放っていく。
…………あ、れ? もしかして、やりすぎ?
レイモンドさんから立ち上がるどす黒いオーラが目に見えそうで、思わず肩を揺らした。
伸ばしていた手をそろそろと引いて、ごまかし笑顔を浮かべてみせる。
「な、なーんて、冗談――」
「そうですか、では借りましょうか」
「えっ!?」
グイッと手をつかまれて、引かれた。
ちょっと、ええ!? こんなの、バランス崩しちゃうに決まってるよ!
「わっ!?」
耐えられるはずもなくて倒れた先にいたのは、レイモンドさんの腕の中だった。
着地点としてもおかしいけど! どうして私は抱きしめられてるの!?
「ちょ、え、レイモンドさん!?」
「おや、失礼しました。勢いあまって引っ張ってしまいました」
そんな見え見えな嘘、通用するわけないよね!?
「だ、抱きっ抱きしめ……!?」
「ええ、勢いが強すぎたのでしょうね。申し訳ありません」
いけしゃあしゃあと! 嘘ばっかり! なりゆきでそんなことなるわけない!
っく!? レイモンドさんの腕の拘束が強すぎて逃げられない!
もがいて離れようとしたのに、びくともしないんだけど!
耳元で笑わないでください! ゾワゾワして落ち着かないから!
「良い気味です。ざまあみなさい」
「! レ、レイモンドさんは意地悪です!」
「なんとでも。それに、あなたがどうこう言えるとでも?」
「うっ」
ひ、否定できない……! さっきまでからかおうとしたことが仇になるなんて。
「ほ、ほら、周りの目もありますし」
「片手よりも少ない他の客しかないでしょう」
すぐにバッサリと切り捨てる辺り、レイモンドさんらしい。行動は全然普段と違うけど!
仕返しにしても、これはちょっと恥ずかしいんだけど!
「汚れちゃいますし!」
「すでに手遅れでしょう」
このままじゃ言いくるめられる! ううん、もしかしなくても時すでに遅しってやつかもっ!?
退路を着実になくされて、おまけに物理的にも自由がない。あ、これ詰みかな。
彼の吐息で髪が揺れて、そのことにビクッと肩を揺らした。
「男慣れしていませんね」
「あ、当たり前じゃないですか! そもそもこんなの、初めてなんですから!」
「ほう?」
何故楽しそうに笑うの!? レイモンドさんってば、普段こんなキャラじゃないよね!?
「それは良いことを聞きました」
どういうこと? 私をからかうネタができて嬉しいとか?
「これに懲りたら無為に人を煽るのはやめなさい」
「煽ってなんか」
否定しようとしたのに、レイモンドさんが私の耳に唇を近づけてきた。
だから吐息が!! 色っぽい吐息が耳にかかっています!! 誰か助けてください!
「でなければ、悪しき男に食われてしまいますからね」
「~~っひゃい!」
今まさに、その状態だと思います! むしろ実演してくれてるだけですか!?
それ以外に意味はないんですよね?
聞きたいけど、声の裏返った返事しかできない。しかも噛んだ。
バクバク鳴る心臓のせいで、全身がカッと熱くなってる。
鏡をみたら、きっと首まで赤くなってる気がするよ。
レイモンドさんが読めない。
どうしてこんなことするのかな?
答えなんてでないから、思わずうめいて。
そんな私を見て、レイモンドさんは小さく笑った。
なんでこの人達は付き合っていないのか……
次回は8月2日(日)12時投稿予定。
それでは次回も。よろしくお願いします!