第三十三話 「棒読みで笑いを言う必要、ありましたか?」
久しぶりの休日。私は、王宮図書館で本を選んでた。
最近バタバタしてて読書をする余裕がなかったけど、このままじゃいけないって思い立っての行動だった。
ついでに以前に借りた本も返却する。貸し出し期限は長くて3か月。厳しく設けられてないのが幸いだったよ。
「ここからここは、読んだよね」
小声で呟いたのに響いたのは、辺りに人がいないせい。相も変わらず、この図書館はシンッと静まり返ってて、まるで他の利用者に会わない。
鉢合わせしたのなんて、ずっと前にセオドールさんとくらいだ。
でもあの時は結局、お互いに苦い思いしかしなかったから、やっぱり誰かに会わないほうがいいのかもしれない。
切り替えて、目の前の書物の壁を見上げた。何度見ても、この私の身長なんて余裕で超える本の数は圧巻しちゃう。列や室内の奥行きを考えたら、際限なんてないんじゃないかなんて錯覚してしまいそう。
夜の寝る前とか、休日の時間しか使っていないから、ほとんど読み進められてない。ここの蔵書を比較したら、私が読んだ冊数なんて微々たるものでしかない。
「…………っ」
これを全て読み切れるとしたら、いつになるのかな。
ううん、そもそもこの中に、私が元の世界に戻るための方法が書いてあるかどうかすら、確証なんてないのに。
絶望感にグラッと足が揺らいでしまいそうになる。『こんなことをやっても無駄でしかないんじゃない?』なんて、そんな考えすら浮かんでくる。
時間を置いたせい? そんなこと、前からわかってたことなのに。
なんで改めて実感しちゃったんだろう。
考えなしにただ本を読み進めておけば、こんなこと考えなくてもいいのかもしれない。でも、一度思い当たったら、不安が重くのしかかってくる。
胸の奥がつっかえて、苦しい。まるで、水の中に深く沈んでいくみたいな。
砂の中から砂金を探すみたいな作業だって、わかってるけど。どんなに不毛な作業だとしても、止められない。
だって、やめたほうがもっと不安にあるだけだってわかってるから。
「しっかり、しなくちゃ……」
迷いを断ち切って、進むしかないんだから。私は、元の世界に戻らなきゃいけない。それは変わらないことで、変えちゃいけないことなんだから。
そっと指を伸ばして、目の前の棚の書物を手に取る。
「この国の貴族一覧……? こんなものまであるの?」
何が手掛かりになるかわからないとはいえ、あんまり関係なさそうな本はサッと流し読みをすることにしてる。
でも、今私がいるパンプ王国に関する物は別。一度レイモンドさんにこの世界の一般常識も知らなくて言及されたのを反省点にして、せめてこの国については知識を蓄えたほうがいいかなって思い直したから。
元の世界に戻るにしても、それまではこの世界で過ごすために知識はあるだけあったほうがいいはず。
表紙をめくったら、黄ばみがかった中身が見えた。ページをめくるたびにホコリが舞い上がりそうなくらい古びた物みたい。
家系図、ってわけでもないのかな。そこまでしちゃうと、情報管理の問題で危ないとか?
どの名家がどういった成り立ちで爵位を得たかとか、王族が臣籍降下して新しく公爵家になったとか。そういったことが長い歴史と一緒に細かく書かれてる。
程々に流し読みをする。ううん、これは借りようか迷う内容かも。でも念のために読んだほうがいいのかな?
「あれ?」
無作為にめくっていたページで目にとまった単語が、妙に親近感というか、既視感があるような。
この本の最後のほうのページにあるけど、これって、まさか……。
「マクファーソン伯爵……?」
ええっと、これってまさか。まさか、だよね……?
ジョシュアさんもアンジェさんも、それにレイモンドさんだって、『マクファーソン商会』って言ってるんだから。商家だってことも、散々聞いたし。
ただ、家名が同じなだけなんだよね?
「……無関係って、信じたいけど」
でもこういうのって、よくマンガとかである展開だよね。それで大抵ってこういう場合は……。
…………これは見なかったことにしとこう。
せめてもの抵抗で、その本は借りずに元の位置に戻しておいた。
「他にはどんな本があるかな」
視線をそらして、目に入れないようにする。心を無にして、唱える。
ワタシハ、ナニモミテイマセン。
◇◇◇
「舞踏会、ですか?」
夕方まで図書館で過ごして、ずっと本を読んで頭をフル回転させてたせいか、いつもよりご飯がおいしく感じるなー。
なんて、のほほんと食事してたときに降ってわいた話題。聞き慣れない言葉に、思わず繰り返したけど。
同じ食卓についてるジョシュアさんは、穏やかに笑ってる。アンジェさんはニコニコしてるし、レイモンドさんは苦い顔をしてるけど、二人とも驚いてない。
二人はあらかじめ知ってたのかな?
「そうだ、その舞踏会だがじきに招かれることになるだろう」
「さすがに、兄様の直々の招待状は断れないものね。申し訳ないわ、あなた」
「何を言っているんだい? 星のように輝く姿をエスコートできるのだから、これほど幸福なことはないさ。月夜に降り立った妖精のような君を、最もそばで愛でさせてもらえるかい?」
「まぁ! ふふふっ……もちろんよ、私だけの旦那様。私も、あなたの精悍な魅力があふれる装いを瞳にやけつけたいわ」
「アンジェ」
「ジョシュア」
…………二人の世界に入り込んでるけど、結構な爆弾発言が混じってたような。
とりあえず、親のラブラブッぷりに険しい顔をしてるレイモンドさんに確認しよう。聞き間違いってこともあるだろうから、うん。
とりあえず、一番聞き捨てならなかったのは。
「アンジェさんの『兄様』って」
「母様の兄君はこの国の王、つまりパンプ王国を治めておられる、現陛下を指します」
「…………へいか」
「度しがたいですが、このバカップルの片割れは陛下の妹君ですね。臣籍降下はされてますが」
ふーん。
………………え。
「えええええええええぇぇぇぇぇっっ!?」
思わず勢いよく立ち上がった影響で、イスが後ろに倒れかかった。それはできるスーパー執事、セバスチャンさんがすかさず支えてくれたから。
相変わらず背後に立たれれても気配すらないってどういうことか気にはなるけど、今回は置いとく。セバスチャンさんだから、の一言で済ませよう。
いつもだったら「慎みをもちなさい」とか「やかましいですよ」なんて厳しい声がかかりそうなのに、レイモンドさんは無言のまま。ため息を一つこぼしてはいるとはいえ、叱責は飛んでこない。
まるで私の反応予想してたみたい。
自分達の世界から戻ってきたアンジェさんが、わずかに首を傾ける。
「あら、言ってなかったかしら?」
「彼女の動揺から察せるでしょう」
「おや、そういえば私も失念していたかもしれないね」
「『かも』ではなく『していた』のです」
額を押さえながらうめくようにレイモンドさんが発言を差し込んでる。
「何故肝心なことを伝えていないのですか!?」
あ、ついに怒った。うんでも、よく辛抱して話してたと思う。レイモンドさん几帳面だから、すぐに噴火したっておかしくなかったのに。
「自分は違うように言っているがね、レイモンドも変わらないだろう?」
「重要事項を当主よりも先に伝える者がどこにいますか!? 身をわきまえているのです、私は!」
「堅いな、レイモンドは」
「真っ当な意見でしょう!?」
憤慨してるレイモンドさんに対して、ジョシュアさんは肩をすくめるだけ。さすが父親というか、なんというか。あんなペンギンも驚くくらいの冷気を放たれて凍らずにいられるのは、中々いないよ。
「レイモンドに何度も怒られるのは気が滅入るから、良い機会ととらえて説明するとしようか」
ジョシュアさんに勧められるまま、もう一度食事の席につく。
夕飯よりもすっかり会話に集中しちゃう。というより、気を抜いたらまたサラッとすごいこと言われそうで。
身構えた私を見て、レイモンドさんは深いため息を吐いた。
私の様子になのか、それともジョシュアさん達ののほほんとした感じに対してなのか。……どっちにも、かもしれない。
「マクファーソンは代々続く商家でね。数代前に交易で他国への共和の架け橋にもなった功績から、男爵位を賜った。あくまでも経理や商いにのみしか関心を抱かない当時の家長は拝領を辞退したために、領地は持ち合わせてないがね。それでも、一介の貴族ではあった」
商売人なのは血筋なんだね。初対面のときマクファーソンに無反応なことを面白そうに指摘してたのは、そういうこと? 商人として身を立てて貴族入りしたのを知らないって人は、この国でいないってことなのかも。
改めて考えても、よく私森の中で遭遇できたよね。
「私の代にて爵位が男爵から伯爵へと繰り上がったのだが……。しかしこれは、単なる付随した事柄でしかないな」
「? 何か国のためになることをしたとかじゃないんですか?」
苦笑してるけど、爵位が変わるってすごいことだと思うんだけど。違うのかな?
「私はただ、凛と咲く一輪の花を手に入れただけだとも。周囲に恨まれ、妬まれようがこれだけはゆずれなくてね」
「まぁ、あなた。心惹かれたのは私が先よ? 命の輝きがあふれる深緑の瞳に映ることを、私が独占したかっただけよ」
うん、普段通り仲が良いですね。……じゃなくって! 今とっても真面目な話してたよね!? どうしてそれが、ノロケ話に激変したの!?
これはツッコんでいいところ!? 幸せそうにラブラブしてる二人に申し訳なくてできそうにないんだけど!
「こういう場合は、遠慮なく引き裂きなさい。むしろ、たびたび気にとめてしまえば、こちらの精神が続きません」
「……そういうものですか?」
「そういうものです」
私の心を読んだみたいにレイモンドさんが声をかけてくれたんだけど。
でもやっぱりこう、良い雰囲気になってる二人に横やり入れるのは勇気がいるよ。何より気まずいし。
戸惑ってる私と、見つめあってる二人を交互に見て、レイモンドさんは息を吐いた。
「要は、このバカップルが大恋愛(笑)の末、王族だった母様が婚姻で降る際に、帳尻合わせでマクファーソンが伯爵位に収まったということです」
「棒読みで笑いを言う必要、ありましたか?」
レイモンドさんは口だけでなく、鼻で笑ってた。親の仲睦まじさを目の当たりにして、心がすさんでるのかも。
でも、そっか。ジョシュアさんもアンジェさんも仲が良いとは思ってたけど、そんな経緯があったのなら今の状態も納得。
「婚約者がいなかったときに出会ったのがせめてもの救いだったと、我が親ながら思いますよ」
「……二人でしたら、駆け落ちでもしそうですよね」
うん、即座に決断してやってそう。私がそう相づちを打つと、あからさまに顔をしかめて「やめてください」と言われた。
ロミジュリみたいにあっさり引くなんてことは、この人達には無理だね、きっと。
「それよりも、あなたはわかっていますか?」
「? 何がですか?」
「このような茶番を見せられるようになった、発端のことです」
茶番って……自分の親に対してずいぶん辛辣なこと言ってる。
発端、そういえば何だったかな? たしか、そう。
「舞踏会……?」
でもそれで? 舞踏会なんて貴族でもこの国の人でもない私には、関係ないことだよね。
「ああそうだ。伝えそびれていたが、その舞踏会にはリオン、君も呼ばれているのだよ」
「ドレス選びが楽しみよね! リオンちゃんには何が似合うかしら」
「え?」
え。
「ええええええええぇぇぇぇぇ!?」
本日2回目の叫び声に、レイモンドさんがあきれたように嘆息してるのが視界に見えた。
「ですから肝心なことはしかと伝えるよう、言っているのでしょうに」
次回は27日(日)12時に投稿予定です。
それでは次回も。よろしくお願いします!