第二十九話 「私、レイモンドさんのことをわかるようになりたいです」
レイモンドさんの乱心とも言うべきような、あの出来事。仮に「あーん事件」って名付けたいと思う。
あれは、予想外に尾を引いた。主に、私に対して。
例えば、普段の仕事中にふいに思い出して慌てたり、ぼうっとしちゃうことだってあった。
なによりも、レイモンドさんの近くにいると、若干ぎこちなくなったりとか距離をとるようになってしまってる。
……だからって、お見舞いに行かなくなるのもあからさますぎて、毎日顔を見には行ってたけど。
態度が変わった私を見て、レイモンドさんは不快に感じるかと思いきや、何故か満足そうに頷いてた。
気になって聞いてみたら、「ようやく男性に対しての警戒心が芽生えましたか」だって。
余計なお世話すぎないかな!? そもそも、レイモンドさんのせいなんだからね!?
ともかく、仕事もせずに安静にしてたレイモンドさんは順調に回復していった。
そして、風邪を完治した日の朝食時。
ジョシュアさんの口から、特大の爆弾が落とされた。
「レイモンドの専属使用人に、リオンを就けたいのだが、どうかな?」
「は?」
「え?」
私とレイモンドさんの短い疑問の声が重なった。
何かの聞き間違い? 専属使用人とかなんとか、聞こえたような気がしたんだけど。
目の前で朝ごはんのパンをちぎりながら、ジョシュアさんは爽やかに笑う。まるでコーヒーのCMのシーンみたいな優雅さがあるね。
「おや? 聞こえなかったかい? レイモンドの専属使用人をリオンにしたい、そう告げたのだが」
聞き間違いじゃなかった……!?
思わずギョッとして言い出したジョシュアさんを観察してみたけど、どうも冗談のつもりではなさそう。
夢とか聞き間違いじゃないか確認するために、ソッと横目でレイモンドさんを見る。
あ、現実だ。レイモンドさんが朝から眉間のシワを寄せて見事な山脈を作ってる。ナイフとフォークを持ってた両手を下ろしたのは、完全にこれから問いただすためだよね。
「寝ぼけているのでしょう。セバス、桶にたっぷり水をくんで、父様にかけてやりなさい」
「あら! レイちゃんたら、冗談も言えるようになったのね? ステキよ! 以前のすました態度よりずぅっとかわいいわ!」
「ハハハ、そうだな。アンジェの言うように、ずいぶんと肩の力が抜けたじゃないか」
「黙りなさい、この色ボケ夫婦」
朗らかな二人の会話を見事にピシャリとはねのけてる。当然と言えば当然だけど、レイモンドさん機嫌悪いね。
段々暖かくなってきたと感じてたはずなのに、今は寒気がするくらい。原因は間違いなく、場を威圧してるレイモンドさんの怒気のせいだ。
こめかみにうっすら血管を浮かばせながら、レイモンドさんはモノクルをかけ直した。
「一応、言い訳に耳を貸しましょう。そのような結論に到る動機はなんですか」
「元々、専属使用人をつける予定ではあったんだよ。お前の立場上、一人もお付きがいないのは効率を鑑みても、体裁も悪い」
「無駄な気を回さないでいただきたいのですが? 私は一人でもーー」
「その結果、近頃伏せていたのはどこの誰だったか、聞いてもいいかい?」
「……」
うわぁ。レイモンドさんが見事にやり込められてる。ブスッとあからさまに不服極まりないって表情なのに、言い返せないみたい。
口を固く結んで、ヘの字に曲げてる。
「これは、多面から考えてのことだ。お前はしきりに専属使用人を渋ってはいたが、今回の件を契機にとらえてね」
「自己管理が至らなかったことは、認めましょう。けれど、このようなことはそうそう起こるものではーー」
「私は予防がしたいのだよ。誰が好んで息子の苦しむ姿を見たいと望むかい?」
「……」
口を挟んだそばから、レイモンドさんの意見は却下された。
ニコニコ笑ってるのに、すっごく押しが強いんだけど。ジョシュアさん、今回のレイモンドさんが倒れたことに対して色々と文句があるみたい。
レイモンドさん自身も、ジョシュアさんの発言が心配からくるのが大きいってこともわかってるのかな。文句は言うけど、強くは反抗してないのがその証拠だと思う。
「言わばリオンは抑止力だ。お前が無茶しないための、ね」
え。ええ!? 私!?
思わず叫びそうになったのを、なんとかこらえたけど。意味がわからないよ。
抑止力ってなに!? 私が、レイモンドさんにそんな影響力なんてないはずだよね?
レイモンドさんも思うところがあるみたいで、目をさらに細くしてジョシュアさんの様子を一瞬だって見逃さないように観察してる。
「……彼女がそうなり得るとでも?」
「少なくとも、無下にはできないだろう? お前は、この子を気に入っていることは、屋敷内の者の周知の事実だ」
え、ちょっとまた聞き逃せない発言がありましたよね!?
レイモンドさんが私を気に入ってる? それもそのことが屋敷の人達が知ってるって……!?
最近変な感じで生暖かい視線がやけに飛んでくるな、とは感じてたけど。もしかしてそれが原因なの?
ううん、そもそもそんなのって皆の思い違いじゃないの? レイモンドさんはたぶん私のことなんて嫌いじゃないだけで、気に入ってるわけじゃないと思うのに。
「……あなたは?」
「っは、はい? なんですか?」
「あなたはこの件について、どのように考えているのですか」
レイモンドさんに聞かれたから、考えてみる。
私は……。
「ビックリしました、けど。それ以外、特には?」
「は? 賛否のどちらもないのですか」
私の返事に、レイモンドさんは不服そう。でも、それ以外言い様がないよ。
「賛成とか反対より、仕事もわかってないのに迷惑をかけてしまう可能性のほうが浮かんで……」
「あなた自身の仕事に関しての苦言はないと? 例えば、常に私と行動を共にする羽目になる点についても言及はしないということでしょうか?」
「? レイモンドさんと一緒にいることについてですか?」
それは専属使用人になるんだから当然じゃないのかな。どうしてそれを改まって指摘する必要があるの?
不思議で思わず首を傾げたら、レイモンドさんの眉間のシワの量が3割増しになった。何故。
彼が意図するところはわからないけど、とりあえず素直に答えとこう。黙ってても機嫌を悪くさせるだけだし。
「いえ、それもべつに何もないですよ? ……あ、なるべくレイモンドさんの目障りにならないように気をつけますね」
「!? …………ハァ」
え、何? その特大のため息。いかにもあきれたって言いたそうな視線までついてきてるよ?
「あなたという方は。何故そのような発想にいたるのです。私が尋ねたかったこととは全く異なるのですが」
「? 違うんですか?」
「……まぁ、半分は合っていましたが」
? 合ってたの?
それにしては、レイモンドさんの表情が渋いんだけど。
「それならどうして、そんな不機嫌そうな顔をしてるんですか?」
「……べつに、あなたが気にとめる必要などありません! ええ、全くもってありませんとも!」
「? そう、なんですか?」
クワッと気迫を込めなくてもいいのに。レイモンドさんが嫌がるなら、必要以上のことは深堀しないよ。
レイモンドさんの心境がわからなくて混乱していたら、クスクスと笑い声が聞こえた。
「ふふ……レイちゃんったら、昔からカワイイわ! 照れ隠しするときのクセも変わらないなんて!」
「そうだな、アンジェ。それでいて、本人は隠した気になっているのだから、堪らないよ」
「うっうるさいですよっっ!! 黙りなさい、そこのバカップルが!」
「照れ隠し?」
え、そうなの? でもレイモンドさんがどもって制止しようとするってことは、そうなんだよね?
……たしかに、ちょっとだけ耳が赤くなってるような? それに、モノクルも片手でいじってるし。
「そうなんですか?」
「っ!? あ、あなたまで何を聞いてくるのですか!?」
いや、だって本人に聞くのが一番かなって思ったんだけど。
度肝を抜いた様子で、レイモンドさんは身体を少し引いた。普段の堂々とした態度とは違って、戸惑ってるって丸わかりの表情に、目も忙しなく泳いでる。
看病しに行ったときにも、うっすら感じてたけど……もしかして、レイモンドさんって。
「意外と、顔に出るタイプ?」
「はぁ!? そのようなわけがないでしょう!?」
「あら、うふふふふ」
「おや、バレてしまったようだよ? レイモンド」
「ですから、あなた方は! 口をはさまないでいただけますか!?」
頭の中で、キャンキャンって吠えて威嚇する柴犬が浮かぶよ。
声を荒げていかにも怒ってますって険しい表情なのに、全然怖くなんてない。
前までは、レイモンドさんが考えてることが全然わからなかった。怒ってるか厳しそうな顔ばっかりしてるって思っていたけど。見方を変えてみたら、少しだけわかったかも。
彼の顔から感情を読み取るのは、きっとコツがいるだけ。慣れたら、レイモンドさんのことをもっとわかることができるようになるんじゃないかな。
「……もっと私、レイモンドさんのことをわかるようになりたいです。だから……さっきのどっちでもいいって発言は、取り消させてください」
「は? 私の、ことを?」
「はい」
つっかえながら聞き返してきたレイモンドさんに、頷いてみせる。
うん、決めた。私はもっと、レイモンドさんのことが知りたい。
「専属使用人の話、受けてもいいですか?」
「!? は、何をあなたは言い出しているのですか!?」
まっすぐ見上げて、レイモンドさんの顔を見つめた。
焦ってるっていうことくらいは、わかる。でも、彼がこの話に乗り気かどうかなんて、わからない。
だから、もっとレイモンドさんと関わって、彼のことを深く知りたい。
もう二度と、勘違いなんてしたりしないように。
視線が合ったと思ったら、パッと一瞬で外されてしまった。そっぽ向かれたら、ますます表情なんて読めないよ。
それでも、細くてしなやかな彼の指が、その鼻にかかってるモノクルを動かす音が聞こえた。
「……勝手になさい」
「! はい! よろしくお願いします!!」
前に言われたことがある言葉なのに、こんなにも違う。
同じ言葉でも、今回はすっごく嬉しい。
心が緩んでつい笑ったら、レイモンドさんに横目で睨まれた。
「せいぜい、足を引っ張らないようになさい」
「はい」
まだまだレイモンドさんのことは、わからないことだらけだけど。
きっとこれは、照れ隠し、だよね?
次回は12月12日(水)0時投稿予定。
それでは次回も。よろしくお願いします!