FILM.7 春の気温
今日の予定は始業式のみ。午前中で終わる。荷物を持って私は屋上の扉を開けた。私の髪の毛を撫でるように優しい風が吹いていた。
「気持ちいい……」
この間来たときは肌寒かったのが信じられない。最近は4月でも稀に半袖で歩いている人を見かける。来年の今頃は一体どうなっているのやら。
「あ、やっぱりいた」
「え?」
振り向くとそこには、片村くんがいた。
「え、片村くん、何で」
「市川見かけたから、もしかしてって思って」
「今日は、絵じゃないよ。ただ屋上に来たかっただけ」
「俺は、写真を撮りに」
写真部はもう廃部になった。話を聞いていて少し心配していた。彼は好きな写真を辞めるのか否か。でも、心配なんてする必要は無かった。
「良かった」
「え?何が?」
「カメラ、続けてて。実はさ、廃部になったから辞めてたらどうしようって思ってた」
好きなことだって、小さな出来事で自分から奪われていくことはある。
「俺は続けるよ。だってカメラが好きだから」
初めて会った時言われたことを思い出した。「好きなことであれば無限に出来るよな」と私の言葉にそう返してきた。今になって、この言葉の意味をきちんと理解した。どんな状況に陥ろうとも、決して諦めない。片村くんの言う「無限に出来る」とはそういうことだろう。私はこの言葉に倣えるのか。結果は分かってる。
「……ねえ、片村くんってどんな写真を撮るの?」
「普通だよ」
「……見せて?片村くん、この前私の絵見たじゃん」
私は見せたわけではない。見られてしまったのだが、「見た」という点では同じだ。
「ふふふ。そんな見せる理由を作らなくてもいいのに。言わなくても見せてあげるよ」
「やったっ」
片村くんは笑いながらカメラに保存されている写真を見せてくれた。
「すごい。この写真とかすごくおしゃれだね」
「ありがとう」
写真だからなのだろうか。私が絵で真似しようとしても出来ないような写真が何枚も出てくる。
「この写真のコントラストの使い方上手いね」
「え……」
「あとこれ。この木が建物に映ってる感じ。物凄くおしゃれ。撮影するときは一瞬なのに、やっぱり構図の取り方が上手い。尊敬する」
絵を描くときにも「どのような角度で描くのか」というものはとても重要になる。切り取る角度によって作品の印象は180度変わる。自分の好きな絵と重ねてしまい1人で熱く喋りすぎてしまった。片村くんを見ると、戸惑っているように見えた。
「あ、ごめん、ちょっと語っちゃったかな」
「ううん、大丈夫だよ」
そう笑顔で言ってくれた。
「片村くんは風景を撮るのが好きなんだね」
「あ……うん……」
片村くんのカメラにはたくさんの風景の写真が納められていた。どれも、美しく時が止まっている。
「私も風景画描いてみようかな」
よくよく考えてみれば、私は常に人のイラストを描いていた。私の持っているスケッチブックには人の絵がたくさんある。最後に風景画を描いたのはいつ頃だろうか。うっすらと記憶にあるのは小学校の授業で描いた覚えがある。正直、それもうろ覚えだ。
「……クラス、どう?楽しい?」
「あ、うん、友だちも一緒だから」
「へー」
相変わらず、屋上ではカメラを向けている。その姿に思わず笑みが零れる。
「片村くんは?」
「俺も、楽しいよ」
「それは、良かった」
屋上からの景色は綺麗だ。今は所々がピンク色になっている。もう少しすれば葉桜になりそうだ。
「桜、綺麗だなー……」
「春って感じするよな」
「うん」
春風はどこからか花びらを連れて来た。この季節になると思わず手が動く。そんな私は気付いた。
「え、何してるの?」
彼は私を撮っていた。
「え、……あ、いや、何って、桜が似合うなって思って」
「何それ」
「『桜』じゃん?下の名前の漢字」
「そうだけど……知ってたんだ」
「うん、下の名前は今日知った」
「あ、クラスの名簿か」
「素敵な名前だよね、『莉桜』って」
「っ?!」
私は顔を反らした。それは片村くんに撮られたからというよりは名前を呼ばれたから。この学校のクラス発表は紙の名簿を校庭で旧学年のクラス担任から受け取る。その名簿はもちろん、フルネームで書かれる。まさか、その時に名前覚えられてたなんて思ってなかった。「嬉しい」と思ってしまった。
「……ごめん、私、もう帰るね」
「あ……うん、ごめん。気を付けろよ」
今は4月だ。それでも、今日は少し暑い。身体も熱い。それは走っているからなのか。明日からの学校生活が不安で仕方ない。新クラスの名簿を見たとき、自分のクラスにその名前が無かったことに落ち込んだ。だが、今は違う。息を切らして家に帰る。
「片村くんとクラスが別で良かった」
私は鏡で火照った顔の自分を見ながら思ってしまった。