psrt2 「いつもの朝」
Part1から一夜明け、翌朝。
この家の日常を書いてみました。
失敗して他のところに2話目を投稿してしまったので、そちらは無視してください。
ケータイの目覚ましアラームがなる。
静かで寂しげな英語の歌だ。朝は大抵とても静かなので、こんな歌でも洋平を起こすのには十分だ。
目を覚ましてから、その歌に聞き入る。
曲頭から設定して最後までなるようにしているから、まるまる一曲、ゆっくり聴ける。
この歌は何度聴いても飽きが来ない。
「一番好きな曲は?」という質問にすぐにうれしそうに答える人たちはすごいと思うが、
「朝、一番聴きたい曲は?」と聞かれれば洋平は迷わずこの曲名を言うだろう。
イントロはリズミカルだが寂しげなギター。
そしてゆっくりと歌が始まる。
洋平も、科目としての英語が好きだから大体の訳はしてみたことがある。
中学レベルだから正確ではないが。
とある男が、地下鉄で昔の彼女を見つけた。
彼女も、自分を見た。目が合った。
彼女は天使のように美しい。思わず見とれるほど美しいのだが、その隣には、別の男がいる。
彼女は寂しげに微笑むが、男はその夜一晩を泣いてすごす。
そんな歌詞だった気がする。
そんなことを考えていると、最後のワンフレーズが流れ、曲は寂しく終わる。
洋平はゆっくり起きだすと、メガネをかけた。
視力は去年から悪くなり出した。それまではなんともなかったのだが、
母の遺伝子は見逃してくれはしなかった。
廊下に出てのそのそと歩き、恭子の部屋のドアをノックする。
数秒経ってドアを開けてみると、静かに寝息を立てる恭子がいた。
といっても、恭子は丸くなって寝る癖があるので、顔も体も毛布の中だ。
どうやらうなされてはいないようなので、洋平は階段を下りた。
カーテンを開け、ヤカンを火にかける。
ケータイに入っている楽曲を20段階のうちの5の大きさで再生する。
4人分のカップにインスタントコーヒーの粉とクリープ、角砂糖を入れる。
洋平と恭子は甘めが好きで、父と母はブラックが好みなのだが、
朝は父も母も気にしないので、みんな同じ分量にする。ぶっちゃけ楽だ。
歌がサビに入る。
静かではないが、聞いていてほっこりするような歌だ。目を覚ますにはちょうどいい。
夏はもはや後姿が見えるだけになった。やっと洋平の好きな季節、秋になる。
やかましく鳴りそうになったヤカンの火を絶妙なタイミングで止め、
4つのカップに順にお湯を入れる。
中途半端に残らないようにちゃんと計算してヤカンに水を入れたので、
ヤカンは空になった。
パンをトースターに入れた。佐藤家は朝はパン派だ。
洋平はコーヒーを、猫舌なので少しずつ飲んだ。
飲むというより、すするという表現の方が合うかもしれない。
特別うまいわけではないが、空っぽの胃袋と朝のボーっとした頭には心地よく染みる。
そのまま、洋平は朝の一人の時間を楽しんだ。
階段を上がり、一番手前の部屋のドアを開けた。
「今何時~?」母の声がする。
「6時半…ちょっと前」
母は朝は少し不機嫌だ。
それもコーヒーとパンを口に入れるまでだが。
父はまだ寝かせておこう。昨日は遅くまで書類まとめてたっぽいし。
次は、恭子だ。
部屋の扉をノックし、中に入る。先ほどとまったく変わらない配置。
洋平は姉と思われる塊に歩み寄った。
「朝だよ」
…無反応。
軽くゆすりながら繰り返すが、やはり無反応。
洋平がおもむろに毛布をつかむと、布だけではない重みを感じた。
またか。
洋平が布団を持ち上げ、ずるっと引っ張ると、そこに恭子の姿はなかった。
ていうか、恭子の足しかなかった。素人が見ると不思議な光景だが、
残念ながら洋平の目はごまかせない。
予想通りというべきか、洋平の手元に恭子の手はあった。
毛布を裏返すと、いた。
毛布を死に物狂いでつかんでいる。恭子は小さいのでとても軽い。
「……寒い」
「起きなさい」
姉弟では普通逆の立場で交わされるであろう会話をする。
階段を下りると、母は洋平が焼いておいたパンを頬張っていた。
食べる所作は恭子にそっくりだ。
あ、姉ちゃんがお母さんに似てるのか。心の中で洋平は訂正した。
「おはよう」
「おはよう」
どちらともなく言うと、「髪ボサッボサだよ?」と少し笑われた。
寝癖がひどいのは分かってるが、洋平はあまり気にしないので、
ときどきこうやって母に注意される。注意というか、笑われるというか。
「ママが直してあげようか?」
母がニヤリとする。この人は他人をイジるのが好きらしい。
そうこうしていると、父も下りてきた。
「恭子はまだ寒い寒い言ってるのか?」
「うん。今日も布団にしがみついてた」
父も母も笑う。家族仲は悪くはない。
『それでは、お天気情報をお願いします。星野さ~ん?』
陽気なアナウンサーの声がする。月並みな会話を見ていると、おもむろに母が言った。
「恭子、最近は大丈夫?」
『今日は、少し冷えるでしょう。最高気温は…』
洋平はしばらく考えた。主に昨晩の恭子のこと、つまり「気になる人がいる」発言を
言うべきか迷ったが、そこは母の領分ではないと判断して、
「大丈夫だよ」と答えた。母は安心したようだ。父も同じ表情をする。
二人とも、まだ責任を感じているのだろう。
『ということで、長袖の厚着を重ね着したいくらいです』
星野さんの天気予報が終わった。
階段を下りてくる音がして、ドアが開き、姉が入ってきた。姉も視力が弱いので、メガネだ。
「ほら、遅いからコーヒー冷めちゃったよ?せっかく淹れたのに」
母が言うが、恭子は眠いのか、目をこすりながら「うん…」としか言わない。
ていうかお母さん、それは俺が淹れたコーヒーです。
母が立ちあがり、残ったコーヒーを飲む。
着替えや化粧などは済ませてあるので、恭子に声をかけるためだけに待ってたのだろう。
父が「行ってらっしゃい」というと、母が「行ってきます」と返し、
玄関のドアが閉まる音がした。
「俺もそろそろ行くかな」とスーツ姿の父も立ち上がり、同じようにして出て行った。
洋平もそろそろ準備を始めなければならない。
リビングを出て、洗面所に行く。
歯磨きを終え、コンタクトをつけようとすると恭子が入ってきた。目的は同じだろう。
二人でコンタクトをつけていると、唐突に恭子が口を開いた。
「誰にも言ってない?」朝なので、顔が赤くなることはない。
「もちろん」そう返すと、二人は黙った。
普通は、ここで気まずさを感じたりするものだが、
二人の中での沈黙は今まで腐るほどあったので特に気にはならなかった。