昼休みの教室
花畑の中で夢咲を相手に行われていた自己紹介も一段落したところで、俺はモリ―に最も確認しておきたかったことを聞くことにした。
「ところで、さっき学校で夢咲に命令したら全く言う通りにならなかったんだが。力の大元であるお前に効かないのは知ってたけど、祝福を持った人間同士でも命令は効果がないのか?」
「ないね。そもそも祝福は本来、力を分け与えることで相手を降りかかる災いから守るためのものなんだ。恭順の祝福に備わった命令の力はあくまでも本来の用途に必要ない余剰分の力が漏れ出した結果に過ぎないし、朔彦の命令が本来の役割である守りを超えて七歌に干渉することはないよ」
災いから守ると言われても、それだけでは抽象的過ぎてわかりづらいけれど。
言われてみれば、心当たりがないでもない。
例えば、俺は生まれてこの方、入院するような大きな怪我や病気はもちろんのこと、風邪の一つだって患ったことがない。
それが祝福の恩恵だと言われれば、まあそうなんだろうなと納得はできる。
もちろん、そういうことは最初から言えという話ではあるのだが、モリ―は嘘こそつかないものの人間と同じ視点で生きているとは言い難いやつなのでその辺りは追及するだけ不毛だろう。
「それじゃあ、私からも質問。この空間って結局なんなの? さっきまで私たちがいた山の中ってわけじゃないよね?」
「ここは僕の精神世界だよ。本来なら他者が立ち入れるものではないんだけど、七歌と朔彦は祝福を通じて僕と繋がっているからね。こうして、この空間を共有することができるんだ」
学校にいたときの調子を取り戻してきた夢咲はあれこれ気になることを質問していて、モリ―は律儀に答えを返しているけれど。
それらのやり取りは俺にとっては既知のものであり改めて聞くようなこともなかったので、二人から視線を外し空を見上げてみる。
見渡す限り雲一つなく、ただ青空が広がるばかりの空は俺が初めてここを訪れたときから何一つ変わっていなくて、もうすっかり見慣れてしまったけれど。
やっぱり、こうしてこの空を眺めていると、あまりにも澄み渡り過ぎていて却ってうんざりしてしまう。
なんて、こんなことを考えるのは我ながら捻くれ過ぎか。
◇
夢咲が俺と同じ恭順の祝福を有していることが判明した翌日の昼休み、モリ―から最低限の説明を聞いたおかげで辛うじて現状を受け入れられた俺はいつもの如く机の上に弁当を広げようとしたのだけれど。
俺の席へ近づいていくる人影に気づき、弁当箱の蓋を外す寸前で顔を上げた。
「霧橋君、お昼一緒に食べない?」
「食べない」
顔を上げた先には常にも増して愛想のいい笑みを浮かべた夢咲がいて、何やら妙な提案をしてきたのでとりあえず断っておく。
一体、夢咲が何を考えているのかは知らないけれど。
祝福のことは人前で話すようなことではないし、人のいない放課後ならともかく昼休みに俺と彼女が顔を突き合わせる理由など何もない。
だから、俺が彼女の誘いを断ったのは至極当然の判断であり、さっさと弁当を食べようとする俺を止める権利など彼女にはないと思うのだけど。
弁当箱に向けて伸ばした俺の右手は横から突き出された夢咲の手によって掴まれ、そのまま凄まじい力で押さえつけられた。
「おい」
思いのほか強い力に驚きつつも俺が抗議のため声を上げると、俺の昼食をじゃました張本人は先ほどまでと変わらぬ笑みを浮かべたまま再び桃色の唇を開いた。
「私の他には凛と水樹もいるけど、別に構わないでしょ?」
「いや、そもそもお前と飯食うことを了承してないんだが」
やたらと圧の強い夢咲が目線で示す先では友人と思しき女子二人が机の上で弁当を広げており、時折こちらへ困惑気味な視線を向けているけれど。
俺はクラスメイトであること以外に一切接点のない女子たちと一緒に食事をしたいとは思わないし、なんなら祝福と関係ないところで夢咲と絡みたいとも思わないのだが。
どういうわけか今の夢咲は俺の話に耳を貸す気配が全くない。
マジでなんなんだ?
昨日、俺の聞いていないところでモリ―に変なことでも吹き込まれたのか、こいつ。
「夢咲、いい加減にしろ。これは命令だ」
あまりにしつこいので夢咲を引き剥がすためいつもの如く命令を口にしてから、一瞬だけ彼女がぽかんとした表情を浮かべたのを見て俺はすぐに自分の間違いを悟った。
「あはは! いや、わかるよ。咄嗟に出ちゃうよね、こういうの」
俺の発言がよほど滑稽だったのか、夢咲は虚を突かれたような表情をすぐに崩し今では目尻に涙まで浮かべて笑い声を上げている。
夢咲に俺の命令は通じない。
別に、忘れていたわけではないのだけれど。
つい、いつもの癖で目の前の面倒を祝福を使って解決しようとした結果、我ながら馬鹿みたいな発言をしてしまった。
自覚はあるのであまり強くは言えないが、それはそれとして事の発端である夢咲がこうも馬鹿笑いしているのを見ると些か釈然としないものがある。
「うるさい。というか、マジでどういうつもりだ? お前」
「どうって?」
惚けた物言いで小首を傾げている夢咲が本当に俺の言いたいことを理解していないとは思えないけれど。
何が楽しいのか、彼女はまだこの不毛なやり取りを続けるつもりらしい。
「用があるなら、放課後にでも言えばいいだろ。なんで俺とお前が顔を突き合わせて昼飯食べる必要があるんだ」
「それはもちろん、霧橋君と仲良くしたいからだよ」
「俺と仲良くするつもりがあるなら、飯くらい一人で食べさせて欲しいんだが」
「うーん、そう言われると弱いんだけど」
台詞とは裏腹にまるで困っていなさそうな夢咲は一歩前に踏み出すと俺の耳元へ唇を近づけた。
「真面目な話、モリ―の説明だけじゃ実感湧かない部分もあるからさ。霧橋君と私の祝福が全く同じもなのか、凛と水樹を相手にいろいろ試してみたいんだけど」
耳をくすぐる囁きは小さい頃近所に住む友達と交わした内緒話を思い出させるけれど。
聞こえてきた台詞には幼く単純だった昔とは似ても似つかない企みが滲んでいて、こそばゆい感覚は同じでも小さい頃とは違って妙に落ち着かない心地にさせられる。
「あの二人、お前の友達なんだろ。いいのか? そんなことして」
友人を実験台にしようとしている夢咲へ小声で応えると、彼女は顔を上げ元の立ち位置へ戻ってから不思議そうに俺の顔を見つめ始めた。
「夢咲? どうかしたのか?」
「え、ああ、うん」
夢咲が曖昧に頷き、僅かな躊躇いの後ゆっくりと口を開いた。
「霧橋君がそういうこと気にしてるとは思わなかったから。ちょっと驚いちゃって」
「そういうこと?」
意図するところがわからず聞き返すと、夢咲はちらりと友人たちの方へ視線を向けてから僅かに目を細めた。
「私だって昔は似たようなこと考えたことあるけど。命令していいのか、なんてこと霧橋君でも考えるんだね」
言われてから初めて気づいた。
確かに今、俺は友人たちへ祝福の力を使おうとする夢咲に対し諫めるような台詞を口にした。
別に、俺は他人に祝福の力を使うことを悪いことだとは思っていない。
無論それを悪用して他人から金品を奪ったりするようならその限りではないけれど。
鬱陶しい会話を終わらせるためだったり、やるべきことをスムーズに進行させるためならば俺は躊躇いなく祝福の力を使う。
では、なぜ俺は夢咲に対しあんな台詞を口にしてしまったのだろうか。
答えはなんとなく想像がつく。
昔、まだモリ―と出会う前の俺は自覚のないまま友達へ祝福の力を使ってしまい、とある間違いを犯した。
結果として力を自覚するきっかけにはなったけれど。
あのときのことを思い出すと、今でも胃の辺りが重くなり口の中へ苦々しいものが広がっていく。
今さら、とやかく言っても仕方のないことだと理解はしているつもりなのだけど。
友達に祝福の力を使うと言った夢咲へ気づかぬうちに過去の自分を重ねていなかったかと問われれば、違うと言い切る自信はない。
まったく、自分でいうのもなんだが随分と過剰な反応をしたものだ。
「別に、今のはそんなんじゃない」
「そう? その割には結構本気で心配してくれてるように見えたけど」
「気のせいだ」
自分でも苦しいと思う言い訳に納得した、という感じでもなさそうだけれど。
夢咲はこれ以上言い募ることはせず、ただ曖昧に微笑んだ。