FILM.38 緋色の優しさ
名前を呼びながら、上田が俺の席まで来ると間髪をいれずに俺に尋ねてきた。
「ねえ、今日の放課後って暇?」
「あ、うん。暇だけど?」
「ならさ、少し遊ぼうぜ」
「……え、いいけど……」
思わず反射的に返事をしてしまった。中学から一緒の上田にこんなことを言われたのは始めてだ。授業を終えて下駄箱に行くと壁に寄りかかりながらスマホを触る上田を見つけた。上田も俺が来たことに気づいたようだった。
「よ、お疲れ」
「……お疲れ。ごめん、俺、だいぶ待たせた感じ?」
「まあ、でも全然平気。行くか」
「うん……?」
学校を出て迷わず進む上田についていく。通ったことの無い道。見たことの無い景色。どこに向かっているのだろうか。
「上田、どこに行こうとしてんだ?」
「行けば分かる」
後ろを振り向かず言葉だけを投げる上田。そしてしばらくすると「着いた」と上田が足を止めた。
「どこ、ここ?」
「どこって、綺麗だろ?景色。片村が好きそうな景色だなって思って」
「俺が……?」
確かに、眺めは綺麗だ。今日は天気も良く、日の入りという時間も相まって美しい。
「せっかく連れてきてくれて申し訳ないけど、俺、今日はカメラ持ってきてねーよ」
「あはは、マジかー……、もったいない」
上田は笑いながらズボンのポケットからスマートフォンを取り出しカメラを眺めに向ける。
「ってかお前の用事はこれだけ?」
「……いや、今日はお前の話を聞こうと思って」
「……話?俺の?」
「この前、電話でお前が何か言おうとしてたじゃん?言いたくなかったら言わなくて良いんだけど、個人的にちょっと気になってるというか……」
あの時、俺が上田に聞きたかったこと、今でも覚えてる。しかし、今の俺にはそれよりもまずは上田に言わなければならないことがある。
「……上田」
「ん?何?」
「ごめん。メッセージのこと……」
「メッセージ?……あー、あれね」
「何も説明してなくて、本当にごめん」
「いや、マジな。もう気にしてないけど、いろいろ突然だったしびっくりしたもん……」
「……」
これだから、上田を憎めない。俺が悪いのに、一言も俺を責めようとしない。マイペースというのか、単に興味が無いのかは分からない。だから、俺は上田に対しては自分勝手になってしまう。
「……市川はお前の描いた絵を受け取ってくれたの?」
「市川?」
「うん……。ほら、お前、市川のこと描いたんだろ?だから、市川にプレゼントしたのかなって思って」
「あー……」
気になるならストレートに聞けばいいのに、自分の気持ちを知られるのが嫌だ。だから、こんな分かりづらくなる。
「どうだったっけ……。確かに市川のこと描いたけど、あんま覚えてねーな」
「あ、そう……」
あの絵が市川の元にあるのか上田の元にあるのか。「本当に覚えてねーのか」と言葉が浮かぶ。でももし、今上田が「市川が持ってる」と答えたとしたら、俺はどう思ったのだろうか。その言葉を今聞かなかったことに不思議とほっとしている自分がいる。
「ってか、見て、片村!!これめっちゃ綺麗に撮れたんだけど!!」
俺と話をしながらも写真を撮る手は止めない上田。ひたすら撮り続け、そしてベンチに座る俺の方へとある1枚を見せてくる。
「この写真、いい感じに日の入りの太陽の淡い光が濃いオレンジの空の色とマッチしてる。こんな綺麗な写真撮れたの久しぶりかも……!!」
「……」
自分が撮りたかったクオリティーを映す、またはそれ以上の写真。その一瞬を止めるのはいくら技術があったとしても容易に出来るものではない。撮れた時の高揚は俺にも分かる。分かるからこそ、余計にもやもやするのだ。
「お前、何でカメラやめたんだよ……?」
「……」
俺の一言が上田の嬉しそうな顔から笑顔を消した。
「その様子だと写真が嫌いになったわけじゃないんだろ……?」
「……何回言わせるんだよ。言っただろ、飽きたからって」
「本当にそうなのか……?」
「……そうだって言ってるじゃん……」
中学から一緒にカメラをやって来た。カメラがあったから俺は上田と友だちになれた。カメラが俺と上田をここまで繋げてくれた。だから、俺は知っている。上田はカメラが嫌いになるはずがないと。何か訳があるはずだと。だが、結果は同じ。それをいくら問いただしても、こいつはなかなか口を割らない。
「でもお前は、今でもカメラのことが好きだろ?だから、俺をここまで連れてきたんじゃ……」
「ここに連れてきたのは片村が好きそうな場所だから。俺は関係ない」
俺を理由に巧みに逃げる。こんなことになるために俺はここに来たんじゃない。上田ときちんと話をしたかった。だから、触れてしまったら逃げるわけにはいかない。
「なんだそれ……。じゃあ、お前は飽きたから市川と絵を描いてたのか……?」
「今は市川関係ないだろ」
「いいから答えろよ……!!」
こんなに声を上げたのは久しぶりだ。ここに嫉妬は不要だと分かっている。勢いで掴んだ上田の胸ぐらに俺は「ごめん」とすぐに離す。
「なんか、懐かしい……。昔もこんなことをあったよな」
「……そうだな」
あの頃と同じ状況を今、上田も思い出していることだろう。俺が上田に問いただしている同じ状況を。カメラから逃げるために、絵を描いてたのか。市川を逃避に使ったのか。どんな聞き方をすれば良いのか分からない。
「中学の時からずっと聞いてきた。でもお前はずっと……」
「俺が何をしようが片村には関係ないだろ。絵を描くのも楽しいし……」
「……」
その通りだ。上田は自分の意思でカメラをやめた。だから俺は気にする必要などない。上田が自分からカメラを手放したのなら放っておけばいい。だが、今はそれが正しいとは思えない。
「市川を理由にすんなよ!!お前はただ、絵に逃げてるだけなんじゃないのか!!」
分かっている。カメラを手放したのは、彼なりの理由があるんだろうということくらい。でも、言わないと気が済まない。
「逃げてる……?別に逃げてねーけど……」
「……嘘つけ」
「嘘じゃねーよ」
呆れる。こんなところで一体何をしているんだろうか。俺はここで言い合いをするために来たわけではない。今、何時だ。辺りはまだ明るい。今のうちに早く帰らなければ、家族になんて言われるか。
「……一旦落ち着こうぜ。ほら、見てみろよ、オレンジ色の空が見えるぞ。こんな綺麗な景色滅多に見れないと思う。お前、昔からこういうの好きだろ?」
上田は空気を変えようと必死に話題を探す。雲1つ無い空。空を少し淡く緋色に染める陽。風で静かに揺れる木の葉。そんな優しく美しい景色に加わる上田の言葉。この怒りは浄化されること無く頂へと届いた。
「いい加減にしろ……」
「片村……?」
「お前、俺のこと何も知らないくせに余計なことするな」
上田は俺を止めようとはしなかった。一方的に言葉をぶつける俺に、上田はその矢を俺には向けることはしなかった。以前と全く同じ光景だ。俺は重い荷物を背負い家に帰った。




