第三十一話 「心臓が持たないよ……!」
レイモンドさんの専属使用人として働くことになってから、数日。まだまだ慣れたなんて口が裂けても言えないけど。
それでも絶対に言えるのは、その仕事内容の幅がすごく広いってこと。
まずは起床をうながすのはもちろん。来客がきたら対応するレイモンドさんの側で控えて、紅茶とかの給仕。
そういった彼だけの使用人として行動するのは当然のこと。さらに、レイモンドさんのスケジュール管理もしなくちゃいけない。
……これって、元の世界で言う秘書の仕事と、ほとんど変わらないんじゃないのかな。といっても、私はまだ高校生で秘書になったことはないから、あくまでも推測だけど。
でも、間違っていない気もする。
そして、スケジュール管理を任されるようになった私は、予定を確認ついでに、レイモンドさんに伝えてる。
ただ、しつこくない程度にだけど。
だってレイモンドさんのことだから、しっかり暗記してそうな気もするし。それなのに何度も繰り返したら、「しつこいですよ」なんて怒られそう。
「今日はこれから、市街地にある店の視察に行くことになってます」
「ああ、そういえば本日でしたか」
レイモンドさんは書類に署名する手を止めずに頷いた。話しながら普通に仕事を続けられるんだからすごい。書類をさばく動きにも影響なんて見えないし。
「あなたの耳にも届いているかもしれませんが、水の日は必ず王都支店の視察へ行きます。あなたも付き人として向かうことになるでしょうから、覚えておくようになさい」
「はい。……それと、聞いてもいいですか? 王都支店ということは、そのうち違うところにも店があるってことですよね? そこにもそのうち視察に行くってことですか?」
作業の手は止めないで、レイモンドさんが視線を一瞬だけ私に向けてきた。目を細めて、どこか感心した様子で頷かれた。
「あなたにしては察しが良いですね。ええ、その通りです。とはいえ、全店舗を1年間で巡るのは現実性がありませんので、売り上げが比較的高い店舗や主都に所在する店舗のいずれかを2か月に一度視察します」
一言余計だし、何か気になることを言ってたような。
『全店舗を1年間で巡るのは現実性がない』っていうのは、どういうことなのかな。
「他の店は各地に点在しているから距離的に見に行けないってことですか?」
「その理由もあります。けれど最も大きな理由は、店舗数が膨大なので巡るだけで1年が経過する点です」
「……なるほど」
屋敷の敷地面積からわかってはいたけど、改めて再認識したよ。マクファーソン商会って、巨大な会社だったんだね。
あんまり考えないようにしてたけど、私がしてきたことって結構すごいことだったりするの?
「それで、知ったあなたは今後どうします?」
「え?」
「就く仕事を変えたいのならば、他の場所にあてますが。最も、先日までいた厨房がいいのであれば、そちらにいたします」
忙しなく動いてたはずのレイモンドさんの手は、ピタッと止まってる。彼は私の顔をジッと観察していた。
ここの屋敷にいるようになってから、そこそこ日にちが経ってる。
だけど私は、それなのにマクファーソン商会がそんなに大手だってことは、全然知らなかった。たぶん、ジョシュアさんもアンジェさんもあえて触れなかったんだと思う。
知ったら、私が遠慮したり距離をおくって考えたのかも。
きっとそれは、レイモンドさんも同じで。
私に教えてくれて、専属使用人をやめるか聞いた。そのことだけだったら、やっぱり嫌われてるのかなった思ってたと思う。
これまでの、私だったら。
でも、細かく見たらそんなことないって、すぐにわかる。
返答を待つレイモンドさんの瞳は、頼りなくゆらゆら揺らいでる。眉間にあるシワの数だって、いつもより多いし。
聞いたのに、自分の発言を肯定されるのを恐れてるみたい。
平然とした様子で聞こうとしたみたいなのに、動揺を隠しきれてない。
レイモンドさんにとって私は、どうでもいい存在とか、嫌いな対象にあてはまらないってことが、間近に確かめられて。
それがとても――
「何をヘラヘラと笑っているのですか」
「あ……」
表情に出ちゃったのかな。自分のことなのにちっとも自覚なんてなかったよ。
だってそんなの、嬉しいに決まってる。
我慢なんてできそうもないよ。
きっと私は、今も笑顔になってるんだと思う。
「レイモンドさん、私はこのままこの仕事を続けたいです。やめたくなんて、ありません」
だから、そんなに訝しげに私を見ないでいいよ。不安なんて感じなくていいのに。
「たしかに、マクファーソン商会がそんなにすごいってことは、ちっとも知りませんでした」
「ええ、そうでしょうとも。あなたは、こことは異なる地から来たのですから」
相づちを打つレイモンドさんは、私の様子をうかがってる。
もしも。この屋敷に来てすぐの頃だったら、皆との関り合い方を見直したのかもしれない。
だけど、私は知ってる。アンジェさんもジョシュアさんも、優しくて温かいって。
金持ちとか、地位とか、そんなのにとらわれて考えてたら、もったいないくらいの、いい人達。
線引きをするのは簡単だと思う。だけどどうせ私は、この世界の常識に疎いんだから、それを強みにしてもいいんじゃないかな。
「でも私は、マクファーソン家の人達が好きです。だからこれからも今まで通り、仕えさせてください」
「……」
レイモンドさんは、もしかしたら私が離れていくんじゃないかなって思ったのかもしれない。
でも、そんなことしないよ。私は、レイモンドさんの力になりたいって、そう思ってるから。
まだ何もできてないのに、やめるなんてできない。
せめて、私が元の世界に帰るまで、何か恩返しをしたいな。
「……異なる世界の人間は、皆こうなのでしょうか」
「? 何がですか?」
「…………いえ、おそらくあなたが変人なだけでしょうね」
「なんで突然私をけなし始めたんですか」
私の笑顔がそんなに気にくわなかったのかな。レイモンドさんは特大のため息を吐いて、説明してくれそうにないけど。
うつむいて眉間に指先をあててる。もしかして、私にあきれて頭痛でも起こしてるとか?
考えすぎだよね。きっとそこまでのことじゃない、はず。
レイモンドさんってば、そのままの体勢で固まっちゃった。沈黙がしばらく続くのは、耐えきれないんだけど。
「……レイモンドさん?」
「…………あなたは」
「? はい」
「あなたはおそらく、自身の発言がどれほど奇異なのか、自覚してはいないのでしょうね」
今度は変って言われた!?
声のトーンから考えて、あきれてるみたいじゃないとはわかるけど。でもどうしてそんなに静かに言うの!?
彼の手に阻まれて、その表情は見ることができない。だから、レイモンドさんが結局何が言いたいのかは、それだけじゃわからないよ。
なんとかのぞきこめないかな? ちょっとそわそわして、レイモンドさんの様子を探ってみる。
……うーん、ダメみたい。
「……利益や財力に目が眩まない者は、金貨よりも手に入らないものですが」
「!」
背伸びしたり、体を少しだけずらしてたら、レイモンドさんが眉間にあてていた手を外した。
彼の瞳と、目が合う。
「道端に転がっているなど、あなたを拾った父様と母様は実に運に恵まれていますね」
「!? わ、わらっ!?」
フッと唇の端を上げてる。レイモンドさんが、優しそうに微笑んでる。
たまにする嘲笑とか、前に見た意地悪そうなのじゃない。ふんわりとした、やわらかい空気をまとってる。
うわぁ……! 元々がすっごく美人だから、笑顔になるとまぶしい! 心なしかキラキラしてるように見えるよ。
固まってた私に気づいた途端、すぐに普段のように険しい表情になっちゃった。
ああもう、もったいないよ! いつまでも眺めていたいくらい綺麗だったのに、こんな一瞬で消えちゃうなんて。
せっかくだったらもっと見ときたかったな。
「……何を呆けているのですか」
「! だ、だってですね、レイモンドさんが笑うから……!」
「は? 何ですかその言い様は。私が笑うのがおかしいとでも?」
「いいえ、そんなこと!」
物珍しいとは思ったけど、変じゃないよ。ジロッと睨まれて問い詰められたのを、全力で首を振って否定する。
「ただちょっと、見とれてただけです!」
「は?」
「…………っあ!?」
つい本音が出ちゃったよ!? でもこれはこれでマズイよね!?
その証拠に、レイモンドさんの眉間のしわが増えてちゃってるよ! 顔が赤くなってきてるのは、怒ってるからなのかな!? 血管が切れそうになるくらい、怒ってるってこと!?
「いえ、あの! 初めて見たレイモンドさんの笑顔がキレイすぎて、その、動けなくなってたというか……!」
「……」
「け、決してその表情が変で固まってたわけじゃないです! むしろもっと見ていたいぐらいですから!」
「……」
何か言ってよぉぉおおおおお!?
なぜ無言でドンドン顔の色を濃くしてくの!? ますます怒らせるようなこと言ってるってこと!?
でも、ここで弁明を中断するのも怖いよ。かといって、口を開いて話続けるのも、悪化しそうな気もする。
これって完全にどつぼにはまってるよね!?
レイモンドさんのシワの数も増えてるし! 何が問題なの!?
「そ……の……っわ、忘れて、くださいっっ!!」
私が言ったことが気に入らないんだったら、ぜひ忘れてほしい。水に流してなかったことにしようよ、ねっ?
だから、怖い形相のままでいるのは、さすがにやめませんか!? 気まずいんですよ!
目が合ってるのに無言になる時間がどれほど続いたか。しばらくしてやっと、レイモンドさんは表情を変えてくれた。
「あなたという方は、本当に、稀有な存在ですね」
「……!」
ため息混じりに、あきれ半分に笑われた。苦笑って表現がピッタリ当てはまるのに、どこか優しい。
ツンツンしてるのに、どこか雰囲気はやわらかい。1日に2回もレイモンドさんのレアな顔が見れちゃうなんて。
嬉しい、けど。こんなのが続いちゃったら……!
「心臓が持たないよ……!」
「は? 何か言いましたか?」
「っ! な、なんでもありません!」
ドキドキしすぎて、苦しいくらい。
めずらしい表情を見せてくれるのは、ちょっとは私を信用してくれてるのかな。
その可能性を考えただけでも、頭から湯気が出ちゃいそう。
嬉しい。恥ずかしい。
その二つの感情が暴れまわって、ワーッと叫んで床を転がりたいくらい。
もちろんしないよ? レイモンドさんに白い目で見られるし。
誰に対しても、こんな気持ちを持ったことなんてない。須江先輩にだって、ないのに。
――この気持ちは、なんなのかな?
新年あけましておめでとうございます!
すっかり遅くなっての投稿となりました。
そういえば先日、この連載も3周年目を迎えました。ノロノロと確実に更新を続けて行きますので、これからもどうかよろしくお願いします!
次回は2月3日(日)12時更新予定。それでは次回も。よろしくお願いします!