【9】謎の来訪者
エラとビルはシンプルだがきれいな服を着せられて、応接間という部屋に連れていかれた。ビルはエラの手を握りながらニコニコと笑っているが、エラはずっと難しい顔で黙り込むばかりである。
誰が来るのか。その疑問ばかりがエラの脳内でぐるぐると回った。
室内にはアヒムと数人の使用人がおり、エラとビルは横長のソファに座らされていた。目の前に出されているクッキーやらジュースやらをビルはおいしそうにほおばるが、エラは一つだって食べる気持ちにならなかった。
そして暫くの後、こんこん、とノックの音が部屋に響いた。
「アヒム様。アダルブレヒト様をお連れいたしました」
「通してください」
ジュラエル語で会話をしていたのでよく分からなかったが、アヒムの名前の後に、やたら長い名前が続いていた。それが会いに来た人間か? と思っていたエラが睨む目の前で、ドアは開いた。
入ってきたのはアヒムと同じく、髪も目もピンク色をした、目に痛いキラキラした貴族男性であった。年齢は、エラの世代の親より少し上ぐらいだろうか?
「アダルブレヒト叔父様。お久しぶりです。こちらが、お話した女性とその息子です」
アヒムのジュラエル語からエラが理解できたのはアダルなんちゃらという人名だけだ。長く聞き取りづらかったが、すくなくともそれが入ってきた男性の名前であるという事だけは理解できた。
男性は、入室してからずっと、ただただ、エラを見つめ続けていた。
熱心に自分を見つめるピンクの瞳にわずかな寒気を感じて、エラは横のビルを抱きしめる。ビルは口の周りについたクッキーの滓をぺろぺろとなめていた。
(……にしてもこの男、なんか、どっかで、見た事あるような……?)
こんな目立つ男の知り合いが存在した記憶はないのだが、しかし、どうにも見覚えがある。
と、その時。エラの腕の中にいたビルが、部屋の中の妙な空気に不思議がって母を呼んだ。
「ママぁ?」
「……なんでもねえよ」
そう言いながらビルの肩を揺らすエラだったが、その時息子の顔を覗き込んでハッと気が付いた。
目の前の男とビルの顔が、どことなく似ているのだ。
流石に年齢の壁があり、まるきり一緒という訳ではない。だが顔のパーツなど、どことなくビルが成長したらこうなるだろうな……という見た目を、男はしていた。
そんな来訪者はエラを黙って見つめ続けていた訳だが……ついに、ぽつりと呟いた。
「――イルザ」
エラは目を見開いた。
それは随分と長い事聞いていなかった、エラの実の母の名前であった。
「なんでその名を知ってる?」
エラがそういった次の瞬間、男はエラに近づくと逃げる隙も与えず、エラの体を抱き込んだ。突然年上の男に抱きしめられてエラは暴れたが、男の力は強く振りほどけない。
エラごと抱きこまれていたビルは、体の小ささを駆使してさっさと抜け出し、「キラキラさん、キラキラさん」と宙に話しかけている。母親を助けてほしい。
結局エラは逃げ出すことを諦めたのだが、その理由は、男の抱擁から妙な雰囲気を感じなかったからだった。
エラはこれまで、様々な男に抱かれてきた。その中で、年上の男から――そういう意味で求められて抱きしめられたことは何度もあった。というか、そういう意味でしか男に抱かれたことなどない。
今目の前にいる男の抱擁からはそういうものは感じず、胸に感じたのは……幼いころ、母と布団に潜っていた時のような、ふんわりとした気持ちだけだった。