第4話
光を感じる。朝になったんだ。……朝? ――朝っ!?
「えっ……」
ガバッと飛び起きると、広い広い寝室にいた。
「あ、そうか……ロイヤル・スイート」
時計を見ると、六時と表示されていた。
「はーっ……寝坊じゃなかった」
少なくとも普通の勤務時間なら、今から支度をしても十分間に合う。でも服や何か、どうしよう。下のブティックでそろえるしかないかなあ。
「起きたか」
入ってきたのは、もちろん社長。昨夜、私の初めてを奪った人。幸いというか、あいにくというか、記憶はしっかりある。スラックスはぴしっと身に着けているけど、ワイシャツの前ははだけていて、インナーで隠れていない部分の肌がセクシー。
「おはよう」
ベッドに腰かけて、頬を撫でてくる。
「お、おはようございます」
「うん」
幸せそうに目が笑って、当たり前のように唇を重ねられた。状況が分からない。まだ残業は続いてるんだろうか。って、これもう絶対仕事の範囲超えてるよねっ!? かと言って、彼が個人的に私を好きになる要素なんて、あるわけないし。
「わけが分からない、って顔してるな」
唇が解放されると、彼は困ったように言った。
「だって……」
「昨夜、夜中に目を覚ました時のことは覚えているか?」
「んー……覚えているような、いないような、です」
「なるほど……これは長期戦になるかな」
「え?」
「いや。今日も俺の恋人役、よろしく頼む」
優しく優しく抱きしめられたら、「はい」って頷くしかない。
着替えは、渡辺さんのメッセージ付きで私のサイズのものが届いていた。
『お疲れ様。気に入らないものや合わないものがあったら、遠慮なく言ってね。ほかにも何でも相談して。気軽に連絡してね』
彼女の連絡先が複数書かれていて、ありがたかった。のんきに見物するつもりらしい社長を寝室から追い出して、シャワーを浴びてから、ひとつひとつ大事に身に着けた。すぐにでも仕事に行ける服装は、あつらえたようにぴったり。不思議な人だなぁ。
ところで昨夜のドレスはどうしよう、ときょろきょろしていると、ドアが開いて、「それは置いておけばいい」と声がした。
「ノックぐらいしてください!」
「着替えにそんなに時間がかかるとは思わなくてな」
ニヤッと笑う顔は見慣れたけど、何ていうかもう……子供みたい。キュンっと胸が疼く。
ああ、駄目だ。これは駄目。完全に駄目。出会ってまだ二十四時間も経ってないのに、心を持っていかれちゃった。
「どうした?」
ドレスを持ったまま俯くと、心配そうに覗き込んできた。
「いえ、何でもありません」
これは仕事、仕事、仕事なんだから!
「今日は午前中に二社訪問の予定だが、あとは遊びみたいなものだ。昨日のような無理はさせない」
「そういうんじゃ、ないです……大丈夫です。あ、お腹空いてるのかなー」
気持ちを切り替えたように見せて、ごまかした。
運ばれてきた食事は豪勢で、味も彩りも素晴らしかった。
「おいしい~。幸せっ」
肌を合わせた気楽さからなのか、社長の前だというのにリラックスしてしまう。彼が嬉しそうに見るものだから、そんな顔をもっと見たいなって思っちゃうし。
「それは何よりだ。朝食は明日も明後日もここだからな」
「え?」
「君の住まいを用意させている。それが整うまではここにいてもらう」
「住まいって……。仮の恋人なのにそこまでしていただかなくても」
「俺は徹底的に物事を運ぶ主義でね。少なくともひと月は、俺と寝食を共にすると思ってくれ」
「そんなに……」
私は動揺を隠すため、紅茶をひと口飲んだ。レモンの酸味と砂糖のハーモニーは絶妙だけど、一層切なくなってしまった。ひと月もこんな暮らしが続いたら、本気になっちゃうよ……。
「ひと月後に、何かあるんですか?」
「昨日も思ったが、察しがいいな。賢い女は嫌いじゃない」
「それはどうも……って、答えになってませんっ」
「ハハッ、確かに。俺に今、見合い話が五十件ほど持ち込まれててな。両親のところで止めてもらってるんだが、このあとさらに五十件は増えるらしい。お袋がヒステリーを起こしてな、いっそのことさっさと見合いしろと言ってきた。それが嫌なら、見合い話を諦めさせる、誰もが納得のいく理由を示せと。お袋が提示した期限までに返事をしないと、俺は向こう百日間、見合い漬けになる。冗談じゃない」
「それで急遽、偽の恋人を……」
「ああ。昨夜のパーティーで、十件は潰せたはずだ」
「それでああいう……」
会場での、過剰に思えるいちゃいちゃ。あれは、あの中にいたお見合いのお相手に見せつけるためだったんだ。私がそっち側だったら、悲しいなぁ。それに、あの手も言葉も、計画のうちだった……。当たり前じゃない、これは仕事でしょ。
「分かりました! 期限付きのお仕事っていうことで、期間が分かってちょっと安心しました。それまで精いっぱい務めさせていただきます」
明るく、きっぱりと。こっちが勘違いしているのを悟られないように言った。
「まあ、状況次第だな」
彼は紅茶を飲みながら、独り言のような言葉を落とした。カップを置いて立ち上がる一連の動きも、映画俳優みたいに決まってる。
「行くぞ。業務開始だ」
「はい!」
私も立ち上がり、気持ちを引き締める。どこからどこまでが業務なのか曖昧だけど、ひと月だけ、この恋を思いっきり楽しむことに決めた。