第四話:愛情
背筋に氷を詰め込まれたような緊張感。
今このお爺さんはなんと言った?
アンデッド。
私のことをそう呼んだ。
何かを喋ろうとして、ぱくぱくと口を動かす。
結局向こうが先に話し始めた。
「失礼しました。そこまで驚かせる気はなかったのです。安心してください。私はどちらかというと味方です」
アンデッドという言葉は奇妙なほど私のなかにストンと落ちた。
散々分かっていたはずだった。
だが、それを他人の口から突きつけられたことが私の全身をこわばらせた。
「私は……もう人間じゃないんですね」
たっぷり間を置いて、やっと出てきたのは、無機質な確認の言葉だった。
どこかが突然痛んだように、お爺さんが顔を歪める。
「ここはそういう場所です。死人が蘇る森。その多くは望まぬ形で。本当に、失礼しました」
良い人だ。
私の中でお爺さんはもう雑に扱うことができなくなっていた。
安心してほしくて、少し強がってみる。
「いえいえ、痛い思いをしないので大助かりですよ」
お爺さんの顔がさらに歪む。
それを見た私も胸の奥がチクリと痛んだ。
やめた。
本音を言おう。
強がってまで困らせるよりはわがままな方が気が楽だ。
「ごめんなさい。本当は帰りたいんです。でも、何も思い出せなくて」
「ふむ。亡くなる前後の記憶が抜け落ちているということですかな?」
そう言われて今まで記憶を深く探ったことがないことに気づいた。
初めて深く考え込んでみる。
声。
いつもの温かい声。
帰りたい。
今回は意識してその先に進む。
ぼやけたイメージが少しずつ鮮明になって、それなのに、突然ノイズに弾かれる。
私の名前を思い出そうとしてみる。
ノイズが邪魔をする。
思い出。
邪魔される。
何も、思い出せない。
「大丈夫ですか!?」
焦った声が聞こえた。
見ると、お爺さんがいつの間にか私を抱きかかえている。
震えが止まらない。
そんな感覚もう残っていないのに、全身が寒くてたまらないような気がした。
手をついた床が嫌に硬い。
お爺さんは慎重に私を椅子に座り直させて、落ち着くまで、ずっと手を握ってくれていた。
熱を感じられない私の手が、確かに温まる。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
お爺さんは少し考えてから、そっと手を引いた。
あっ。
温もりの気配が消える。
また一人になった気がして、震えそうになる体をなんとか抑える。
それから私は、ぽつりぽつりとこれまでのことを話した。
怪我のことはなんとなくぼかした。
お爺さんはうんうんと相槌を打ちながら、親身になって聞いてくれた。
「なんてことだ。苦しかったでしょう」
お爺さんは薄っすらと涙すら浮かべている。
私にはもう、出来ないことだ。
その涙をぬぐう左手に、美しい指輪が輝いていた。
その視線に気づいたお爺さんが教えてくれる。
「妻がいたんです。いや失礼。"いる"んです」
その瞳には強い光がともっていた。
死人が蘇る森。
先程の言葉が思い出される。
お爺さんは懐からもう一つ、自分のはめているものとそっくりな、一回り小さい指輪を取り出した。
「これを、返してやりたくてね。その声の人物。あなたにもそんな人がいるんでしょう。協力しますよ」
お爺さんの言葉が重く響く。
どれだけの時間この人は待ち続けているんだろう。
凛とした姿を見ていると、いつの間にか、震えが完全に止まっていた。
感謝を伝えて、その夜はお爺さんの小屋で過ごした。
ろうそくの明かりが消えると真っ暗で、窓から差し込む月明かりだけが頼りだった。
でも、不思議と怖くはなかった。
お爺さんとワンちゃんの寝息を見守ってたからかもしれない。
力強さすら感じる生者の気配。
だから気づいた。
窓の外の腹の底が冷えるような死者の気配に。
呼ばれてる。
私はこっそりと外に出た。
2人を起こさないように。
月が丸い。
薄明かりを頼りに森の奥へと進む。
そこは美しい湖のほとりだった。
女性が月を見ていた。
長いブロンドの髪と儚げな横顔。
肌が薄っすらと青白く、お爺さん達と真逆で生気が感じられない。
独特な雰囲気に生唾を飲み込む。
どうしても目をそらすことができなかった。
女性が振り返る。
少しシワが目立つが、むしろ積み重ねた年月の厚みを感じさせる。
口元にあたたかい微笑みを浮かべて、しかし目元がおかしい。
微妙に焦点があっていない。
チグハグな様子に腹の底が冷える気がした。
「なんてこと。そんなにお若いのに、可哀想に」
やさしい言葉。
だが表情が動いていない。
「でもはっきり言っておく。彼に何かしたらただじゃおかないわ」
眉間が動いた。
先程までとトーンが違う。
本気だ。
彼とはお爺さんのことだろうか。
じゃあこの人が奥さん?
しかし、何か誤解があるようだ。
私はお爺さんに何かしようなんて思ってない。
「助けていただいているだけで、危害を加えたりと言うつもりはありません」
「なら詳しく説明しなさい」
昼間と同じ説明をした。
いつの間にか山にいた事。
記憶がないこと。
唯一声だけが拠り所であること。
ただしこの人には怪我のこともつつみ隠さず。
それとお爺さんが私に協力してくれていることも含めて。
初めて奥さんの目元が緩んだ。
「そう、ごめんなさい。そこまで過酷だったなんて。でも、これだけは聞かせて。食欲はどうしてるの?」
食欲?
なんの話だろうか。
私はこの身体になってからお腹が空いたことはない。
奥さんも同じだと思っていたんだけど。
「何の話でしょうか?」
奥さんは目を見開いて聞き返してきた。
「人を食べたいと思わないの?」




