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part3 恭子の冒険

「…はい?」

思わず、持ちネタ・「杉下○京」節が出てしまう


「いや…、だからさ…」

恭子はまた下を向いた。ごめん、もっかい言って。

そして、2度目の勇気を振り絞って言った。

「お買い物…付き合って…」


恭子がすぐに下を向いてくれたのが幸いだった。

そうでなければ、洋平の心底驚いた顔を見てしまっていただろう。


今までの恭子からは考えられない発言だった。


普段恭子は、洋平にパシりを頼む。

それは、ただ単に「面倒くさいから」ではなく、行けないからだ。

あの事件の後に、恭子は近くのコンビニで

「店員に見られた」というだけで泣き叫ぶ、という軽い事件を起こしていた。

だから洋平は、自分が関与できないこと――たとえば恭子の学校での用事など――以外のことは

できるだけ自分がやる事にしていた。

それは買い物だったり、家の電話が鳴ったときに出ることだったり、いろいろだ。


恭子は少しばかりそれを気にしていたが、

洋平にとっては苦ではなかった。

むしろ、役に立てて嬉しい、くらいに感じる。


その恭子が、自分から買い物に赴く。

これは大事件だ。


「えっと…どこに?」

言うと、ますます恭子は赤くなる。

「あのさ…」

予防線発動。すごい言いにくそうだけど…

「ぇ、ぇええき…」

噛み噛みじゃないか。そんな――え?


……え…?


「駅…?」

「うん…」


ありえない。あの姉ちゃんが、人の多い、駅?


ちなみに、洋平の家から一番近い駅はバスで30分程度の、

県で一番大きいとも言われる駅だ。

もちろん人通り…というか、人も多い。

人見知りの恭子が、他人が苦手な恭子が、簡単に行けるような場所ではない。

だからこそ洋平に付き添いを頼んだのだろう。


「あと、10分くらいで…行くから…」

それだけ言うと、恭子は自分の部屋に行った。

洋平も同じく、出発の準備を始めた。


それにしても、駅に行くこと自体もそうだが、

駅に行くのに付き合って、と言うのも相当に勇気が欲しかったはずだ。


恭子は、恥ずかしがり屋だ。極度の。

厳密に言うと、恥ずかしいのではなく、

人に少しでも変と思われることを極端に嫌うのだ。


だから、「どうかしたのか?」とか思われるような、

今回のようなことは今まで一度もなかった。


そんな恭子が、駅に行くと言う。

お買い物、というくらいだから正確には駅ではなく駅前だろう。


同じ学校の人と会うかもしれない。

人にジロジロ見られるかもしれない。

店員と喋らなければいけない状況に陥るかもしれない。

洋平に迷惑をかけてしまうかもしれない。


それでも、駅に行く、と言った。

ならば、行こう。

弟として、洋平は精一杯姉を応援するくらいしかできないのだから。



家を出ると、早くも恭子は震えだした。

寒さのせいかもしれないし、やはり怖いのかもしれない。


「寒い?」

後者のことはあまり言わないようにしているので、前者を問う。


恭子は何かを決めたように不意に歩き出し、

5歩くらい歩いたところで「頑張る」とだけ言った。

どっちの意味なのかは分からない。


バス停につくと、時刻表を確認した。

あと10分くらいだろうか。二人でベンチに座る。

この辺はまだ人が少ない。俗に郊外と言われるような場所なので、田んぼや畑が多い。

二人の間に会話はない。しかしそれは他人が見れば重い沈黙なのかもしれないが、

洋平からすれば、沈黙こそが恭子の平和なのだ。

だから、恭子が寒さに耐えるように揺れるのを感じるだけで、洋平は満足だった。


バスが来た。

主に郊外と駅前を繋ぐバスなので、普段見るようなかっこいいバスではなく、

地味でボロくさいようなバスだった。

恭子はデザインが気に入ったらしい。

洋平より先に立ち、「普通のと違うね…」と少し満足気に言った。


バスに乗り込み、乗車券を取り、座席を探す。

マイナーな線なのでほとんど乗客はいない。

乗っているのは、運転手のほかには品のよさそうなおばあちゃんだけ。

おばあちゃんはこちらに気づいていないようだ。

小さな本らしきものを読みながら、バスの前のほうにちょこんと座っている。


「よーへい…」

恭子は洋平の学ランの袖を引っ張る。

恭子の方を見ると、最後尾の座席の一番端を指差しているのが分かった。

恭子はこういう目立たないようなところが好きなのだ。

「わかった」


洋平は恭子と連れ立って後ろまで歩き、恭子を奥に座らせた。

これで、何かあっても少なくとも見える範囲では他人は物理的に恭子には干渉できない。

それも考えて、恭子はこの席を選んだのだろう。

その横に腰掛けると、恭子はため息を漏らした。


バスの発車音が響き、ゆっくりと車体が動き出す。

恭子は膝の上で両の拳をぎゅっと握った。もう後には戻れないことを実感したんだろう。


恭子の身長は150cm。高校生にしては少し小さい。

対して、洋平の身長は175cm。中学生にしては大柄だ。


こうやって座って並ぶと、動きがないのでその違いも分かりやすい。

洋平の隣に座る恭子は、まるで人形のようだった。


実は、恭子はかなりの美女だ。

いつもは俯きがちで、他人に顔を見せるようなことはほとんどない。

が、顔を上げ、わざと少し長くしてある前髪を分けると、

そこには誰もが見入ってしまうような美女の顔があるのだ。


小さいがきりっとした瞳、小さな唇、柔らかでみずみずしい頬。

それらすべてが小さな体や綺麗な黒髪と絶妙に合う。

ちなみに、外見は全て母親譲りだ。

父さんの気持ちは痛いほど分かる。

ふと、隣に視線を落としてみると、それに気づいたのか恭子も洋平を見上げる。

…父さんの気持ちが痛いほど分かる。


しばらくして、駅に着いた。

今はちょうど下校時間なのだろう、途中で学生が何人か乗り込んできていたが、

彼らは恭子や洋平には気づかないままに駅へと散っていった。

「降りよっか」

促すと、恭子はまた震えだしたが、

それをかき消すように大またで前のほうの降車口に向かった。


降りると、やはり帰宅時間なのだろう。人が多い。

恭子は、顔面蒼白で周りを見渡していた。

「店に入っちゃえば人も少なくなるんじゃない?」

そう洋平が提案すると、恭子はあせったように縦に小刻みに首を振った。

「ぶんぼうぐ屋さん…」


それだけ言うと、恭子は黙った。

恭子の高くて軽い声と周りの雑踏がなんだかズレてる気がして、少しおかしい。

そうか、文房具屋か。周りを見渡し、文房具屋が入ってそうな建物を探す。


見つけた。

ビルの説明看板の中に、見たことがある文房具屋の名前があった。

「あったよ」

「どこ?」

「あそこ」


恭子は洋平の指の先を追った。

なかなか大きなビルだ。


「わかった」

それだけ言うと恭子は、学ランの袖を引っ張り、洋平の半歩前を歩き出した。

震えはまだ収まらない。


店に入り、エスカレーターで3階まで行く。

文房具のフロアに入ると、恭子はまっすぐに――いわゆる「女子高生コーナー」へ向かった。

運良く、人はあまりいない。


断言しよう。恭子は今までこのフロアに入ったことはない。

しかし、恭子が見ているのは紛れもなく「女の子」な文房具だった。

キラキラしたシャーペンやボールペン、

可愛らしいキャラクターがプリントされた筆箱や下敷きなどなど、

普段の恭子からは考えられないような代物だった。


恭子は目立つことも嫌う。

だから、今着てる学校の制服も地味だし、だから地味な学校も選んだし、

顔も隠し、文房具も無機質なものにした。


その恭子がこんなコーナーにいること自体、今日何度目かのサプライズだ。

恭子もそのことは十分承知なのだろう。

きっと頭の中は、弟の前でここにいる恥ずかしさでいっぱいだろう。


しかし決して表情を変えずに、文房具を選んでいく。

洋平は、「どうしたの?」と聞こうとしたが、やめた。

姉の真剣な姿を弟として見守ることに決めた。


「これ、お願い」

恭子が洋平の方を見て、口を開いた。

渡された可愛らしい買い物カゴの中身を確認すると、

ピンクだったり黄色だったり、とっても女の子な文房具たちが群れていた。


恭子に目で聞く。「いいの?」

恭子が目で答える。「…いいの。」


きっと、恭子には恭子なりの考えがあるのだろう。

ましてや、この姉は今までの経歴が普通ではないから、

人より多くのことを考える。

だからそれ以上は何も探らず、洋平はレジに向かった。

恭子のお金を持っているのは、洋平だ。

恭子は自分で買い物ができないから、

何か欲しいものがあるときは、毎回洋平が代わりに買い物に行く。


「かわいいですね、彼女さん」

レジの女性の店員がにこやかに言った。

「姉なんです」

そう言うと、彼女は少し驚いていた。


会計を済ませると、姉を探すのに一苦労だった。

しまった。レジまで一緒にいるべきだった。


1分ほどキョロキョロしていると、

フロアの隅のほうにそれらしき影が見えた。隠れているのだろう。

「姉ちゃん」

声をかけると、恐る恐る、といった感じで、

「お会計、おわった?」という声がした。

「終わったよ」洋平が言うと、

「次は…」恭子は一人で考え始めた。

…まだ行くの?

「あのさ…」

爆弾の気配。


「バッグが…欲しい…」

「バッグって…」

「あの! バッグって…あの…

 お出かけとかじゃなくて…学校とかに持ってけるような…」

「あ、ああ、うん」


長い文章を恭子が言えたことは喜ばしいことだが…

ここまで来ると、最早大変身と言っても過言ではないのかもしれない。


バッグは常にその人と一緒にあるから、

持ち主のイメージに直接つながる。

まさか、バッグまでも「女の子」化するのだろうか?

それは姉にとって危険な賭けかもしれない。


「えっと…一つ下の階かな?」

「じゃ…行こ…」


例によって学ランの袖をつかむ恭子。

震えは…少しは収まったようだ。


エスカレーターで下に行く。

うん…確かに、並ぶとカップルに見えるかもしれない。


フロアに着くと、今度は「女子高生コーナー」ではなく、

普通のコーナーへ行った。

よかった。派手なのじゃなくて。


地味なのだと種類も少なく、恭子が選ぶのに時間はかからなかった。

大きくもなく小さくもなく、無難なバッグだ。

でも少なくとも、今恭子が学校に持っていっている

学校で支給されたバッグよりは「女の子」だ。

学校指定と言っても、私服学校の制服のように、

「指定はしないけど、自分で用意しなければこれで可」

みたいなやつだ。

ちなみに、恭子のクラスで学校指定のバッグを持ってる人は恭子だけだとか。

でも恭子に興味津々で近寄る人はいないからそのことはあまり知られてないらしい。


「ほかに、何か欲しいのある?」

「ここには…多分…ない」

「違うフロア?」

そう聞くと、恭子は静かに首を横に振った。


「彼女のバッグぐらい自分で選んであげなきゃ」とか言い始めた店員の誤解を丁寧に解き、

今度はしっかり近くに居させた恭子を連れ、エスカレーターを降りて一旦ビルの外に出る。


ここにはないということは、文房具やバッグとは根本的に違う何かなのだろう。

「どこ行く?」

服とか?いや、それなら多分さっきのビルにあるはずだ。

じゃあ、DVDやCDかな?それは脈アリかもしれない。


恭子が、口を開く。しかし音は出ない。一瞬で口を閉じてしまう。

また、開ける。また、閉じる。

そして、3度目で、ようやく音が出た。

「笑わないでね…?」

「もちろん」

ここで予防線が出るということは、きっと本当に恥ずかしいものなのかもしれない。

恥ずかしいこと…

下着…とか?ナプキン…とか?

もしその言葉が恭子の口から出れば、恭子はもちろん、洋平だって恥ずかしいだろう。

でも、恭子が精一杯言おうとしているのだ。

弟として、しっかり――


「はんばーがー」


――受け止め…て?




「はい…?」

本日二度目の杉下右○が登場してしまった。



「だから…はんばーがー…」


もし、恭子の言った「ハンバーガー」の部分が、

例えば先ほどあげたように「ナプキン」とかだったら、

この赤面も理解できる。


しかし、秋が中盤に差し掛かり日暮れの早いせいでもう空は真っ暗な今この瞬間。

恭子の口から出たのは残念ながら「ハンバーガー」という単語だった。


「だ、だめ…?」


まずい、泣きそう。俺が。




「ぅわあ…」

無事に渡された注文の品を、席に座った後に恭子に差し出す。

恭子は、例のことがあって以来、

言わずもがなファーストフード店に来たことなどない。

だから、普通のハンバーガーに感動されても何ら困ることはない。


だが、注文のときに周りから少し注目されて涙目になりながら学ランの後ろのとこをつかまれたら、

それはもう犯罪と言ってもいいのではないだろうか。


恭子がおろおろする。

周りの人が恭子をちらっと見る。

恭子が不安になる。泣きそうになる。

周りの人が恭子をちらっと見る。

その繰り返しだった。


でも、そのときの恭子は周りの目と同じくらいに店の厨房も気になったらしく、

そちらのほうにも注意が向いていたので助かった。

もし、周りの人たちしか見れない状況だったら、

この人ごみの中で恭子はほんとに泣き出したかもしれない。


でも、


「…美味しい」


どんなに泣かれても、どんなに困らされても。


「よーへいも、食べたら?」


この笑顔が見れるならば、いい。うん。




洋平は特に腹は減ってなかったので、

結局、恭子からポテトを少しもらったくらいだった。

そのあと店を出てバスに乗り、帰ろうとしたときのことだった。


人が、多くなってる。

さっきの3倍はいるんじゃなかろうか。

恭子が、学ランの袖をつかむ。ものすごい力だ。


最初は少し揺すられるレベルだった。

でも、そのうちその揺れは大きくなっていき、

すぐに音が聞こえるくらいのレベルになった。


まずい、危険信号だ。

恭子の手を引き、ちょうど出発するところだったバスに乗り込む。

バスが動き出した。これもマイナーな線らしく、運良く乗客はいなかった。

行き先は正確には知らないが、書いてあった地名くらいは分かったので、

なんとか家には戻れるだろう。


でも今はそんなことより、恭子だ。


無理矢理座らせた席の上で、恭子は発作を起こしていた。

目を見開き、涙はもう筋になっている。

「姉ちゃん、大丈夫だから」

「やだ、やだ、怖い、やだ、やだよ、もうやだ、帰りたい、はやく、もうやだ」

「大丈夫だよ、もう家に帰れるから」

「もうやだ、なんで、やだ、はやく、かえる」

「うん、うん、大丈夫だから」


手を握り、根気よく声をかけ続け、ようやく発作は収まった。


その頃にはもう目的地で、洋平は急いで降りるボタンを押した。

「降りれる?」


恭子は弱々しくうなずき、洋平に手を引かれてバスを降りた。

ここから家まで歩いて30分くらいかかるが、

あのまま駅で発作を起こされるよりは大分マシだろう。


二人で真っ暗な道を歩く。

手は繋いだままだ。

「ごめんね…ごめんね…」

恭子は絶え間なく洋平に謝る。

洋平は返事をしない。恭子の気持ちを、中途半端な言葉で返してはいけない。

「ごめんね…ごめんね…」

恭子の気持ちを受け入れる。


家に帰ると、姉はすぐに部屋に入った。

疲れたのだろう。音楽も、すすり泣く声も聞こえなかった。

声を押し殺して泣いているか、疲れて寝ているのか。

どちらにしても洋平は邪魔をしてはいけない。


父と母にも今日のことは説明した。

父はそうか、と言うだけだった。

母には、あんたは悪くない、と言われた。

洋平はその後すぐに部屋に入った。


恭子の「ごめんね…」の合間に、

正直、死ぬほど泣きたかった。

でも、泣くことは許されない。

涙はあのとき、恭子と一緒に枯れるほどに流したはずだ。

あのとき、恭子をこれ以上泣かせないと誓ったはずだ。


洋平の顔は、いつの間にか涙に濡れていた。

暗い部屋の中で、洋平は静かに自分を責めた。

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