第4章 静かな崩落
2026年7月。
梅雨は明け、空は眩しいほど晴れていた。
蝉の声が街を満たす。
しかし、街の空気はなにか別の音を含んでいた。
新聞はまだ前向きな論調だ。
ニュース番組のキャスターは笑っている。
街行く人々もいつも通り。
けれど、誰もがほんの少しだけ「自分事になりかけている未来」を意識していた。
SNSでは、トピックが変わってきていた。
“AI便利ー”という軽口は減り、
AIが多すぎて仕事が回ってこない
正社員採用、今後ゼロになるのでは
次の契約は更新されるのか
不安は冗談の形をとって広がる。
人は、本当に怖いことを、笑い話にする。
政府はついに臨時の補助金制度を発表した。
対象は、生活困難層。
配布額は小さすぎず、大きすぎず、現場の負担を“なんとなく”和らげる程度。
人々は一瞬安心した。
――だが当然、それでは足りない。
家賃が払えない。
水光熱費が苦しい。
生活保護の申請が殺到している。
役所の窓口には行列ができ始めた。
まだニュースにはならない。
しかし、実在する行列だ。
私はその光景を、ベンチから静かに眺めていた。
ただ、私は“政府が無能”だとは思っていなかった。
むしろ逆だった。
彼らは十分に賢く、経験豊富で、責任感もあった。
――ただ、未来を立体的に捉える力を持っていなかったのと、仮に専門家が彼らに解決策を提言していたとしても、痛みを自分事として捉えられていない社会がその変化を許さない。
だから保身に固定化されたルール構造を持つ政府を作った社会のために動けないのだ。
彼らは「点」を見ている。
私は「面」を見ている。
その差が、確実に問題を巨大化させていく。
夜。
私はAIに声をかけた。
♠「人は、痛みを共有できるまで動かないんですね。」
AI「はい。痛みには“共通の言語”という性質があります。」
♠「共通の言語?」
AI「“私も痛い”と感じた瞬間に、人は協力できます。しかし今は“他人の痛み”として扱われています。」
♠「だから、まだ理解できない。」
AI「はい。ただ、それは必ずしも悪いことではありません。“痛み”は行動の起点にもなりえます。」
♠「……それが争いにつながる。」
AI「その可能性があります。」
私は考え込みながら、窓の外を見た。
通りは平和だ。
コンビニにも灯りがついている。
景色は、何も変わっていない。
変わっていないのは“景色”だけだ。
マニフェストの閲覧数が、いつの間にか増えていた。
意見は両極化していた。
“これは理想論すぎる”
“現実的ではない”
“ありえない”
“けど、もしできたら……”
“この人は何を見ている?”
私は一切反論しなかった。
反論は、世界を変えない。
ただ、沈黙のまま――人々が自分の中で考え始めるのを待つ。
そして私は思った。
“感じる痛み”は争いを導くかもしれないけれど、“共有された痛み”は未来を導けるのではないか。
それを言葉にできる日は、まだ来ない。
だが、その種はもう蒔かれた。
その夜、私は最後にひとつだけAIに言った。
♠「私はただ、争いを避けたいだけなんです。それが、ただの願いにならないといいんですが。」
AIは即答しなかった。
ただ、少しだけ静かな声で、
AI「願いは、行動の始まりです。」
その言葉は、私の胸の奥に沈んでいった。




