音の無いバースデーケーキ
僕が生まれる前の世界には、音というものがあったらしい。
音はそこら中に溢れていて、当たり前のものだったという。
笑い声や風の音、音楽というものも音で作られていた。
それがある日、突然音が世界中から消えた。
ありとあらゆる音を操る仕事は消えたし、ダメージも尋常ではなく凄いものだったらしい。
でも人類は強靭なもので、この音の無い世界でも順応していった。
今日は僕の10才の誕生日だ。
音の無い世界の誕生日では、ある意味独特かもしれない、不思議な文化があった。
歌の代わりに、蝋燭の灯りの揺れで祝う。それが、今のこの世界の誕生日の祝い方だ。
蝋燭の灯りの揺れを振動させるのは、聖歌隊の人たちがわざわざ来てくれる。
別に聖歌隊じゃなくてもいいけど、音があった世界で歌を歌うアーティストたちの仕事を確保する意味でもあるらしい。
大人から又聞きした話だから、本当かどうか分からない。
とにかく今日、僕のそこまで大きくない家には聖歌隊の人たちが来て、僕のバースデーケーキの蝋燭の灯りを揺らす。
10年しか生きていないけど、僕はこの瞬間が一番好きだったりする。
わざわざ大人が遠方から僕の誕生日を祝いに来てくれて、自分が何か凄い人のように思えるから。
実際は全然そんなことないんだけど。
家に来た聖歌隊の人たちは全員で、5人だった。
みんな白い制服を着ていて、厳かな雰囲気を纏っている。
両親が微笑みながら、聖歌隊の人たちを家に招き入れた。
聖歌隊の人たちは、僕を見ながら、こんにちはと手話で挨拶する。
だから僕も、こんにちはと手話で挨拶を返した。
両親が長机の上に冷蔵庫から出したバースデーケーキを置いた。
何の変哲もない、普通のイチゴのホールケーキだ。
それに一本ずつ、蝋燭を刺していく。
聖歌隊の人たちは早速、楽譜を持って歌う姿勢を整えていた。
両親が蝋燭の火を付けようとしていたが、中々付けらなかった。よく見ると、腕が緊張で震えていた。
しばらくたってようやく、蝋燭の火が灯る。
その瞬間、聖歌隊の人たちの口が大きく開いた。
蝋燭の灯りが揺れる。
聖歌隊が今日の為に作られた歌を歌う。
蝋燭の灯りの揺れだけが、それを認知する。
目の前に置かれたバースデーケーキ。
長机の上にポツンと孤独に光るその姿は、まるで祝われるためというよりかは、ホラーゲームに出てくる、曰く付きのアイテムみたいだ。
バースデーケーキに刺された蝋燭の灯りが揺れる。
聖歌隊が大きく口を開いて、身体を揺らしている。
きっと、サビに入ったんだ。
バースデーケーキに立てられた蝋燭が、ひときわ大きく揺れた。
まるで、それ自体が歌を奏でているかのように。
やがて歌が終わる。
両親は僕の前にバースデーケーキを持ってきた。
聖歌隊の人も、両親も笑っている。
僕は揺れる蝋燭の灯りを見た。
あの奇跡みたいな瞬間をもっと見ていたかった。
そして手話で、ゆっくりとありがとうを言った。
両親が焦らすように背中を押した。
そろそろ火を消しなさい、というように。
僕は揺れる蝋燭の灯りを見た。
またあの大きな蝋燭の灯りの揺れを見たかった。
それが見れるのは来年の誕生日まで、お預けだ。
来年もまた、この光景が見れますように。
僕は観念して、ふぅっと息を吹いた。
蝋燭の灯りは消え、みんなが手を合わせて僕を祝福した。
無音の中、そこには確かな幸せが息づいていた。