川底の花
登校してドアを開けたクラスで、沙良は目の前の状況が飲み込めなかった。
「えっ……」
沙良の思い人と、沙良の親友が隣合わせに椅子を並べて、肩を寄せ合っているのだった。
夏休み明けのまだ蒸し暑い教室で、聞くのも嫌な話を朝から何度も振られている。
「ねぇ、莉子ちゃんと海斗くんっていつから付き合い始めたの?」
「……さぁ」
「沙良、莉子ちゃんと親友なのに聞いてないの?」
「あ、うん」
まるでテンプレート化された会話文に、沙良は顔をしかめないよう気を付けた。
小さな教室では、いくつかのグループが出来ており、沙良の座席周りにもよく話すクラスメイトたちが集まってきている。
沙良と莉子は、小学生時代からの仲で、中学校生活においては、共に一番長く時間を過ごす存在だった。
沙良は二年に上がってから、初めての席替えで隣の席になった海斗に、少しずつ惹かれていった。その話を莉子にしていたのだが、いつも沙良のことを応援してくれ、励ましてもくれた。
そして、昨日のこと。沙良は莉子に背中を押してもらい、海斗に告白した。
しかし、沙良の想いは海斗に届くことはなかった。沙良はショックで莉子に抱きつき、頬を濡らしたのだった。
そんなことがあった翌朝の事件が、これだ。
「さっきね、海斗くんから聞いたんだけど、ずいぶん前から、莉子ちゃんにアタックされてたんだって」
朝会の始まる数分前、沙良の机にまた一人クラスメイトが頬を上気させやってきた。
顔を近づけながら聞いていた周りのクラスメイトたちは、きゃっきゃと楽しそうに、噂話から想像まで色々と発展させる。
「ずいぶん前っていつ頃?」
一人、椅子に座って話に混ざった体を装っていた沙良が、机に出来た輪に自ら入り、そこに咲く笑顔と同じような表情で尋ねた。
「えっ、うーんと、たしか三カ月くらい前って言ってたよ」
答えを聞くと、「そう」とだけ素っ気なく呟くと、輪を作る女の子たちと顔を並べながらも、沙良は一人下を向き、机の木目を睨みつけた。
三か月前と言うと、ちょうど沙良が莉子に海斗への恋心を話した少し後だ。
今までの莉子との思い出が、走馬灯のように駆け巡った。
莉子は今までにも、沙良が持っていた物を欲しがる節が多々あった。これまでは、おそろい、と二人で笑いあっていたが、今回は同じものなど揃えられるはずもない。
そして、莉子に対し積っていった、今までの小さな不満が、溜まり溜まって一定量を超えた。まるで、今まで沈殿した川底の泥やゴミが、いきなりの土石流で押し上げられ、黒く水面を染めわたるかのように、どす黒い感情が、沙良の心を闇色にし、暗い思いが表出したのだ。
沙良がゆっくりと顔を起すと、未だに恋愛話に花を咲かせるクラスメイトが、周りを彩っている。
「あ、もうすぐ担任くる」
座席に帰ろうとするクラスメイトたちに、沙良はどす黒い思いを、清らかで落ち着いた仕草で覆い隠し、少し困った表情で話しかける。
「ねぇ、海斗くんと莉子の邪魔出来ないからさ、これからの休み時間とか、みんなと一緒にいてもいい?」
そんな沙良に対し、友人たちは笑顔で快く二つ返事をした。中には、同情をしてくれる友人までいたものだ。
沙良は口角を上げ、にこやかに「ありがとう」と声にした。
担任が教室に入ってきて、散り散りに去っていく友人たちは、気づかない。
沙良の眼差しが、とても鈍い光を放っていることには。
沙良や莉子、普通の中学生にとって、中学校での居場所が世界の全てだと言ってもいい。もちろん、家族だっているのだが、それは内界で、外界としては、学校が狭い世界ながらも彼女たちにとっては、全てなのだ。
もし、こんな小さな世界で、居場所を失ったら、どれだけの苦痛と不安が押し寄せるのだろうか、と沙良は楽しそうに思案する。
昼休み、沙良は友人たちに話し始める。
「実は、四カ月くらい前に、莉子に話したんだ。私が海斗くんを好きだって」
悲しく辛い表情を見せまいと演出し、下を向く沙良は、知らず知らずに口元が上がるのを抑えられないのだった。
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