その15
平日は全て授業と部活に追われるようになり、気づけば七月、とっくに半袖と夏用ズボンで過ごす時期となっていた。今日もホームルームが終わり、いつもどおりハジメと一緒に部室に向かうと、部室の前でケイ君がドアガラスから中を覗き込んでいた。
「なにしてんの?」
「あっ、えっと! えっと!」
「ケイ君なんでてんぱってんだよ? ここはうちらの部室なんだから、我が家のようにリラックスしようぜ」
へらへら笑いながらハジメがドアを開いた。だが次の瞬間、ハジメが勢い良く後退し、その場に尻餅をついた。言葉を失い、ただ視線をまっすぐ向けている。状況を呑み込めず、オレも顔を覗き込ませた。
アヤがいた。
その場に座り、マンガ雑誌を床に置いたまま開いている。あれは多分、ハジメが置きっぱなしにしていたものだろう。何故マンガを読んでいるとかそうじゃない。
「なんでお前がいるんだよ?」
オレの声に反応してアヤが振り向いた。ハジメは石のように固まり、ケイ君は未だドアに隠れて姿を現そうとしなかった。
「……なんでだろ?」
「部活はどうした?」
「休んだ」
淡々と答えられ、アヤの真意が読み取れない。質問を続ける。
「で、なんか用か?」
「……卓球続けてるの?」
オレの質問は無視かよ。
「同好会創ったくらいだしな」
「そうだよね」
「……なんかあった?」
アヤは視線を合わせないで「別に」とだけ答えた。
オレもアヤもだんまりを続けていると、ハジメが部室に入ってきた。
「あ、あの、お、お、おれ、おれれれれ」
緊張しすぎてなに言ってるかさっぱりだ。
「アヤ、こいつの名前知ってたっけ? 戸田初っつって、うちの部長。前に打ったの覚えてるか?」
アヤがハジメの方を向いた。視線に気づき、とっさにうつむくハジメ。
「……ハイジ君?」
「違う、ハジメだ」
ほとんど覚えられてないことが判明し、ハジメは明らかに落胆した。かわいそうな奴。あっ、そうだ。
「今日はもう部活出るつもりないんだろ? 軽く試合してかね?」
普通ではありえない提案だが、物は試し、言うだけならタダだ。
「……いいけど」
了解してくれた。
「よし。そんじゃハジメ、さっさと準備しろ」
急に振られて飛び跳ねるほど驚くハジメ。
「はあ⁉ なんでおれなんだよ!」
「どんだけ成長したか分かりやすいだろ? ほら、アヤが待ってるぞ」
「てめえ殺す! 絶対殺す!」
二人が手短にラリーを済ませ、本人は不本意そうだが、ハジメのリベンジ戦が開始された。
「ラブオール」
審判はケイ君にしてもらうことにした。これも練習だし、いざとなったらオレが補助する。オレは二人の試合をじっくり見させてもらうことにした。
まずはアヤがサーブを打つ。以前同様、キレの良い横回転をかけてくる。ハジメはツッツキでレシーブしようとするが、回転を読み間違え、ネットにかかる。二球目も同じサーブに引っかかった。
次はハジメのサーブ。バックサーブ(バックハンド側からサーブを打つこと)の構えをし、下回転をかけつつ打つハジメ。アヤがツッツキで返球した。ハジメも同じように返す。ツッツキの応酬。ハジメは何だかんだで器用な奴だ。ただつなげるのではなく、時には奥へ、時には浅い位置へ、不規則に打ち分けている。事実、ツッツキに関してはケイ君より覚えは早かった。攻撃したくてもできないアヤはさぞもどかしいだろう。ツッツキ戦はハジメが制した。
ハジメ二回目のサーブも同じく下回転。ハジメはまだ下回転のバックサーブと、フォアサーブ(フォアハンド側からサーブを打つこと)のストレートしか覚えていない。どれだけ二つのサーブで持ちこたえられるか……。アヤがツッツキではなく真逆の上回転、いわゆるドライブで打ち返した。元々かかっている回転以上に真逆の回転をかければ、相手に合わせずにすんなり打ち返せる。決められると思いきや、ハジメはなんとか追い付き、球を打ち返した。だがアヤは動じず、ハジメの真逆の位置へ打ち、さすがにこれには追い付けなかった。あのレシーブを返したんだ、十分なくらいだ。
試合は進むにつれ、アヤに主導権が移っていった。場慣れしているのもあり、ハジメの癖や弱点を把握するのにそう時間はかからなかったようだ。
ハジメのバックサーブの構え。もうアヤには下回転が来るとばれている。もっと時間があればサーブのレパートリーも増やしてやれるのに……。サーブトスをする。トスの構えからしてバックサーブを打つと思いきや、ハジメは即座に体の位置を変え、フォアサーブを打ち込んだ。バックサーブの下回転が来ると身構えていたアヤはわずかに反応が遅れ、レシーブ仕損じた。アヤが驚きつつ、球を拾い上げる。一番驚いているのはオレだ。あんなサーブ、教えてない。限られたレパートリーからつくりあげた、ハジメのサーブ。笑いながら、少し感心した。
健闘したものの、惜しかったのは初めの一セット目だけで、あとはあっさりと叩き伏せられるハジメだった。
「ユウヤのばかぁ! 勝てる訳ないだろ?」
「何言ってんだよ、そんなの最初から分かってるから」
「恥かかせんなよ!」
アヤがラケットをしまいながら、
「でも、強くなってたよ?」
アヤの言葉に慌てるハジメ。
「えっ、うえ? ほんと?」
「うん、前は打ててなかったし……」
無意識に吐き出される毒にハジメが侵されていく。不憫な奴。
アヤと視線が合った。
「あのさ」
アヤの方から声をかけてきた。
「ん?」
かと思いきや、またうつむいてしまった。
「……なんでもない」
何か言う手前で、やめてしまった。
「……お前さ」
オレ自身が自分から言いかけて、少しの間黙ってしまった。言葉を捜す。アヤが見上げているのが分かった。
「しんどい時は、しんどいって言えよ? 誰でもいいから」
「……なに、それ?」
またアヤと目が合うと、次にアヤが小さく笑った。無性に恥ずかしくなった。
「なにじゃねえよっ。もういい、何でもねえ」
「そっか……ありがと」
じゃあねと、アヤは部室から出ていった。
「何しに来たんだろうね?」
「……さあな」
なんとなく分かっていた。だけどあいつは、逃げ出そうとする寸前で踏みとどまったみたいだ。
「おうお前ら、やってっか?」
騒々しくドアの音をたてながら、入れ違うように三神先生がやってきた。
「あれ、先生珍しいですね」
「ふっふっふっ、私が何の用もなしに来ると思うか?」
「はい、暇そうですし」
先生がハジメのほっぺをつねった。
「ちょっ、せんせっ、これ体罰です!」
「ああん?」
「いったい! ごめんなひゃい、ゆるひて!」
上に持ち上げられてつま先立ちしながらひたすら謝るハジメ。
「次の大会が決まったぞ、今度は全員高校生だ!」
オレ達全員が感嘆の声をあげた。
「市の大会なんですよね?」
前回のこともあるため、細かいところまで確認しておかねば。
「ああ、規模は前以上だな」
「どうしよう、緊張するなぁ……」
ハジメが意気揚々と、
「ようし、大会に向けて特訓するぞ! 夕日へダッシュだ!」
「くさっ」
ケイ君がプリントをまじまじと見てから、気まずそうに声を出す。
「あの、中嶋君は出てくれるかな?」
少し間を空けてから、
「普段練習してないんだから出ないだろ」
冷たい気もするが、オレの考えをそのまま言うと、ケイ君は落ち込むように目を伏せた。
「まあやる気ないならしょうがないんじゃね?」
ハジメも同意見のようだ。
「三人でがんばろうぜ。一つでも勝ち星をあげるのが、あいつへのはなむけになるんだよ。あいつの仇は、おれ達できっと……!」
「死んだみたいな言い方すんな」
学校で読むマンガってなんであんなに面白いんだろう。