第二十四話 「『あの子』って、誰ですか?」
「っ! アンジェさん、ジョシュアさん!」
「リオンちゃん……」
ジョシュアさんがパタンと扉を閉ざす音が聞こえて、急いで駆け寄った。レイモンドさんの部屋に通じる扉から出てきたアンジェさんとジョシュアさんの表情は晴れない。
レイモンドさんが倒れてから、慌ただしく彼は自室に運ばれた。そのままお医者様の検診があったけど、私は仕事場に戻りなさいってうながされてしまった。
だけど、よっぽど浮かない表情をしてたのかな。すぐヴェルツさんに、追い出された。「今日は仕事はいい。セバスチャンに話は通してやるから、さっさとレイモンド様のところに行け」なんて後押しもされて。
もしかしたら、そのくらい使い物にならなかったってことなのかも。申し訳ない気持ちももちろんあったけど、正直ありがたいよ。遠慮なんてする余裕はなくって、ヴェルツさんの申し出を素直に受け入れた。
レイモンドさんの部屋の扉の外に立ってはいたけど、入りづらくってウロウロ様子をうかがっていた時。ちょうど、アンジェさんとジョシュアさんが出てきた。
一人の使用人でしかない私は、中には入れないと思う。だけど居合わせた者として、彼の今の状態が知りたかった。
……単純に心配だって、本当は言い切りたい。けどレイモンドさんは、私に心配されるのなんて不本意だって言いそうだから。
でも、様子を聞くくらいは、目をつむっててほしいな。
「あの、レイモンドさんの体調は……?」
「医師の見立てでは風邪だそうだ。薬も処方されたから、数日安静にしていれば治るはずさ。ああ、つい先程意識も戻ったよ」
「っ! よかったぁ……!」
ホッとして、口から長い息がこぼれたよ。もっと重い病気とかじゃなくって、本当によかった。
「心配かけてごめんなさいね」
苦笑をほんのり顔にのせるアンジェさんは、今にも倒れちゃいそうなくらい顔色が悪い。アンジェさんも病人、とかじゃないよね?
レイモンドさんのことが、それくらい心配だってこと? でも、それにしては様子が違うように感じるのは気のせい?
「それでリオン。不躾ではあるけれど、君があの部屋にいた理由を説明してもらえるかい」
「……セバスチャンさんに頼まれたんです。部屋の掃除をしてほしいって」
「なるほど。彼の差し金、というわけか。……全く、荒療治にも程があるだろう。セバスにも困ったものだ」
そう言いながら、ジョシュアさんはおもむろに深いため息をついて、眉間に寄ったしわをもみほぐしてる。セバスチャンさんが私に頼んだわけを知ってるみたい。
それにもしかして、私があの部屋にいたこととレイモンドさんが倒れたことは関係があるの?
でも、それは私が聞いてもいいことなのかな。
「……安心なさい、レイモンドの異変はリオンのせいではないよ。近頃無理をしたしわ寄せが、あの子に一気に来ただけだ」
「!」
表情に出ちゃってたのかな? ジョシュアさんに気をつかわれちゃった。
でも、その『無理をした』って……?
……ぼかして詳しい理由を話さないのは、私には必要ないことだからかな。それとも、その無理をしたこと私が関わってる、とか。
「……リオンはあの子とは違って聡いね。詳しいことは、レイモンド本人に尋ねなさい」
肯定も否定もしてないけど、ジョシュアさんの物言いからして、どっちかが当たった、ってこと?
それに気になるのはそこだけじゃない。
「『あの子』って、誰ですか?」
「…………」
ジョシュアさんの目が細くなる。悲しそうに、懐かしそうに微笑んでるのは、彼だけじゃなくて隣に立つアンジェさんもだった。
「君が入った部屋の、主のことだ」
「……その人は、今、どこにいるんですか?」
二人の顔が、さっきより暗い。
ずいぶん使われてない様子で、絵本の多い部屋。そのぐらいの小さな子が、長い間屋敷からいない?
……まさか。
「…………亡くなったよ。花祭りの日に、襲撃を受けてね」
「っ!? ごめん、なさい……」
「謝ることはないさ。もう8年も前のことになる」
ほがらかに微笑んでるけど、思い出すのはつらくないはずない、よね?
その証拠に、今でもあの部屋は細やかに掃除されてるんだから。きっと、元の姿を保ちながら維持し続けようとしてるんだ。
帰ってくる人がいなくなったって、模様替えなんてできるはずない。割り切れる、はずないよ。
「彼女の名は、リーチェ・マクファーソン。私達の娘であり、レイモンドの妹だ」
「……」
告げられた事実に驚いたけど、納得したかも。
部屋の広さといい、高価そうな家具も、ふさわしい存在だから。
「どんな子、だったんですか?」
「ふくらみかけの白バラのように愛らしかったよ。春の木漏れ日が似合う子でね。君に、よく似ている」
「私に?」
「ああ、だから君を一目見た瞬間に、私達のかわいいリーチェが戻ってきたのだと錯覚もしたよ」
ジョシュアさんの優しい眼差しと目が合う。アンジェさんも小さく笑って頷いてる。
「ええ、本当に。鏡に映したみたいよ」
「……でも、それならどうしてそんな私と話せるんですか?」
「おや、私達の発言を疑っているのかい?」
「そうじゃありません! そうじゃ、なくって……」
私が言いたいのは、そこじゃない。
首を左右に振って否定するけど、自分からは言いにくくって口ごもっちゃう。
「顔も、見たくないんじゃないんてすか……? 亡くなった大切な人と同じ顔なんて……っ」
言葉にしたら、心に突き刺さった。
例えば、私がハーヴェイさんに初めて会ったときみたいに。先輩は死んでなんかないけど、会えないってことは一緒。
あの時私は、切なくて悲しくて、苦しかった。一言で言い表せない、グチャグチャに絡んだ感情が浮かんで。
もう会えない人と向き合い続けるのがどんなにつらいか、私は知ってる。
そんな相手なはずなのに、どうしてこんなに親切にしてくれるの?
なんで、この屋敷で働くことを持ちかけてくれたの?
「なんて顔をしてるんだい? 君が悔やむことはないだろうに」
「そうね。私達はあなたと過ごせて、心からファロード神に感謝してるもの」
心配そうに私の顔をのぞきこんでるけど。二人とも、優しすぎるよ!
そっと伸ばされたアンジェさんの指が、私の頬をなぞる。その時になって初めて、私が泣いてることに気づいた。
「ほら、泣かないで? あなたが悲しいと、私も悲しいわ」
そんなに心を砕いてくれるのは、私が二人の娘だった人とそっくりだから?
同じ顔だから、泣かれるのも嫌なのかもしれない。目と鼻と口のどれかが違う配置だったら、何か違ったのかな。
……ダメ。二人に心配されてるってことを、素直に受けとりたいのに。疑って考えちゃう。
せめてこれ以上心配させたくない。なのに、涙が止まらなくて、自然と視線が落ちた。そうしたら、ちょっとは隠せるんじゃないかなって思ったから。
「っ!」
グルグル悩んでたのに、頭に何かが触れてきたことで吹き飛んだ。頭にのってるのはジョシュアさんの手?
二人の視線をまともに受けるのが怖くて、そろそろと様子をうかがいながら顔を上げる。
アンジェさんもジョシュアさんも、心配そうにはしてる。私を見る瞳も、普段と変わらない。侮蔑とか嫌悪にあふれたものじゃないってことにホッとした。
コロコロ態度が変わっちゃうような人達じゃないことはわかってる。それでもやっぱり、怖かった。
身近な人が急に態度を変えるのなんて、あり得るあふれたことで。ごく当たり前にあるってことくらい、わかってる。
心づもりはできてたはずなのに、どうしてこんなに、心が痛むの?
「リオン、君が私達の愛娘と似ているのはまごうことなき事実だ。だがね、そのことのみで屋敷に招いたり、ましてや雇おうとはしないさ」
「え……?」
優しく頭をなでられてることにも戸惑ってるけど、ジョシュアさんの言おうとしてることがうまくのみ込めないよ。
私をなで続ける手を止めないまま、ジョシュアさんはやわらかく笑ってる。それにつられるみたいに、アンジェさんも小さく笑い声をこぼしてる。
「そうね。私達はあなただからこそ、気を許したのよ?」
「私、だから?」
聞き返したら、二人は頷きながら笑った。
「そうだとも。初めて会った時に、私達はすぐに君が気に入ったんだ。あの時は、謙虚で控えめな性格だが、芯がずいぶんしっかりしているお嬢さんだと感心したものさ」
「そんなこと、ないです」
そんなんじゃないよ。森で会った時なんて、私はただ、街へ行く手段を探すために近づいただけだったのに。
首を振って否定してるのに、どうして二人は微笑ましそうにしてるの?
私は、慈しむ対象にされていいような人間じゃないのに。
「ほら、そういうところだ。私達を助けたときも、他に要求することだってできただろうに。例えば……多額の金銭を強請ることも可能なはずだったとも」
「そんな……! 馬車に乗せてもらっただけで、十分すぎますよ!」
その上でお金くださいなんて申し出るのは、いくらなんでもないよね!?
図々しすぎるし、そこまでのことなんてしてない。
「それを当然のように口にする君が少数派なのだがね」
「御者つきの馬車なんて、格好の獲物よねぇ。護衛として何度ドミニクが働いたかしら……?」
二人がついた深いため息からしか考えられないけど、たぶん、二人の旅はそんな場面に何度か出くわしたのかな?
「リオンは自身が考えているよりも、貴重な存在であることを自覚したほうがいいな」
「ええ、本当に」
こんな私の性格を買ってくれてるのは照れくさいけと、嬉しい。
わざと明るく話して元気づけようとしてるのも、申し訳ない気持ち半分と、二人から嫌われてないことへの安心感があった。
……でも、それでも。ずっと、心の奥底で引っかかってることがあった。
「お二人の言葉は、嬉しいです。でも…………私は、この屋敷にいるべきじゃないと、思います」
「っ!? そんなこと――」
「……何故か、聞いても?」
優しいアンジェさんは、すぐに否定しようとしてる。
けど、それを制止してジョシュアさんはまず私の理由を聞こうとうながしてきた。
二人の話を聞いて知ってから、気づいたことが一つ。
そのことを考えたら、私がここにとどまることはマクファーソン家の人達にとって、よくないことじゃないのかな。
「私がここにいると、リーチェさんがいたことを踏みにじる結果なるんじゃないですか?」
異世界に来てから、ここの人達にはすごくお世話になってる。感謝してるなんて一言じゃ、ちっとも語れないくらい。
その恩を、仇で返すようなことなんてしたくないよ。
「だからレイモンドさんも、私のことを嫌いなんですよね?」
思い返したら、レイモンドさんはずっと最初から敵意をむき出しにしてた。
初対面のときに激昂して嫌悪感を出された。それはきっと、彼にとっての妹の記憶をかき消されることを拒絶してたんじゃないかな。
今でこそ、多少は目をつむってくれてる。けど、今回倒れたのだって、心労が積み重なったせいかもしれない。
だとしたら……私が、ここにいていいはずなんてない。ここは、リーチェさんがいるべき場所なんだから。
「……それは違うとも、リオン」
「え?」
穏やかに声をかけてくれる。ジョシュアさんの表情は凪いでいた。
アンジェさんも、困った様子で苦く笑ってる。
私の意見は、間違ってないはず。だけど、どうして二人とも、否定的なの?
「君がいるからこそ、私達は前に進める。君が来たから、リーチェを過去として思い出すことができる。そのことを私達は心から感謝してるよ」
「あなたがいてくれることは、リーチェを踏みにじることにつながらないわ。だって、あなたはあの子とは違う人でしょう? リオンちゃんはリオンちゃんよ」
「っ!」
二人は、私を、私自身を認めてくれるの?
ここにいても、邪魔にはならない?
気遣いで言ってるんじゃないかな、とも思った。だけど二人とも、一切くもりなんてない瞳でまっすぐ私を映してる。
嘘なんてついてる様子は、微塵も感じない。
私は二人の言葉を、信じてもいいの?
「あと一つ訂正しよう。レイモンドは君を疎んでなどいないさ」
「あの子ったらそんな勘違いさせてしまうなんて。やっぱり一度、女心を察するようにキッチリ説いたほうがいいかしら?」
「ふむ……それはいい考えだ。さすがは私の愛おしい人」
「まぁ、あなたったら」
ホウッとあきれてため息をつくアンジェさんに、ジョシュアさんも軽く相槌をうってる。
……違うの? レイモンドさんは、私を嫌ってないってこと?
親である二人が言うんだから、間違いないよね。
でも、普段の塩対応じゃどう考えたって、嫌われてるとしか思えないよ。
「まぁ詳しいことは、本人から聞きなさい」
「そうね。レイちゃんもさすがにリオンちゃんが屋敷を出ようとするくらい思い詰められてるってわかれば、素直になるわよ」
「ああ、目の色を変えそうだ」
顔を見合わせて、企んでるいたずらっ子みたいにクスクス笑ってる。二人はそう言うけど、レイモンドさんは変わらないと思うよ。
むしろ、『そうですか、清々します』くらい言われるんじゃないかな。
「良い機会だ。今回の件で、君達は話し合うといい」
「レイちゃんも、あなたなら耳を傾けるわ。無茶をすることをやめさせてちょうだい」
話し合うのは、少し怖いよ。私の存在を否定されたらって思ったら……ううん、否定される気しかしない。
でも向き合うのは、今だってこともわかる。彼の邪魔になるなら、すぐにここから去るべきだから。
アンジェさんのいう説得なんて、そもそも私がここからいなくなれば、無茶することも減る気がするよ。主に精神的な負荷の意味で。
「先程起きていたから、レイモンドのことだ、まだ起きているだろう。仕事を寄越せと言い出すのかもしれないな」
「そんなこと言ってたら、頬をはたいてちょうだい。『病人が仕事する必要なんてない』って」
無理です、アンジェさん。どんな猛者ですか、レイモンドさんをひっぱたくなんて。
その後の反応が怖くてできるはずがないよ。
二人にうながされて、扉の前に立つ。
深呼吸。前に一度来たときも、入るときにすっごく緊張してた。
ゆっくりノックを2回。木製の扉とこぶしがぶつかって、コンコンって音が響く。
「失礼、します」
恐る恐る、取っ手をつかんで扉を開く。
アンジェさんとジョシュアさんの二人に見守られながら、私は足を踏み入れた。
投稿が大幅に遅れてしまい、申し訳ないです。
伏線回収と伏線を張る回は、どうしても執筆に時間がかかってしまいます。
次回は26日(日)12時投稿予定です。
それでは次回も。よろしくお願いします!