FILM.16 “仕返し”
今、私の机の上にある教科書は閉じられている。目の前の彼は静かに勉強しているというのに。
「ん?どうした?」
「え、いや、なんでもない」
片村くんは私の異変に気付いたようだ。私がそれに気付いたのは次に彼と目が合ったときだった。
「……?!」
反射的に私は彼の瞳から目を反らした。
「なにしてんの?」
「ベ、別に……なんでも……」
「ふーん……」
その場で立ち上がった片村くんが、こちらに手を伸ばす。
「ちょっと、動かないでよ」
私は素早くスケッチブックを胸に寄せた。
「……だから、なんでよ」
「なんでって……この前の仕返ししてるから」
「仕返し?何の?」
どうやら彼は覚えていないらしい。首を傾げ、目をぱちぱちしている。桜が舞うあの屋上で、彼は私の写真を撮っていたことを。
「……とにかく、いいから座って動かないでよ」
言われた通りに彼が座り作業を始めた数分後。再び顔を上げると、右手に握られていたはずの黒のシャープペンシルが横たわっていた。いつの間にか彼からは数式を解く音が消えていた。それだけではない。彼はいたずらっ子のような顔をして、顎を触り、肘をついている。
「そーゆーことか」
「え、な、何……」
「いや、市川って意外と分かりやすいなって思って」
そういいながら、片村くんは目線を下へと運ぶ。
「だから、別に……」
「勉強は?しないのか?」
何かを企んでいるような目。口元も少し緩んでいるように見える。片村くんが気付きはじめている。
「家でやるもん……」
「家でやると寝るから学校でやるんじゃなかったのか?」
関わらなかったら知ることはなかっただろう。この人、実はものすごくドSなんだということを。
「今日は、気分じゃないから」
こうなったら、もう言ってしまった方が早い気がする。
「……勉強しててよ。片村くん、今私のモデルなんだから」
「ふふ。やっぱり、そうだったか」
微かに聞こえた彼の笑い声が少し嬉しかった。
「やっぱりって……、気付いてたなら言わせないでよ」
「察するより、きちんと本人の言葉で言われた方が嬉しいじゃん」
「……まあ、確かにそうだけど……」
彼が再びシャーペンを手にした。
「……片村くんにさっきの言葉、そっくりそのまま返すよ」
「何を?」
「『市川って意外と分かりやすいな』ってやつ。というか、分かりやすいのは私より片村くんだと思う、絶対」
「ふふ、それはどうも」
教科書を見ながら返事をしてくれた。
「思っていることは言葉にしないと伝わらないからね」
「……そうだよね」
「だって、今分からないでしょ?俺が何を考えてるのか」
「……うん、何か考えてるの?」
「『勉強めんどい』」
「へー……、なんか、らしくないね」
「悪かったな」
その笑顔が焼き付く放課後の帰路。今日の夕日は私の中へも静かに堕ちた。




