【4】要らぬ子エラ
「チッ。もうこれっぽっちしかねえ」
ビルが襲われた一週間後、エラとビルの二人は宿屋があった町から遠く離れた町にいた。
町から出る事に関しては迷っていた。
宿屋にいれば、今のところはビルが勘違いで襲われている哀れな平民の子供と思ってもらえただろう。
貴族は他の貴族が自分の領地に手を出す事を嫌うから、その考えを利用してかくまわれるという手段もあった。
だがエラが決断したのは、ビルと似た背格好の子供が町の出入口近くで誘拐されたと聞いたからだ。
他人に被害が出たから――という訳でもなく、相手の必死さに気が付いたのである。
このまま町にいても、袋小路に追い詰められたねずみになってしまうかもしれない。領主様は今のところ同情的だったと仮定しても、それがその後も続く保証はない。
エラは誰にも何も言わず、できる限りの金とビルを抱えて町を出た。
町を出てからというものの、まともに食事も食べずに辻馬車を乗り継いできた。今のところ追われている気配はないが、それは金に物を言わせて馬車を乗り継ぎまくっているからだ。路銀が尽きれば、徒歩で移動するしかない。
そうなると、相手にいつか追いつかれる可能性もある。
(宿屋から金でも盗んでくりゃ良かったか?)
エラはそんな、恩を仇で返す事を思いながら、ビルを抱えて馬車を揺られていた。いつの間にか疲れたらしいビルは寝付いている。
暫くぼうっとしていると、昔のことが思い出されてきた。
◆
エラの人生は、他の人間同様、母の腹に宿った所から始まった。
エラの母は、小さい劇場で歌ったり演じたりあれこれしていた女だった。
余程の売れっ子でない限り、その手の役者は、演じる事だけで生き残ることは出来ない。
母は比較すれば才能のある方であったが、それでもそう強い立場ではなかった。
生きていくために母はある貴族の気に入りとなった。まあ愛人というか、お金を貰って定期的に貴族に会っていた訳だ。
この貴族は、少なからず悪い人間ではなかったようだという事を、エラは母の仕事仲間から聞いていた。
金払いもよく、無茶な要求もしない。
どちらかというとたまにいる、芸術の類に金を出す貴族で、エラの母の時間を買った時は歌を必ず強請っていたという。
そんな貴族にいくつか欠点があった訳だが……その一つは、貴族はエラの母とは別の国の人間だったという事だ。
元々、仕事の関係でこの国に来ていた貴族は、ある時帰国する事になった。
こうしてエラの母との関係は終わり――よりにもよって、その貴族が帰った後に、エラの母は、エラを身ごもったと気が付いた。その時にはもう、堕ろせない状態であったらしい。
エラの母は、ハッキリ言ってエラを疎んでいた。
食事はもらえていたが、そのほかは殆ど放置されていた。
「この子が出来なきゃ……」
という言葉を子守歌にして、エラは育った。
母の愚痴も致し方ない事で、エラが出来てさえいなければ、貴族がいなくなっても母はこれまでと同じく歌を歌ったりして生きていったはずだった。
ところが妊娠してしまうと、多くのファンが彼女から離れた。彼女は実力が自分より下の人間の世話をして生きていくしかなくなった。
人生をめちゃくちゃにされたと、エラは憎まれていたのだろう。
そんな放置された子供だったエラを憐れんだのは、母の同僚だ。こちらも父親を持たずに子供を生んでいたが、エラの母とは違い子供を慈しんでいた。
母の同僚はエラを、自分の子供とまとめて育てた。
乳などは貰っていないが、実質的なエラの育ての母というべき人だ。
この人のおかげでエラは最低限の学を手に入れた。言葉を知り、文字を知った。簡単な計算もできるようになった。
エラは、母が死ぬその時までは母の元に居続けた。
母の同僚の顔ぶれは変わっていった。
育ての母的な同僚の女性は、子供の父親が迎えに来て去っていった。
…………その後エラは、母が、倒れてきた大道具の下敷きになってこと切れるまで、母のそばをついて回って仕事を手伝っていた。
母が死に、母のような才能は何一つなかったエラは母の同僚たちから離れた。彼女らは、自分の日々の生活で精一杯な人間ばかりだった。哀れな子供を気にかける余裕はない。
そののち、エラは体を売り金を得た。
親もいない、どこから来たかも言えない子供を雇う奇特な人間とは、その時には出会えなかったのだ。
そうして日々を過ごすうちに伯爵に出会い、そして伯爵の愛人となり、伯爵と別れた直後に子供の妊娠を知り、子供を生み落とし、疎ましく思いながら子供を育てている。
まるで母の人生をなぞるかのようであった。
なんと笑える話だろうか。