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【7】脱走

 エラとビルは川を超えてきた、所謂不法入国者である。最初は死にかけだったから優しく接せられたとしても、そのうち祖国に追い返されるだろう。そう思っていた。

 ところがそうされる気配はなく、エラもビルも殆どの怪我が治るまで、保護された。


 ある程度体が治ったころから、エラはこの場所がどういう場所かを調べ出した。


 ここはジュラエル王国側の、あの国と国をつなぐ橋がかかっている町だ。間違いなくジュラエル王国だというのは人々が話すときの言葉でわかる。すごく簡単な言葉は一部分かるが、他はどれもこれもジュラエル語であり、エラには分からなかった。エラの世話に来る使用人たちが、簡単な祖国の言葉を話せなかったら、意思疎通もできなかっただろう。


「キラキラさん、キラキラさんっ」


 ビルも言葉が分からないはずだが、あちらは子供の愛嬌と本人の性格もあるのか、言葉が通じなくともかわいがられておりたいして気にしていなさそうだ。食べ物にはうるさい割に、図太い息子であった。


 ちなみに長い大変な旅の間にビルはイマジナリーフレンドを作っていたらしく、やたらとキラキラさんとかいう謎の存在に話しかけるようになった。面倒なので基本的にエラは触れないようにしている。


 言葉が分からないという大きな壁により状況を推測するのは難しかったが、どうやらここは国境の町にある、とある貴族の別荘らしいと知れた。運河の見える景色は素晴らしく、これを見たくて家を建てたのだとか。


 その貴族はアヒムの事であり、アヒムは現在この屋敷に滞在している最も立場が高い人間であるという事が分かった。


(にしてもわかんねえ。あのアヒムとかいう男)


 貴族が、不法入国した他国人の親子をかくまう理由がさっぱり理解できない。


 最初に思い付いたのは、エラの顔を気に入り妾的な感じで囲おうとしているか……という話であるが、これは最初に思いついて最初に「ないな」と切り捨てた。

 いかんせん、アヒム本人があの顔である。

 恐らくエラより年下だろう、あの美しい男が、子持ちで肌もガサガサなエラを愛人として抱えたいと考えるとは思えない。


(ジュラエル王国の貴族は精霊に愛されてっから美しいってのは聞いたことあったが、マジなんだなあ)


 エラはしみじみとそんな事を思ったものだった。


 ちなみに使用人たちも皆美しく、祖国では見ないような色の髪や瞳の色をした人間も多い。あきらかに、人間の顔立ちの美しさの平均値が祖国より高い光景を見ていて、自分を愛人的な扱いをするために囲っているとは思えなかった。


(だとすりゃあ、あほみたいな善人系か?)


 となると、恐らく道端で死にそうになっていた子猫や子犬を憐れんで拾った、系統のあれだろう。


 エラには全く、全く、全く! 共感できないが、世の中にはそういう奇特な事をする人間が、稀にいるのだ。


(めちゃくちゃ運が良かった。って事にしとくか)


 それ以外理由がつけられなかったので、一応は楽観視する事にした。


(としても、いつまでもここにいる訳にはいかねえ)


 アヒムの気まぐれで拾われたなら、いつ気まぐれで祖国に追い返されるか分からない。


 エラはできる限り早く、この家を脱出する事にした。


 まともに出ていくと言って受け入れられるか分からなかったし、そもそもエラはこの家の人間を信頼していない。世話をしてくれたことは感謝しているが、相手はいつでも自分の事を踏みにじれる強者である。信頼し心を明け渡すことなどできるわけもなかった。


 エラは数日間、屋敷の中を観察した。そうして夜中はやはり起きている人間が少ない事を突き止めた。


 夜でも脱出できそうな作りの塀にあたりをつけておいた。


 真夜中、ぐっすり寝付いたビルを背中に背負い、落とさないようにシーツで括りつける。

 まず、部屋を脱出した。これは部屋が一階だった事から容易な事だった。


 できる限り草を踏みしめるときに音を立てないように気を付けながら、エラは屋敷の敷地内を移動していった。


「……ん……ままぁ?」

「ビル。寝てな」

「んぅ……」


 起きたビルが騒ぎ出すことを恐れて、エラは背中を揺らしながら、ビルをあやした。願いが届いたか、ビルはすぐ静かになってまた眠り出した。

 寝息を聞きながら、エラは塀の元にたどり着いた。


 この場所を選んだのは、塀のすぐそばに木が生えていたからだ。木を登り、木の上から塀の上へと移動できると見たのだ。


 かつて猿と怒鳴られたエラである。彼女はビルを背負っているにも関わらず、あっという間に木を登り切った。


 ただ、ここで目論見が外れる。思ったより木と塀の距離があったのだ。勿論それぐらいはありえるだろうと思っていた。

 だが、その場合は足場にしようと思っていた高さの枝は、どれも想定より遥かに細かったのだ。


 エラ一人ならばともかく、ビルを背負って移動したら……簡単に折れるだろう。


(どーする! 飛ぶか!? 届くか!?)


 木の幹にしがみつきながら、エラはそう考えた。


 この木はそこまで高くなく、一番上から塀に飛び移れるか、微妙なラインだった。繰り返すが、一人なら少し無理をしてでもいけただろう。問題は、ビルを背負っていることだった。


「……ふ~~~~~っ」


 エラはそう息をして、腹をくくった。


 一番太そうな枝に足を置く。そしてそこから飛躍し、塀に飛ぶことにした。


 ビルが起きないことを祈り、エラは自分を蛙だと思い込みながら、飛びつく塀だけをまっすぐに見つめた。そして膝を折り、両足に力を込めて、塀に向かって飛んだ。


 エラの跳躍は恐らく目撃者がいれば感動して声を上げたような立派なものであったが、重さのせいか、想定より落下が早かった。


 ガッという鈍い音が夜の暗闇に響く。

 鈍い音は体が塀にぶつかった音や、膝が塀に強くぶつかった音。そして……エラの顔が鼻から塀にぶつかった音が混じった、鈍い音だった。


 エラは両肘あたりで、なんとか塀の上にしがみついていた。鼻からは恐らく血が垂れていたが、塀になんとかしがみつけたのでプラマイゼロである。


 ――と、エラが思えたのは最初の数秒だけだった。


「っ!」


 ずる、ずる、と塀から体がずり落ちていく。なんとか踏ん張ろうとするものの、踏ん張れるへこみはない。両足に力を入れ、両腕を塀にひっかけてなんとかしようとしたが……どうしようもだめだった。


「あ」


 という声と共に、エラは完全に塀から落下した。


 人間が簡単に乗り越えられないように、高く作られている塀である。


 しかも重かったからか、背中側から落ちていく。


(ビルっ!)


 せめて上下を逆に――とエラが手足を動かした次の瞬間、彼女の理解が及ばない出来事が起きた。


 なんとか体をひねり、体を横向きにした所でエラとビルは、地面に叩きつけられる――筈だった。


「……は?」


 痛みに備えて目をつむっていたエラだったが、いつまで経っても体が地面にぶつからない。恐る恐る目を開き……そして、自分の身に起きている異常に気が付いた。


「え、は? なにこれ!」


 エラは声を潜める事も忘れて、そう叫んだ。


 叫んでしまったのも、仕方のない事である。


 何せエラとビルの二人は空中に浮いていた。


 地面にぶつかっていなかったのは、空中で止まっていたからだったのだ。


 だがそんな事、理解できるはずもない。

 エラには鳥のような羽などない。ところがエラとビルは確かに、浮いている。夢かと思ったのと混乱でエラは体を動かしたが、その時、さらなる違和感を感じた。


 まるで大きな手にエラの体を掴まれているかのように、体が一部動かなかったのだ。


「何、何何何何ッ!」


 エラは完全に恐怖から錯乱して、大声を出して暴れた。しかし体が落ちる事はなかった。

 気が付けばエラもビルも、完全に宙に浮いたまま……音もなく、二人は移動し始めた。


「んぅ?」


 暴れる母親に気が付いてビルが目を覚ましたのは、その時だった。ビルはピンクの目をぱちぱちと何度か瞬いて、それから「ままぁ?」と母親に声をかけたが、体が宙に浮いたまま移動しているという理解しがたい現象に混乱しているエラには届かなかった。


 ビルはエラの背中で首をひねり、そして、自分の周りにあるキラキラしたものに気が付くと笑顔を浮かべた。


「キラキラさんだ! あそぶのぉ?」


 ビルはキャッキャッと嬉しそうだ。そんなビルを遊ぶように、キラリとした何かが彼の頬をつついていたが、自分の背中で息子と見えない何かが戯れていることなど気が付かなかったエラは、ずっと暴れたまま連れていかれたのだった。

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