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 ある日の事だ。

 私の主は、彼が唯一持つ財産である、小さな畑の世話をしに出かけていた。

 いつものように私に、留守を頼むよ、と言い置いて出て行った主のために、自ら進んで掃除をし、家の中の片づけをした。

 とはいえ、狭い家だ。それほど時間がかかるものでもない。早々にすることがなくなった私は、ぼーっと空を見たり、家の中においてある大きな貯水用の水がめの中身を、ジンの力を使って浄水したりしながら主の帰りを待っていた。

 家の手伝いに飽きた子供たちが、外を駆け回るようになる午後。


 いつもの帰宅時間を過ぎても主が帰ってこない。

 狭い家の中をうろうろしても、戻ってこない。

 探しにいきたいが、主の『願い』が私を縛った。

 『留守を頼む』という言葉が私をこの家の中に縛りつけ、動くことが出来ない。


 主は足や腰の具合がよくなかった。

 老人にはよくあることだが、あちこちが弱っていたのだ。

 だが、主は私に、身体をなおしてくれ、なんて願う事は無かった。

 もちろん、それを願われても、下級のジンである私は叶えて差し上げることなど出来なかっただろうけれど。

 主は、ただ、体が辛いから揉み解して欲しい、と、ジンでなくとも叶えられるような願いしか口にしなかった。

 マッサージをすると喜んで、また仕事を頑張れるよ、と、嬉しそうに笑って、私を褒めてくれもした。

 人よりも長く生きた今なら、わかる。主は、子供もいず、妻に先立たれて一人で過ごしてきた日々を寂しく思い、家族が欲しかったのだ。

 余裕の無い生活の中でも甘い菓子をなんとか手に入れて、私が喜ぶようにと渡してくれる主を、私も家族のように大事に思っている。

 思わないはずが無い。

 私だって、ずっと一人だったのだ。大事な家族を失い、一人で世界を呪うようにして生きてきたのだ。

 私にとっても主は唯一の家族。


 そんな主が、戻ってこない。


 不安で何度も家の外に飛び出そうとして、そのたびに『願い』に縛られ、外に出た瞬間に家の中に弾き飛ばされ、床を転がった。


 私は、今更ながらに元の世界の家族の事を思い出し、何度も心の中で詫びた。こんな思いを彼らにさせていたのだとしたら、ほんとうに謝っても謝りきれない。最初の頃は、自分の寂しさ、悲しさだけに身を焦がしていた。けれど、今は、ただただ、彼らに詫びたい。

 ごめんなさい、と。

 自分をかわいそうだと思っていた頃の私を殴ってやりたい。悲劇のヒロインよろしく自らを哀れんでいたとき、私の大事な人たちが負っていたかもしれない心の傷を思うと、悔しくて悲しくて涙が出る。

 私がジンとしてもっともっと上にいけたなら、帰れなくともいい、彼らに詫びる為に、次元も超えてみせる力を持ってやろうと心に誓った。


 そして、今。

 私は自由が欲しい。

 主を助ける為の自由が欲しい。


 自由が無いことを嘆いていた昔。

 新しい家族への思いで縛られることに、安堵した昨日。

 そして、自由が無いことを悔やむ今。


 私は、誰かのために自由が欲しいと、初めて心に強く思ったのだ。


『主……』


 床に転がること数十回。結局、私は壷に縛られたジン。主の家族として、何もすることが出来ない自分に絶望し、涙が溢れた、そのとき。




「じいさん、ここかい? あんたの家ってのは」


「おお、ここじゃ、ここじゃ!」


 主の声が聞こえた。

 がば、と飛び起きて、目を皿のようにして入り口を見つめる。


 はやく、はやく、帰ってきて、我が主。


「みっちゃんや、帰ったぞ。出迎えて、客人をもてなしておくれ」


 待ち望んだ主が帰ってきた。『願い』が上書きされるのも気付かずに、私は嬉しさのあまり、周りをよく見もせずに彼に飛びついた。


『あ、主! お帰りなさいませ! 心配いたしました、心配いたしましたよ!!』


「おお、すまんなぁ。畑から戻る途中で転んでしもうてな。起き上がれなくなっていたところを助けてもらったんじゃよ」


『なんということ……! お怪我はございませんか? どこか痛むところは?』


「大丈夫じゃよ。それよりも、この若者に礼を言わねばならんのじゃ」


 座り込んでぺたぺたと主の足や腰を触診していると、頭上から降ってきた声に顔を上げた。

 落ち着いてみれば、主の身体を支えてくれている青年がいるではないか。


 慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。



『我が主をお助け下さり、ありがとうございます。何もございませんが、どうぞ、こちらへ。ああ、主はすぐ横になってくださいませ』



 狭い家であるので、日中は荷物置き場となっている寝台から、慌てて物を片付け、そこに主を座らせた。そして、水がめから清い水を器に掬い、主に手渡す。

 そして、客人には、あまりたてつけがよくないが小さな椅子へ腰掛けるように促し、主と同じように比較的きれいな器に水をいれ、手渡した。


 青年は、水を一口口に含むと、驚いたように目を見開き、美味いな、と言って器の中身を飲み干した。もうすこし飲むか問うと、遠慮がちに器を差し出してきた青年を観察する。


 清い水というのはこのあたりではなかなか手に入りにくい。


 川が近くに流れているので、水不足にあまり縁が無い地域ではあるが、周りが砂に囲まれた地域である為飲み水にはあまり適さない水である。

 街では井戸を掘っているが、それもあまり多くないため、貧民地区ではさらに飲み水に適した水というのは少ないと言える。


 それを知っている青年は、貧民地区の出なのであろう。身なりにしても、あまり上等とはいえない。ぼさぼさの切りっぱなしの黒髪はほこりまみれであるし、元々浅黒い肌の頬には、泥が乾いた跡がついている。主のように畑の仕事をしているのではないかと思う。貧民地区の若者は、生活の苦しさから世の中に反発し、働きもしない、見るからに柄の悪いやからが多い。ゆえに、主に対して無礼な働きをする者も少なくない。


 だが、彼の様子は、初めての場所とはじめて会う人物に対する戸惑いと遠慮が見える。わざわざ、明らかに貧民地区の住人である、弱々しい老人を家まで送ってくれるような、心優しい青年なのであろう。

 私は安堵して、肩の力を抜いた。

 そして、改めて、彼の前に跪き、頭を下げた。



『主をお助けいただき、ありがとうございました。このような暮らしぶりでありますれば、あなた様のような心優しき青年にも満足に御礼も出来ません。どうかご容赦いただきたく思います』


「や、や、や! そんな丁寧な言葉で礼なんて言われたら首の後ろがムズムズするよ! それに、今日は喉が渇いてしかたがないと思っていたところで、美味い水をご馳走になったし、礼なんてそれで十分ってもんさ」


 どこかが本当に痒そうに顔をゆがめた青年は、やはり良い青年だったようだ。これなら、主を助けてくれた礼も心から捧げることができる。


『あなた様のお名前をお伺いしても?』


「ああ。おれはアリー。あんたは?」


『アリー様、ですね。私のことは、みっちゃん、とお呼びください』


「み、みっちゃん?」


『はい。主がそのようにお呼びくださるので』


「そうか。変な呼び名……ああ、いや、ごほん。ま、あんたがそれでいいならいいんだけどな。……おっと、そろそろ戻らなきゃ。おふくろが家で待ってんだ」


『さようでございますか。では、もしよろしければこちらをお持ちください』


 私は、さりげなく用意しておいた小さな小袋を一つと、小さな水がめを一つ差し出した。アリーは、それらを戸惑いつつも受け取り、中を覗いて目を見開いた。


「ゴゴの実の菓子と、水? この水って、さっきのかい?」


『さようでございます』


 ゴゴの実の菓子は、主からいただくそれを、少しずつ自分の壷に貯めて保存しておいたものだ。

 悪くならないようにきちんと管理しているものだから、出来立てのように美味しいだろう。

 水はもちろん、私が浄水した清い水である。雨水を飲み水として転用している家庭が多いが、それもまた完全に清いとは言いがたいものである。街にある井戸から汲み上げた以上にきれいな水である。贈り物に最適ではなかろうか。


『差し出がましいようではございますが、水は先ほど喜ばれていらっしゃったようなので、些少ではございますがお持ちください』


「ありがとな! ゴゴの菓子はうちのおふくろが好物でな。でもなかなか買ってやれなくて……きっと喜ぶ。水も、こんなにきれいな水は久しぶりだし、これも喜んでくれるだろうな。ああ、でも……ただ家にじいさんを連れてきただけなのに、こんなにしてもらって、なんだか、悪いな……」


『アリー様がお母様を思っておられるように、私も私の主を大事に思っております。その主を助けて頂いたお礼でございますから、どうか受け取ってくださいませ』


 先ほどから、寝台の上で横になり寝息を立てている主を、思わず目を細めて見つめれば、アリーは納得したように頷いて、小袋を懐に、水がめを脇に抱えた。


「じいさん、結構足腰弱ってるみたいだしさ、畑仕事手伝ってやんなよ。そうすりゃ、あんたが助けてやれるだろ。ま、またじいさんが困ってたら近所のよしみで様子見てやるけどな」


『心得ておきます。ああ、お見送りいたしますね。また遊びにいらしてください。主も喜びます』


「ありがとな。そのうち、じいさんの様子見に寄るよ。じゃあな」


 ひらひらと手を振って、薄闇の街へ消えていくアリー。深々と頭を下げて見送った私は、壷に戻る前に、と、家の中へと取って返し、主の身体を濡らした布で清めた。

 主の命令の効力が切れた瞬間、私は再び壷の中。


 暗く狭い壷の中で、私は目を閉じた。

 眠る必要も無いジンの身ではあるが、この日は、壷の外に聞こえる主の規則正しい寝息を聞きながら、安心と共に目を閉じ静かに過ごしたのだった。




 それ以来、時々アリーは主の家へと顔を出すようになった。

 どうやら、面倒を見る家族が増えたような認識でいるようで、じいさん、じいさん、と我が主を慕ってくれているようだ。

 主のほうも、これまた孫のような年齢の青年に慕われるのはまんざらでもないらしく、私だけではなくアリーにもゴゴの実の菓子をあげて喜ぶようになった。


 そうして親しく暮らしていくうちに、アリーは私に言った。


 みっちゃんて、ジンなのか? と。


 私は呆れてものも言えなくなった。

 あんたは今まで何を見てきたのかと。たしかに、主が申し付ける命令と言うか願いごとは、こまごまとしたことばかりで、本当に孫に用事を言いつけているような状態であったので、壷に戻る瞬間と言うのを見ていなかったのかもしれない。

 だからといって、家族を『主』と呼ぶかーい! と、つっこみをいれれば、確かにそうだな、としたり顔で頷いた。

 私はこの時、この子大丈夫だろうか、誰かに騙されてしまったり利用されてしまったりしないだろうか、と、不安に思った。


 そして、このときの私の心配は現実のものになる。



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