第四十二話 「うつむくのはやめなさい」
「お騒がせ、しました……」
「全くです」
鼻を鳴らすレイモンドさんの顔が見れない。
しばらく夜風にあたったら、だいぶ意識がハッキリしてきた。と同時に我に返って、サァッと顔中から血の気が引いたのは、つい先程。
ボンヤリとしか思い出せないけど、変なこととか言ってないよね!?
あああでも、それより! もたれかかっちゃったり、何よりキ、スをーー
「何を間抜け面をさらしているのですか?」
「な、なななななっんでも! ありません!!」
そう! なんでもない! なんでもないから!!
問い質したい気持ちは、もちろんあるけど。それ以上にさっきのことを何故したのか、理由を聞くほうが怖い。
冗談? からかいで? その、どちらかしかありえない。そう、だよね?
相変わらず不機嫌そうな顔でこっちを見てる。さっきの雰囲気なんて、ちっとも残してない。
あれは、私が見た夢? ううん、そんなはずない、けど……。
信じられないっていうのが、正直な感想。軽い気持ちでそういうことをしそうにない彼だからこそ、距離感に困っちゃう。
「体調は支障ありませんか?」
「っ? あ、は、い……大丈夫、です」
いつもの毒舌を吐いたかと思ったら、こんな気遣い。突然そんなことされたら、ますますどうしたらいいのかわからなくなるよ。
戸惑いながら頷いても、レイモンドさんは「そうですか」と軽く相づちを打つだけ。
私の内心の混乱なんて、彼は気にもしてないのかな。
「であれば、会場に戻りましょう」
「わかりました。また、あいさつ回りですか?」
一番最初に国王様にあいさつして、その後はレイモンドさんの勧めるまま総当たりでしていった。結構な人数に対してしたと思ったんだけど。
「あなたは馬鹿ですか」
「どうしていきなり罵倒されたんですか、私」
間髪入れずに嘲笑がきたんだけど。
もしかして、もしかしなくたって、さっきまでの私のやらかしを引きずってますよね!? だからいつもより素っ気ないんですか!?
「あなたは何のためにここに来たのですか?」
「何のため……?」
何のためって、舞踏会があるから参加をって言われたからだよね。…………舞踏、会?
もしかして、レイモンドさんが言いたいのはーー
「まだ私達、踊ってませんよね……?」
「ええ、その通りです。察する能力は、悪くはないようですね」
そのやる気のない感じで手を叩くのやめてください。完全に馬鹿にしていますよね?
でもそっか。そう、だよね……舞踏会に来たからには、踊らないといけないよね。
……今からでも、まだ具合が悪いフリでもしたいんだけど。
「認めませんよ」
「!? し、しませんよ!? というより、私、口に出していませんよね!?」
「表情に全てあらわれているのですよ、あなたの場合は」
そ、そうなの? ううん、でもきっと、それだけじゃないと思う。単にレイモンドさんの洞察力が高すぎるだけなんじゃないのかな?
「私と踊ることに対して、異論があるとでも?」
「え?」
レイモンドさんと、踊る?
「何ですかその、考えもしなかったというような反応は。まさか他の者と取り付けでもあると?」
「っ!? え、ええ!? いえ、そういうことじゃなくって! 私が、今驚いてるのは……」
険しい顔をしてるレイモンドさんが、何を言及したいのかなんてわからない。
そもそも他の者って、またそんなこと言ってるの?
「レイモンドさんが言うような他の人と約束なんてしてません! そうじゃなくて舞踏会でパートナーを組むのは、一緒に踊ることもふくむってことがよくわかってなかったから……」
「…………今更ですか」
「そう、ですね」
あからさまにあきれた声で言われた。
「それで?」
「え?」
「踊るのはやめますか?」
…………レイモンドさんの申し出は、正直に言ったらありがたい。だけど、ここの常識に疎い私でも、舞踏会で踊らないのは異質だってことくらいわかる。
つまり、ここで私が頷いちゃったら、レイモンドさんにも影響が出るんじゃないかな。
「……いえ、やります」
大丈夫。今日まで毎日何度も練習したんだから。レイモンドさんの顔に泥を塗っちゃうことにはならないはず。
ジッとレイモンドさんを見上げたら、緑色の瞳と目が合った、
しばらく何も言わないで見つめてきた。かと思ったら、唐突に大きなため息を吐き出された。
「あなたという方は、損な性格をしていますね」
「そうでしょうか?」
「ええ、物事をいつの間にやら押し付けられる、面倒事に巻き込まれるのもたびたびあるでしょう?」
「そんなこと」
「ありますよね。現に今もそうではありませんか」
畳み掛けてくるレイモンドさんの勢いに負けそう。彼の言葉にうながされて、考えてみる。
たしかに、彼の言う事態になって、困ったり嫌だなって思ったことがないって言ったら嘘になる。
「嫌なこともありましたけど、悪いことばっかりじゃないですよ?」
例えば、この世界に来たことだって。
最初は戸惑ったし、どうして私がって思った。
でも、レイモンドさんやマクファーソン家の人々に会えた。
いけないって思うくらい、私はこの世界にーー
……っ!? 私……今、何を考えたの?
そんなこと、思っちゃいけないのに。元の世界に、戻らなきゃいけないのに。
私がいていい場所じゃ、ないのに。
許されるはずない。私が、私なんかが、望むなんて。
「ーーガ? 聞こえていますか、クガ?」
「!? あ……」
レイモンドさんの、新緑みたいな瞳と目が合う。その目が、心配そうな色を宿してた。
いつの間にか、ジッと見られてた?
「な、何ですか?」
「……それは、こちらが問いたいですね。急に沈黙した挙句、顔を青ざめるなど。まさか吐き気を催したわけでは」
「ち、違います! ただ、ちょっとその、考え事を」
私、青ざめてた? そんなこと、自覚なかったけど……。
レイモンドさんが言うことが本当なら、そう勘違いされてもしょうがないかも。
首を振って大丈夫だって伝えると、彼の眉間のシワが少し薄れた。
考えなきゃいけないことはたしかにある。それに、こういうことは時間を置くほうがよくないから。
私は、無意識のうちに目を逸らしてたのかもしれない。
きちんと、改めて見つめ直さないと。
私がどうすべきかを。
「……行きますよ」
「え?」
彼の声が聞こえたかと思ったら、右手が捕まれた。
そのまま手を引かれて、無理やり彼の腕をつかまされた。
急に何? あ、でも会場に戻るとかって言ってたような……。
彼の足早なエスコートに、歩幅が自然と広くなる。
こんなんじゃ、淑女なんて呼べないよね? このまま戻るのはちょっとまずいような。
「レイモンドさん! もう少しでいいですから、ゆっくり歩いてくれませんか?」
「っ!? ……失礼致しました」
足を止めてくれた。よかった、あのままだったら、慣れないヒールってこともあって転びそうだったから。
ホッと息をついたら、彼から視線を向けられてることに気づいた。
目が自然と合ったはずなのに、すぐに逸らされる。代わりに降ってきたのは、取りなすような咳払い。
「では、参りましょうか」
「っふふ、はい」
照れ臭いのかな? 少しだけ頬を染めてるレイモンドさんが、かわいいって思っちゃう。
我慢できなくって笑ったら、ジト目で睨まれた。
色々悩んでたはずで、考えなきゃいけないはずで。すぐに違うことに気をとられちゃいけないはずなのに。
『私が楽しんでいいのかな?』とも思うんだけど。
好きな人のことになると、そういうのが全部飛んじゃう。
悪いことだって、わかってるのに。気持ちがフワフワして、胸の奥がジンワリ温かい。
彼の腕にかけた指先に、ちょっとだけ力を込める。
私が笑うのも、この指から伝わる熱も。全部本物で現実。
そのことを、改めて感じたら、泣きたくなった。
いつまでこのままでいれるのかな。
どれくらい、この感情が育つの?
わからないことが怖いなんて、初めて知った。
「うつむくのはやめなさい」
体を傾けて、私と組んでないほうの指を伸ばしてくる。ボウッと近づいてくるその指を見ていた。
大量の事務仕事で羽根ペンを酷使してるせいでできたのかな。中指の第一間接辺りに根付いてるタコが、彼の真面目な性格を表してる。
彼の指が、私の頬をなぞった。
「えっ……!?」
包み込んで触れてくる手が、ヒンヤリしてて気持ちいい。
きっとそう感じちゃうのは、また私の顔に熱が集まってるせいだ。
だってこんなの、ドキドキするに決まってる。
そんな優しく、ソッと触られたら、勘違いしそうになるのに。
私が彼にとって、大切な存在なんじゃないかって。
ありえないことを考えたって、迷惑にしかならない。うぬぼれたくもないし、そもそもレイモンドさんだって面倒でしかないはず。
邪魔になんてなりたくない。ただでさえ私は、ここではイレギュラーでしかないんだから。
無意識に下げていた首を上げたら、レイモンドさんがこっちを観察してた。
さっきまではそっぽを向いてたのに、今は私をジッと見てる。
「暗い雰囲気では、この場にそぐわないでしょう」
「……すみません」
表に出ちゃってたのかな。それは、レイモンドさんも注意するよね。
隣に辛気くさい顔してる人がいたら、つられて気が滅入っちゃうかもしれないし。
「別に責めてるわけではありませんので、謝罪は結構です」
「……」
謝罪を聞き入れたくもないってこと、じゃないよね? もしそうだったら、悲しい。
心が沈んでいく。マイナス思考のままじゃダメだってわかってるのに。
「私が言いたいのは、そのようなことではありません」
「! また、顔に出てました……?」
「ええ、ハッキリと」
自分じゃわからないけど、レイモンドさんが言うならそうなんだよね。
頬を優しく撫でてくる手を、嬉しいって思う。
「似合わない顔をするのはやめなさい」
目元をやさしく拭われる。涙も何も出てないから、サラリとなぞられていく。
「あなたにはいつもの、何も考えていなそうな間抜けな顔で充分です」
「……何ですか、それ」
彼の言い分が、滅茶苦茶だ。
ホメてるのか、貶してるのか、わかりにくいにも程があるんじゃないのかな?
けどそれが、彼らしくてクスッと笑っちゃった。
心配してるってわかりにくい、照れ隠し半分の言葉。
口調の端々で感じ取れる優しい言い方が、その気遣うような瞳が、全てを伝えてくれてる。
この世界に来てすぐだったら、きっと、彼の言葉の意を正確にはくみ取れなかった。
愛おしい人の、不器用な優しさをわかるようになったこと。
それが何より、この世界に馴染むようになった証拠みたいで、嬉しくて、切ない。
胸の奥が痛くなって、表情がまた歪みそうになって、慌てて元に戻した。
彼の優しさを踏みにじることなんてしたくない。
だから私は、必死に隠さなきゃ。
だってこの苦しみは、私があがいてる証だって、そう思うから。
「行きましょう」
だから、大丈夫。まだ私は、堕ちてない。堕ちるわけにはいかないんだから。
次はいよいよ舞踏会編最後。
次回は11月20日(水)0時投稿予定です。
それでは次回も。よろしくお願いします!
追伸:早く書き上がったので、6日(水)12時に次話投稿します