1
ジン、という言葉を聞いたことがあるだろうか。
アルコール度数が高い酒ではなく、仁義を重んじるの方のジンでもない。
アラジンのランプの精霊がそうであると言えば理解してくれる方も多いかもしれない。
ランプの精霊や指輪の精霊は、『ジン』と呼ばれる超自然的な存在であるとされている。そして、彼らはジンの中でも『イフリート』と呼ばれる種であり、『魔神』と呼ばれる。彼らのもう一つ上の階級のジンは、『マリード』と呼ばれ、『魔霊』と呼ばれている。
ここまで言えばわかるだろうが、ジンという存在には階級制度がある。先にのべた二種の下に、シャイターン(悪魔)、ジン(妖霊)、ジャーン(悪霊)と続く。
このようなことをつらつらと語っている私は、ジンニーヤー……男性のジンはジンニー、女性はジンニーヤーと言う……と呼ばれる、女のジンである。
私がジンとして生まれたのは、500年は前になるだろうか。既にはるか昔と言っていいほどの時間が経っている為、定かではないことを謝罪しよう。
当時、私は自分がジンとよばれる者であるという事を知らずに、砂嵐吹きすさぶ荒野の真ん中で生まれた。
まわりに同じような存在が居なかったから、知識が無いのは当然と言えば当然だった。なまじ、私には前世の記憶というものがあった。それが、自覚を邪魔してしまったのだと今ならわかる。
私がもともといた世界をなんと呼ぶのか知らないが、この世界には名前があった。
神が確かに在り、別の世界の存在が認められているが故の現象なのであろう。
この世界の名は、『ファ・ブリーズ』。
よい香りがする上に、消臭効果がありそうな名である。
とはいえ、そんな世界の名前に疑問を抱くなんて存在がこの世界にいるわけもなく。私の、この微妙な気持ちをわかってもらえる日は、ジンとして生きている限りはけしてこないだろう。
話を戻そう。
私ははじめ、自分は死に、幽霊になってしまったのだと思っていた。
なぜなら、当時私が話しかけた人間は、誰も私の姿を見ることが出来なかったからだ。
動物たちは私に向かって威嚇の声を出したり、おびえて見せてくれもしたが、人間は誰もが私の呼びかけに対して無視を返してくれた。いや、無視と言う意思がある行動ではなく、ただただ、私に気がつかずにいただけだ。居ない者にだれが意識を向けてくれるだろう。
私は、存在していなかったのだ。
絶望した。
日本という国で、気のあう仲間と一緒に働き、好きな服を買い、家族や友人と話し、美味しいものを食べ……。
そんな生活と、唐突に引き離されたのだと気がついた。
日本に生まれ、日本のホラーを身近に感じていた私は、『悪霊』なんてものが何故存在するのだろうかと思っていた。
けれど、そのとき初めて気がついたのだ。こうして『悪霊』は出来上がるのだと。
未練、悲しみ、悔しさ、絶望、愛、憎しみ、羞恥、後悔……。
胸のうちに湧き上がるそれらが、自分と言う存在を常に再構成し、肉の檻がフィルターとなってとどめていた変化を魂に直接反映する。
剥き出しになった魂が、善か悪か。
どちらかを自ら選択することは、無い。選ぶ必要は無い。それを判断するのは自分ではなく、他人だ。
魂の発する感情の迸りがダイレクトに別の何かに影響を与えてしまう。それが『悪霊』であるのだ。
自分が『悪霊』という存在になったと思い込んだとき、私は自分でも気がつかずにジャーン(悪霊)という最下位の存在から、ジン(妖霊)という存在へと段階を一段上がっていた。
この世界に生まれ出でてから1週間での出来事であり、ジンの世界ではさして珍しいことではなかった。
あれから、約500年。
私は立派なジンの一人として生きている。
自分をジンだと知らなかった頃の、かつての私の混乱ぶりといったらない。今思い出しても背中がかゆくなる。
そんな生産性も無い時をただ過ごしていたある日、転機が訪れる。
自分を幽霊だと思い込み、悪霊として負の感情を駄々漏れに洩らしていた頃であるので、おそらく生まれ出でてから30年は経っていたように思う。悪霊としての行動も板につき、あえて日本の幽霊をあらわすように言うならば、地縛霊に近かったろう。
この世界に生まれ出でた場所には、いつの間にかオアシスのように水が沸き、2畳分程度ではあったが草原が出来、木も生えていた。
その木の下で、まんじりともせずに、ただただ自分の境遇と、この世界とを呪っていたのだ。ある意味ニート……自宅警備員である。
日本であれば、肝試しスポットとなっていたかもしれない。
一度訪れた旅の者は二度と寄り付かない、恐怖体験アミューズメントパークなオアシス。
私が旅人であったなら、オアシスの名を返上しろと言いたい惨状である。
私が絶望に染まり、ある意味ジャパネスクホラーとしての正しい悪霊への道をたどっていたそんなとき、偶然に通りかかったマジュヌーンに助けられたのだ。
マジュヌーンとは、人の名前ではない。ジンにとり憑かれた人間の事を総称したものである。姿を見れないはずのジンの姿を見、その声を聞くことが出来る人間だ。
その日、たまたま私の提供する恐怖体験施設であるオアシスに立ち寄ったマジュヌーンの青年は、立ち尽くす私に向かって笑いかけ、「こんなところに一人でジンニーヤーがいるなんて、珍しいな。君の棲家なんだね。少しだけ休ませてくれないか?」と、声をかけたのだ。
そのときの私の驚き具合といったら、いまだに語り草になるほどだ。
混乱して矢継ぎ早に問いを繰り出す私の様子を、はじめは理解できないようであった。やがて、私がジンという存在を知らないことがわかれば、彼らの方も驚き、勘違いから発生し続けていた間抜けな葛藤を、青年と彼に憑いているジンニー(男性であったので、ジンニー)は大声で笑い飛ばしてくれた。
人間の名を、ラーシッド、彼に憑いていたジンニーをラン・イフリートと言った。
彼らは、オアシスで休ませてくれる礼に、と、親切にも私の知らないことを教えてくれた。
この世界で生きた人間が死んでジンになる場合、または、この世界で高位の存在の意思で作り出されたジンの場合、自然の力が凝縮して長い年月をかけジンとなる場合、いずれにしても『ジン』の概念を理解して生まれてくる。それは、元の人間の記憶を魂が覚えているから。もしくは、『親』となる高位の存在の記憶を多少受け継いだり、自然という世界の一部であるのだから世界の記憶を持っているから、だそうだ。
なんということだろう。私は、最初のこの時点で躓いていたのだ。
笑いながらジンについて、この世界について教えてくれたラーシッドとランに、『悪霊』になりかけていた私は心の底から感謝した。
そして、やっとここで、私は自分のイメージしていた『悪霊』ではなく、『ジン』に属する『ジャーン(悪霊)』として『生まれなおした』のだと知った。
いるのかいないのかわからないと言われる、不確かな『幽霊』ではなく、世界に認められた『ジンという存在』として確かに在るのだと知ったのである。
目から鱗状態の私は、呆然としつつ、ラーシッドとランに重大なことを相談することにした。これを逃せばいつ相談できるかわかったものではないからだ。
私が自分が幽霊であると思い込んだ原因。それは、弱い存在である私と言うジンを見つけてくれるような人間が多くないということ。
ラーシッドたちと出会えたのは、本当に幸運だった。
長く生きた強いジンは、普通の人間でも姿を見てもらえるように実体化することが出来る。
強いジンは、という注釈がつくのは、そのときの私には無理だったからである。例外は、主に仕えるジンである。主の願いを叶えるため、実体を持つことが出来るそうだ。
新米ジンである私は、そんな知識も惜しみなく教えてくれる彼らに、藁にも縋る思いで相談を持ちかけた。
内容はもちろん、私と言う存在についてである。そして、同時に気がついた、この世界は私の以前いた世界と同様の世界ではないということ。
私の持つ記憶は、この世界のものではないのだ、と伝えたところ、それはなんとも珍しい事例だ、と、『ジン』であるランは言った。
長く生きてきたがそんなことは聞いたことが無いとも。
私も聞いたことが無い。
とはいえ、私は彼らの話を聞き、ジンという言葉を思い出した。もちろん、元の世界でのことだ。
アラビアンナイトの世界が好きで、某世界的アニメ映画のアラジンのイケメンぶりも好きであった私は、ランプの魔人について調べたことがある。
だから、『ジン』という存在を私は理解していた。ただ単に、自分と結びつかなかっただけで。
「なんだ、ジンについての知識はあるんじゃないか」
『ここでのソレと同じとは限りませんので、出来れば詳しく知りたいのです』
小さな泉の水を動物の皮でできた水筒に入れて、一息ついたラーシッドが言った。
私はゆっくりと首を振って、再度教えを請うために相手の目をしっかりと見返した。
ラーシッドの容姿は一言で言うと美形であった。彫りの深い青年で、明らかに日本人である私とは違う面立ちをしていた。全体的に平たい面立ちをしている私とは一線を画している。
ラーシッドに憑いているジンニーであるランも、妙に美形である。
もしかしたらこれは、ジン関係者は美形しか存在してはいけない掟でもあるのか、と、疑ったとしても仕方がなかった。しかし、この疑いはそれから数年でおっさんだったり横幅が極端に細かったり広かったりするジンにも出会い、少しずつ払拭されるため、たいした問題ではない。
他人との交流がほとんどなかった私が、人間だったころにも会ったことがないような美形な二人と話すのは、とても気力を使うことだった。
だが、彼らは私に、ジンの世界以外の事も大変熱心に知識を与えてくれた。
彼らにとっては面白半分というところも多々あったのだったが、私にとってそれは救いの手に他ならなかった。
このとき、私はとても彼らに感謝して、彼らに大恩があるとまで思っていた。
だが、その後幾度か邂逅するうちに、彼らが愉快犯であり、面白おかしく過ごすためならばなんでもするような危険な人たちなのだと気がつくことになる。気がつくまでの数十年間、私はいつ消滅してもおかしくないような危ない目にあった。
彼らがはじめてあの泉に現れたときだって、盗賊団と追いかけっこの途中であったのだ。それを知ったのは、彼らが私のすみかを発ったその2日後の事だ。
ひげもじゃのおっさんたちが大挙して現れたときには、見えないとわかっていても木の上に逃げ隠れたものだ。おっさん達、もとい、盗賊の一団は、聞くに堪えない悪態をつきながらラーシッドを探し、野営の痕跡と足跡を見つけ、それが荒野に向いていると知ればすぐさま馬に乗って消えていった。