第四十六話 「昨日のこと、覚えていないんですか?」
目が覚めたら、夢かと思った。
まず視界に入ったのは、鮮やかな緑。そこから徐々に視野を広げたら、スッキリとした中性キレイめ美形の顔が飛び込んできた。
「っ!?」
とっさに口を押さえた私、エライ!
声を上げたら間違いなく、面倒事に発展したよ。爽やかな朝が消えることは確実になったはず。
おはようございます、久我璃桜です。
今、私はレイモンドさんのベッドで寝てるみたいです。……彼と一緒に。
うん、唐突に自己確認をするくらいには混乱してる。
昨晩の会話とかを思い出しても、ちっとも現状に理解できない。
一番不明なのは、あんなにドキドキしてたのに爆睡した自分のことだけど。
カーテン越しの光が、レイモンドさんにあたる。絵画みたいな、神々しいくらいキレイな光景。
……夢、じゃないよね?
指を伸ばしてしまったこと気づいたのは、彼の髪に触れた瞬間。
手触りのいい、癖一つない髪。寝癖だって、この様子ならないと思う。
それはちょっと、残念かな。だらしないレイモンドさんも見てみたい気がする。
「サラサラ……」
私より、髪質いいんじゃないかな。ううん、悔しい、けど。レイモンドさんなら仕方ないかなって思う。
寝てる人に無断でこういうことをしてちゃいけないとは、わかってるけど。何故か手を引けない。
安らかな彼の寝顔。いつもは険しい山脈を築いてる眉間も、今はなだらかな平地で。
モノクルを外してるから、大人びた雰囲気の彼も、顔立ちは幼さを残してるのがわかる。
こうして見ると、レイモンドさんって、もしかして私よりそんなに年は離れてないのかも?
「レイモンドさん」
ソッと声をかけても、起きる気配がない。
目を覚まして、淡い緑の瞳を見たい。だけど、この穏やかな一瞬も、手放したくない。
違う世界で、好きな人と一緒に朝を迎えられる。
今日彼が、一番最初に目に入るのが私になったら。
それって、すごい奇跡だよね?
伏せられたまつげが、彼の頬に影を落としてる。
元の世界にいたら、間違いなくモデルにスカウトがくる整った顔立ち。
外見もステキだけど。
素直じゃなくて、憎まれ口を言ったり。
意外と優しいのに、誤魔化して。
照れ屋だから皮肉をつい口にするのも。
面倒見がよくて、人のことをよく見てるところも。
全部。全部が私は--
「大好き、です」
思わず、口からこぼれた独り言。
とっさに唇を押さえたけど、レイモンドさんは起きる様子がない。
よかった、聞かれてなかったみたい。
いずれ、この世界を去るから口にしたって、迷惑にもならないかもしれない。
けど、少しでも、彼の心の重しにはなりたくなんてない。
だから、この想いは伝えちゃいけないって思ってる。
届かなくていい。不毛な恋でもいい。
私が、彼のことを好き。ただ、それだけなんだから。
「……ん」
短い吐息が、ふっと私の髪を撫でた。
もぞもぞ身動ぎしてる。もしかして、そろそろ起きるのかな。
長いまつげが震える。その下からのぞいた瞳は焦点が合ってない。ぼーっとしてる?
目が合ってるはずなのに、無反応。
み、見られてる……! そんなまばたきもなくジッと見られたら、穴が空きそう。
おまけに無表情だし。きっと寝ぼけてるんだとは思うんだけど。
「あの……レイモンド、さん?」
無言のまま、彼の腕が持ち上がる。
「っ!?」
グイッと強く引かれて、囲いこまれた!?
だ、だき、抱きしめ、られ……っ!?
え、えええ、なんっ!? なに、なんなのかなっこの状況!?
後頭部がくすぐったいんだけど、もしかして頭なでてるの!?
そもそも距離が……! 近いっていうより、ないよね!?
人肌でポワポワ温かくなるって気分じゃない。心臓がバクバクするし、レイモンドさんからいい匂いするし、彼の寝息みたいな嘆息がかすかにかかるし!
情報量が多すぎるから! 対応なんてできないよ!
身動ぎしたら、ますます腕に力が込もってきた!? ぬ、抜け出すこともできない……。
声をかけようにも、レイモンドさんの服に口をふさがれてて、くぐもった音しかでない。
も、もう少し離して……!
でないと、レイモンドさんが起きる前に、心臓が破裂しちゃいそう!
「……? あたた、かい…………?」
ふにゃふにゃって気の抜けた声が降ってくる。
もしかして、起きそう?
締め付ける力がフッとなくなったから、慌てて顔を離した。
ふぅ、これで息苦しさも、ドキドキも収まる。
顔を上に動かしたら、一対の瞳と目が合った。
トロンとしたエメラルド色の瞳が、私を映す。
「お、おはよう、ございます?」
とりあえず、あいさつをしてみた。
レイモンドさんの目に光が宿る。と、同時にグワッと見開いた。
「~~っ!?!!?!?」
声にならない悲鳴と同時に、ものすごい勢いで後ずさる。
あ、ベッドから転げ落ちた。すごい音がしたし、どこかぶつけてそうな鈍い音もしたけど、大丈夫かな。
ソッと近寄ってみたら、レイモンドさんが顔を真っ赤にして見上げてきた。
「な、あ、あえ、あああああなた! 何故!?」
「昨日のこと、覚えていないんですか?」
「はっ!? はぁっっ!?」
首を傾けたら、ますます彼の顔が色づいてく。ううん、赤の絵の具で塗られたみたい。血管切れちゃわないかってくらい、赤いよ?
そもそも、寝起き悪すぎませんか?
どれだけ寝ぼけてるのかな? 私は、色んなレイモンドさんが見れてお得だけど。
「き、昨日!? 昨日っ…………!」
あ、思い出してる?
ちょっと意識が覚醒してきたのかな?
焦りが少し減ったみたい。
いつもより深い眉間のシワが、レイモンドさんの心境を表してるね。
長い沈黙。あからさまに冷静になっていく様を観察できるのは、ちょっと面白い。
「…………ああ、そういえばそうでしたね。おはようございます」
誤魔化そうとしてる!? それはいくらなんでも無茶だって、レイモンドさん!
さっきまでの慌てっぷりは早々脳内からは消えないですよ!
思わず口をポカンと開けてたら、目が合った彼に咳払いをされた。
白々すぎるよ。もう、コントか演技の一種?って疑いたくなるレベルだって、レイモンドさん……。
尻もちをついた状態から、スクッと立ち上がる。片手を鼻にあてても、モノクルはそこにはないですよ。
いつもの調子になんとか戻ろうとしてるレイモンドさんを見守る。
気にしないでくださいって、声をかけよう。
口を動かそうとしたけど、廊下が妙ににぎやかなような?
ドアの開閉音。と、同時に、忙しなく動き回る足音。
「ご無事ですか、レイモンド様!?」
「坊っちゃま! 爺が今助けに! 来、ました……ぞ?」
足を踏み込んできた、セバスチャンさんに、アンナさん。
二人と、バッチリ目が合った。
あ、ヤバい。
スウッと、二人が同時に息を吸い込んだ。
「きゃあああああああ、奥様! 旦那様! 朗報ですぅうううううううううう!!!」
「祝杯の準備を取り計らうように致します。上等の赤ワインをご用意しなくては!」
マクファーソンの屋敷に、二人の声が響いた。
◇◇◇
かつてこれほど、気まずい朝食は経験したことないんだけど。
顔を上げたら、微笑むアンジェさんにジョシュアさん。給仕してる人達からも生ぬるい視線を向けられてる。
そして、仏頂面のレイモンドさん。眉間のシワが倍増してる。
おもむろに、にやけ顔のジョシュアさんが口を開く。
「それで? いつの間に二人は同衾するほどに仲を深めたのかな」
「「っごほ!?」」
ど、どどどどどうきん!?
否定したいけど、今の爆弾発言で変なところに唾が入って苦しい。
私と同時にむせたレイモンドさんは、咳き込んでるせいで頬を赤くしてる。
と、とりあえずジェスチャーでもいいから否定しなきゃ。こんな誤解、レイモンドさんに迷惑でしょ!
高速で首を左右に振って、何もないアピールを充分にしとく。
「寝言を言うのであれば、寝室にお戻りください」
先に復活したレイモンドさんが皮肉を返してる。だけど咳き込んでたせいで、声がすごく震えてる。
「おや、レイモンドにしては異なことを。夜を共に過ごし、朝を迎えたならば相違ないだろうに」
「っ! …………そ、れは」
口ごもったレイモンドさんを、いまだに咳き込みながらエールを心の中で送る。
頑張ってください、レイモンドさん。援護したいけど声がまだ出せないんです。
レイモンドさんがジョシュアさんから視線を外した。
「これには、致し方ない理由がありましたから」
「ほぅ? ぜひとも聞きたいものだね? 年頃の男女がそうなるには、大層な理由が存在するだろうとも」
「……」
だ、ダメだぁあああああああ!!? レイモンドさんが完全におされてる!
レイモンドさんが皮肉が得意なのは絶対、ジョシュアさんの血の影響だよねっ!?
真綿でじわじわ首を絞めるみたいな言葉に、レイモンドさんは息を詰まらせてる。
険しい顔は、なんとか打開する方法を探しているんだと思う。
「聡い私の息子ならば、問いたいことはわかるだろう?」
「……ええ」
「ならば、しかるべき対応を。良いね?」
「…………」
話が読めない。二人は何のことだかわかってるみたいだけど。
レイモンドさんは、ますます顔をしかめて怖い表情をしてる。モノクルの位置を直してる彼から、どことなく冷気が漂ってきてるような……?
「お言葉ですが。この件に関しましては口をつぐんでいただきたい」
「……ふむ。それはどのような意図なのか、私が得心できるよう説いてくれねば、承知しかねるな」
朗らかに笑ってるけど、ジョシュアさんの雰囲気はピリッとしてる。
二人の様子は何だか、大きな商談をしてるみたいな感じで。
「私の意志は、父様の意向に沿うものでしょう」
「ほぅ? 認めるのかい?」
問いに、レイモンドさんは嫌そうな表情を浮かべた。
そもそも、ジョシュアさんの意向って何? 今朝のことに関係があるんだよね?
「少なくともこの場で返す言葉は、必要性が皆無なのでありません。…………私のことはともかく、彼女はそうとは限らないでしょう。無理強いは私の意に反します」
「……なるほど。一理はあるようだが……」
考え込むジョシュアさんを、極めて冷静な様子で観察するみたいにレイモンドさんは見てる。
「それ以前に、強要される謂われはございません。そのような意図を見せれば、途端にすり抜けていくような気がしてなりませんから」
「…………ふむ、気質を解しての意志か。ならばこれ以上は野暮とだろう。レイモンド、しっかりな」
「私を見くびっているようですね、父様は。甚だ不快ですので、今後この話題は挙げないでいただきたいです」
……? 二人の中で何か着地点を見出だしたのかな。頷いてるジョシュアさんを、フンッと鼻を鳴らして見やってるレイモンドさん。
私にはわからないうちに話が落ち着いたみたい。
ふと、レイモンドさんと目が合った。
「何ですか。拝見料を徴収しますよ」
「……オムレツでいいですか?」
「あなたは馬鹿ですか」
朝食のオムレツがのった皿を、レイモンドさんに差し出したら冷たい目で見られた。なにもそんな、あきれきった表情しなくてもいいのに。
もそもそと切り分けたオムレツを口に運びながら、心の中でだけ文句を呟く。おいしいのに。
だいぶ遅くなり、申し訳ありません。
次回は4月12日(日)12時に投稿予定。
それでは次回も。よろしくお願いします!