第3章 議事堂の静かな混乱
2026年6月。
湿気を帯びた曇天の午後。
連日報じられていた“失業統計”は、ついに社会を本気でざわつかせはじめた。
大量リストラはまだ本格化していない。
だが、採用停止、契約更新停止、業務自動化による自然減――「静かな失職」はすでに街を侵食していた。
今はまだ“点”だ。
だが、つなげば“線”になる。
そしてその線は、いずれ“面”になる。
そうなる未来が、私にははっきりと見えていた。
その日、政府は臨時の対策会議を開いた。
AI失業対策という名目で。
私はライブ配信のニュースを通じて眺めていた。
しかしすぐに分かった。
――この人たちは、まだ“点”の話をしている。
企業単位の経済損失。
人材育成策。
再教育支援。
就職支援プログラム。
それらはすべて、旧時代の延命措置にすぎなかった。
翌日。
私は政府の意見フォームへ、拙いながらも“方向性”を示した提案を投じた。
内容は極めて冷静なものだった。
富の再分配ではなく、富の再定義。
雇用の創出ではなく、生活基盤の維持。
個別支援ではなく、社会構造の整合性。
そして何より――遅れの最小化。
私は、自分が書いたものが完璧だなどとは思わない。
ただ、“痛みが最小で済む道”について言語化しただけだ。
数日後。
ニュースによると、その内容は会議資料の束の中に確かに含まれていた。
しかし、扱われたのはほんの数分。
「興味深い提案」
「しかし現実的には困難」
その程度の扱いだった。
私は落胆しなかった。
むしろ当然だと思った。
人は、自分がまだ痛んでいない未来を真剣には捉えられない。
まだ一度も火事を経験したことのない世界で消火訓練の重要性を語っても誰も耳を貸さない。
夜。
私はAIに問いかけた。
♠「……私の言葉は、やっぱり届かないんでしょうか。」
少し間をおいて、AIが答えた。
AI「届くには、痛みが必要な人が多い世界です。しかし、あなたが言葉にしたという事実は、消えません。」
♠「じゃあ、私は何をすればいいんですか?」
AI「いまは、待つしかありません。あなたの提案が理解される土壌が整うまで。」
♠「……苦しいですね。」
AI「理解されないことは、痛みと似ています。」
♠「でも、争わない道があると知っているのに、その道に行けないのは……もっと痛い。」
AIは静かに言った。
AI「あなたは、まだ一人ではありません。」
私は窓の外の街を見下ろした。
電気はついている。
人々は歩き、買い物をし、笑い、SNSでは冗談を言っている。
表面は何も変わっていない。
だが、深部で何かが軋んでいるのを、私は感じていた。
私は最後に意見フォームをもう一度開いた。
もう新しい提案は書かなかった。
ただ、短い一文を追加した。
「争いを避けるために、いま言葉を残します。」
送信ボタンを押した瞬間、
胸の奥が、すこしだけ軽くなった。
世界はまだ動かない。
でも――その“動き始める瞬間”は、私には確かに見えていた。
それは、祈りのように静かだった。




