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「みっちゃん、おれ、ちょっと東のブランダの町にある地下遺跡に行くことになったんだ」
ぶー!!
「うわ! なんだよみっちゃん! 水、噴出して! もったいないだろ!」
『何を言い出すんです、あなたは! 地下遺跡へなんて、何の用があるんですか!』
主が畑仕事の帰りに倒れたあの日から、私は頼み込んで共に畑仕事へ連れて行ってもらえるようにした。今も、主の仕事の手伝いをして木陰で一休みしているところである。
私が手伝うようになってから、どういうわけか主の畑は実りが豊かになり、僅かに生活の苦しさも緩和されてきた。余裕が出てきたはずの主は生活を改めることもせず、無駄遣いをすることと言えば私とアリーへのおやつを買うくらいのものである。
主は隣の畑の友人と話をしているので、私は、自分の仕事を一区切りさせて遊びに来たアリーと、並んで畑を眺めていた。
労働で渇いた喉を潤すために水を口に入れた瞬間のアリーの爆弾発言に、私は口の中のものを全て噴出してしまった。それはもう、コントかというくらいに見事に、だ。
ここが畑でよかった。私が噴出してしまった水は、作物のために大地に返したのだ。そう思おう。
「いやあ、最近世話になってる人にさ、頼みごとされちゃって。砂漠の遺跡の中にある、万能薬? っていうのか? それを取りに行く手伝いをして欲しいんだと」
アリーは、母親から渡されたというサンドイッチのようなものを齧っている。もぐもぐと口に含みながら言うので、聞き取り難い。
このあたりの穀物は全体的に黒っぽいため、パンも黒い色をしている。パンとは呼ばれずに、バニシュという名であるが、私の昔の記憶に照らし合わせれば、ハンバーガーのバンズのような形をしているように思う。その中に挟んであるのは、アリーの家の畑でとれた野菜を炒めたものだ。香ばしい匂いが食欲をそそる。
私は、気を落ち着けるために懐に入れておいたゴゴの実の菓子を口に入れた。
『なぜあなたなんです?』
「おれがさ、すばしっこくて体力もあるからって。その世話になってる人ってのが、結構な年寄りでさぁ。若い人手がいるんだって。ここらの若いのっていやぁ、盗人に近いやつらばっかりだろ? だから、まともに仕事してるようなおれに頼みたいんだとさ」
『そのひとの名前は?』
「ラーシッドっていう人だよ」
ぶーー!!
「うわ!! みっちゃん、さっきからいったい、どう……」
再び、私の口の中のものが噴出された。ゴゴの実の菓子は、畑の栄養となるために大地に返したのだ。もう、どうにでもなれ!
『絶対に行ってはいけません! それは罠です!!』
「わ、罠?」
『私がラーシッドの口車に乗せられてどんな目にあわせられたか、事細かにお教えいたしましょうか? ええ、そうですね、7日ほどは睡眠一切無しで朝から晩までお聞きいただくことになると思いますが、よろしいですか? よろしいですね?』
「いや、よろしくないって! なに? どういうことだよ、知り合いなのか? ラーシッドもジンなのか?」
『ジンであったならまだ説明がついたものを……あの人はいったい何を考えてアリーを……』
どうも、この話の流れ、既視感を感じる。しかし、長く生きていると記憶が大昔のものと最近のものとが交じり合ってうまく思い出せない。もやもやする。
いや、無理に思い出さずとも、愉快犯ラーシッドの名をほしいままにしている彼の事だ。絶対に危ないことのはずだ。
『ラーシッドは他に何か言っていませんでしたか?』
アリーは、暫し考えるように視線を彷徨わせて、必死に思い出そうとしていた。
「そんなこと言われてもなぁ。地下の遺跡に入るってくらいしか……。ラーシッドの故郷の王様から、万能薬がどうしても必要だからって、使いに出されたって言ってたぞ。ただ、候補の遺跡がたくさんあるから、おれ以外にも何人か若いのに頼んで別の遺跡に行ってもらってるんだってさ」
『あやしさ爆発!!!』
「ば、ばくはつ?」
『ともかく、ラーシッドの持ってくる話は全て断ってください』
「……みっちゃん」
『なんです?』
「ラーシッドだってさ、臣下だったら王様に頼まれたら断れないだろ。こんなところまで一人でやってきて、広い世界のなかでしらみつぶしに探しているなんて、かわいそうじゃないか」
『……それが罠以外のなんだって言うんですか。私は、その王様の話しすら信じません。危険です、行くのはやめてください、アリー。あなたに何かあったら、主が悲しみます』
「んー。いや、まあ、何とかなるだろ。おれの事は心配すんなよ。みっちゃんは、おれがいない間、じいさんのこと頼むぞ。ああ、おふくろのことも頼むわ」
『アリー……』
主が休憩を終え戻ってくるのが見えた。アリーは、笑って立ち上がると、主の元へと歩み寄り、今の話を告げているようだ。アリーの母の事は任せよ、と、主は胸を叩いて請け負っている。
私は深く深くため息をついた。
主に言われ、私は、アリーが街を出る前に、彼の元を訪れた。主から、彼が無事に戻ってくるように見送ってきなさいといわれたのだ。
私は、彼に水筒を持たせた。その中には私が力をこめた石が入っており、水筒に水を入れればいつでも清らかな水が飲めるというものだ。今の私には、それ以外に彼を助けることは出来ない。私は力の無いジンなのだ。ランプの精霊のように力のあるジンであれば、瞬く間に遺跡と街とを往復できただろう。
壷に縛られ何も出来ないことを詫びると、アリーは驚いたのか一瞬黙り込んで、次に朗らかに笑った。
みっちゃんはじいさんのジンなんだから、じいさんのことだけ大事にしてればいいのさ、と言うのだ。
それはそうだろう。
けれど、私は、アリーのことも家族として大切に思っているのだ。
力もなく、自由もないこの身が切ない。そんなことを、主を失うかもしれないという不安を覚えたあの日以来であったが、再び心に思ったのだった。
家族皆を助ける力も無ければ、自由に助けに行ける自由もない。
ならば、私は何故このジンという存在になったのだろう。
小さく見えなくなっていくアリーの背を見送りながら、私はそっとため息をついた。
アリーが旅立ってから5日経った日のことだった。
私はいつものように主の畑の仕事を手伝い、さらに、アリーの家の畑の仕事も手伝った。
アリーがいなくなってから、それが私の日課となっている。
主にも、アリーの母の手伝いをせよ、と言われているのだ。時々彼女の様子を見に行っては、彼女にもマッサージを施している。
その日は、とても天気の良い日だった。
主に頼まれ、畑仕事に行く前に市場に立ち寄った。
そこで、若者たちの話を聞くとはなしに聞いていたのだが、ジンになって優秀になった私の耳は、ある単語を拾った。
『アラジン』
アラジン、だ。なぜこんなところでその名を聞くのか、理解できなかった。
露天のおばちゃんの呼びかけも聞こえないほど混乱し、立ち尽くした。だが、いつまでそうしていても仕方がない。
私は、慌ててアリーの家へ走った。そして、あいさつもそこそこに、アリーの母に問うた。
「あら、みっちゃんたら、知らなかったの? そうよ、『アリー』は愛称。『アラジン』の愛称なのよ」
私は、そのままその場で膝からガックリと崩れ落ちた。
市場で、聞こえてきた話とは、こうだ。
『最近、白壁地区のアラジンのやつ見かけないな』
『アラジン? ああ、アリーのことか? あいつなら、仕事で東のブランダの町に行ってるってよ』
『オレのダチの商人地区に住んでるアラジンって名前のヤツも、今街を出てるんだってよ。儲け話がどうとか言ってたぜ』
『へぇ。同じ名前のやつらがねぇ。まあ、アラジンって名前は珍しくもないからなぁ』
『お前の知り合いのアラジンもか?俺の従兄弟のアラジンも、なんだか仕事持ちかけられて隣町まで行ってるんだ。従兄弟に何人か「アラジン」がいるからよ、ソイツの事はアジーって呼んでるんだ』
『おぉ、わかるわかる! アラジンって名前多いよな!』
私は、若者たちの会話を聞いて、確信した。
ラーシッドは、私が以前彼に話した、『アラジンと魔法のランプ』のお話を、自らの手で実現させようとしているのだ。
だが、知らなかった。アラジンという名前の若者がこれほど多いとは。
ラーシッドがどのアラジンを選ぶのかはわからないが、おそらく、はじめの試練をうまく越えてきた若者を選ぶのだろう。
選ばれた『アラジンたち』には、それなりに難しい試練が与えられているはずだ。
私は、どうすべきだろう。
もんもんと悩みながら、私はアリーの帰りを待った。
彼が帰ってきたのは更にその4日後。
彼は見事に、ラーシッドの試練を乗り越えてきた。
これで、彼が試練に失敗し、うなだれて帰って来たと言うのならば、またいつもどおりの生活に戻ることが出来ただろう。
けれど、彼は、一つの難しいことを成し遂げたという自信をつけ、大きくなって帰ってきた。
そして、冒険の厳しさと共に楽しさも知ってしまった。
彼はもう、以前のように平凡には暮らしていけないだろう。
そして、もう一つ。
アリーだけでなく、幾人かの『アラジン』が試練をうまく乗り越えて街へと戻っていたのだ。
私は決意した。
自分たちも苦しい生活をしている中、主を助けてくれ、結果的に私をも助けてくれたアリー。私の持てる力をすべて使い、彼を幸せにしてやろう、と。