その19
「ユウヤ、辞めんのかなー?」
「分からないけど……」
ハジメ君が部室に寝転がりながら、しばらく黙り込みました。
「……どうしたんだろうね?」
「さあ? 大会出てからメール返さないし電話出ないし、変だよ。三神先生が言うには、倒れた原因はケガや病気とかじゃないらしいし」
「……お見舞いに行かない?」
「やめておこうぜ。あいつの性格からして、そういうデリケートな部分に触れて欲しくないと思うんだよ」
「そっか……」
「てか超あちい! 夏あちい!」
「うん、汗でびしょびしょ」
「もう無理、今度はおれ達が倒れるっ!」
「練習終わりにする?」
「だな、そろそろ昼だし。てか、夏休み中はもういいんじゃね? ユウヤ来なきゃ練習しようがないだろ」
「え? ……うん、そうだね」
ハジメ君が制服に着替え始めました。
「各自、素振りや体力づくりを怠らないように! あ、今おれ部長っぽくね?」
「あはは、ほんとだ!」
「まあおれが一番に自主練しなさそうなんだけどねー」
「ええー? 練習しなきゃだよー」
ハジメ君はいつもぼくやユウヤ君を冗談で笑わせようとしてくれます、一緒にいて楽しいです。
「で、ケイ君はまだ帰らないの?」
「あ、うん。もう少し残ってようかな」
「そか。じゃあおれ、バス乗るわー」
「うん、分かった」
「またメール送るから、百通くらい送るからー!」
「あははっ、送りすぎだよー」
手を振って、ハジメ君が部室から出て行きました。少しして、体育館と学校棟をつなげる渡り廊下を女子卓球部の人達が通っていくのが見えました。みんなちょど練習が終わったようです。
部室にぼく一人が残りました。自主練開始です。
ぼくらが使っている台は、二人分の陣地が別々になっているもので、二面を繋げて一つの台になります。片方の面を端から持ち上げて垂直に立てます。もう片方は通常どおり地面と水平にし、垂直の面と直角に合わせます。あとはネットを張れば準備完了です。
台につき、サーブを打ちます。ぼくのサーブが垂直に立つ台に当たり、すぐ跳ね返ってきました。それを打って、また球が跳ね返り、またそれを打っての繰り返しです。一人でラリーができるのです! ユウヤ君に教えてもらいました。テンポを崩さないよう、冷静に、正確に。卓球の音って、なんだかきれいですよね。リズミカルに打てたら、とても嬉しいです。
一人で練習し始めてから一時間も経っていました。お弁当を持ってきてたので、少し遅めのお昼にします。タコさんウィンナー!
お腹いっぱいになったので練習再開、次はサーブです。通常どおりに台を設置し、狙う位置に空き缶を置きます。
ていっ!
ていっ!
なかなか当たりません……。
一向に当たらないので、空き缶をもう二つ置きました。
ていっ!
ていっ!
あっ、当たった! 狙ってなかった方の缶に当たった! ……まだまだ練習が足りないようです。
日が暮れてきました。早く片付けないと。その時、上履きで廊下を歩く足音が聞こえたような気がしましたが、こんな時間に人がいるわけないですよね。
家に帰って、ご飯を食べました。エビフライおいしかったです。お風呂は長湯して少しのぼせてしまいました。机に向かって宿題をします。七月中に終わらせられるように頑張ります。少しテレビを見て、ベッドに入りました。おやすみなさい。
次の日も、練習をするために部室に行きました。今日は最初からぼく一人です。準備運動を入念にして、素振りをします。フォアハンド、バックハンド。素振りをする時は相手を想像しながらラケットを振るようにしています。実戦のような緊張感が生まれる気がします。気がするだけな気もします。
「一人で練習してるの?」
部室のドアが開けられました。反射的に視線を移すと、その人と目が合いました。
「た、瀧野先輩⁉ ど、どうしましたか⁉」
女子卓球部部長の瀧野先輩でした。
「大声出すことないでしょ? 他のメンバーは?」
「ハ、ハジメ君もユウヤ君も今日は来てないです、自主練ですっ」
「ふーん」
体育の授業用の短パン、半袖姿の瀧野先輩がじっとぼくを見つめました。どうしよう、どうしよう……!
「……じゃあ、練習相手になってあげるわ」
「……?」
聞き間違いかと思い、その場に立ち尽くしているぼくに瀧野先輩が、
「なにぼさっとしてるの? 早く台につきなさい」
「は、はいっ」
「まずはフォアハンドからよ」
そう言い、瀧野先輩が軽く球を出してくれましたが、返球し損じました。空振りです……。
怒られる! そう思い、怖くなって咄嗟に目をつぶってしまいました。
「ドンマイ、次打つわよ」
瀧野先輩が優しくフォローしてくれました。ゆっくり目を開きました。
「……はいっ」
次はちゃんと打ち返せました。瀧野先輩が打ちやすく返してくれたので、安定してラリーが続きました。
「うん、上手くなったじゃない」
「そんなっ、こと、ないですよ?」
瀧野先輩が褒めてくれた! 褒めてくれた!
しばらく打ち続けたので、お昼休憩をとることにしました。先輩と一緒に自動販売機でパンとジュースを買いました。
「そういえば、今日は瀧野先輩、女子卓球部の人達と練習してたんですよね?」
部室の床に腰を降ろしながらそう訊くと、何故か瀧野先輩は、
「え⁉ ええ、そうだけど、ど、どうして⁉」
瀧野先輩が持っていたパンを落としそうになりました。
「ぼくの練習に付き合ってくれて良いんですか? みんな待ってるんじゃ……」
「良いのよ。えと……そう! 今日はもう練習が終わって、解散したの」
「そうなんですか? 誰も見かけなかったけど――」
「ほら、そろそろ練習するわよ! ラケット持つ!」
「あ、はいっ」
やっぱり、人と打つのは楽しいです。いつの間にか夕焼け空になっていました。瀧野先輩が最後まで相手をしてくれたので、昨日以上に時間の流れが早く感じました。
部室に鍵をかけ、瀧野先輩と一緒に鍵を職員室に返しに行きました。職員室までついてきてくれるなんて、瀧野先輩は本当に優しいです。
「三神先生、鍵を返しに来ました」
「はーい。あんたも一人でよくやるわね」
「今日は一人じゃなかったんです、瀧野先輩が――」
「まっ、牧野君!」
呼ばれ、振り返ると瀧野先輩が廊下から顔を覗かせていました。
「私のことは言わなくていいから」
すると三神先生が、
「あれ? 瀧野、今日は練習ないん――」
「ええっ⁉ なんですか、聞こえないです!」
瀧野先輩が大声で聞き返しました。三神先生の声を掻き消すほどの声でした。
「……牧野、お前も隅に置けないな~」
三神先生が、なんだかこそばゆそうな笑みを浮かべながらぼくを見つめました。
「え? どういう意味――」
背中に気配、いつの間にか瀧野先輩がぼくの背後に立っていました。
「おいこの年増、牧野君に変な入れ知恵すんなやゴラ」
「あ? 誰が年増だぁ? お姉様と言い直せば許してやんよ」
「私がお姉様と呼ぶのは教会のシスターだけじゃボケ」
「シスター違いやがな」
怖いよぉ、二人とも映画とかに出てくるやくざさんになっちゃったよぉ……!
瀧野先輩と同じバスに乗りました。一番後ろの席で一人分間を空けて座りました。
「瀧野先輩って卓球上手ですよね」
「そんなことないわよ、ただ好きなだけ」
「でも、好きなものを好きって言えるのって、すごいと思います」
「ええ? 普通よ」
瀧野先輩がぼくを不思議そうに見ました。
「……牧野君は、中学の頃から卓球をやってたの?」
「いえ、高校に入ってからです」
「どうして卓球?」
「うーん……」
ぼくは口下手なので上手く説明できるか少し自信がなくて、でもちゃんと説明しなくちゃと考えながら、
「ぼく、中学生の時はなんとなく人が多い部に入ったんですね。昔からあまり自分の意見を出さない性格で、その、人に流されることが多かったんです。でもそれじゃいけないと思って、自分から動こうと」
「それで、卓球?」
「はい、同好会設立のポスターを見て、一から何かを創れたらすごいなって思ったんです」
「ちゃんと自分で考えて行動してるんだからえらいよ」
「まだまだ下手ですけどね」
冗談交じりにそう言いました。
「そんなことないし、今も真面目に練習してるじゃない。明日も学校で自主練するつもり?」
瀧野先輩にそう質問されました。
「はい、せっかく覚えたことを忘れたくないんで」
「……」
瀧野先輩は返事をせず、しばらく黙りました。何か言っちゃいけないこと言っちゃったかな?
「じゃあ……」
「は、はい」
沈黙のあとの言葉を、緊張しながら聞き入りました。
「明日も部活が早く終わったら、相手してあげるわ」
また瀧野先輩と打てる!
「はい、お願いします!」
瀧野先輩の顔を見返しながら返事をしました。瀧野先輩は驚いたのか、顔をうつむかせてしまい、前髪で表情が見えませんでした。
バスの小さな揺れと瀧野先輩とのおしゃべりが、なんだか心地良かったです。瀧野先輩の笑顔を初めて見ました。すごく、かわいらしかったです。
ニヤニヤ。