【14】怪我した子猫
「あそぶの!」
というビルに連れられて、エラは庭に出ていた。近くには侍女が控えている。
エラは用意されていた椅子を二つ並べて体を横に倒したせいで、すぐに抱き起こされて、体を横に倒す用のカウチが用意された。
カウチに体を横たえて、ぼんやりと、ビルが侍女たちと遊んでいるのを見ている。
(馴染んでんな~)
もう、ビルだけで十分、この屋敷の子供ではないか。
(アダルブレヒトが来たら、素直にいうか? 出ていくって)
あちらがこちらを娘として思っているのだと仮定して、生活が合わないので平民の中で暮らしたいとごねにごねたら、もしかしたら、許されるかもしれない。
(会わなきゃ別に忘れるだろ、そのうち)
ビルと違ってアダルブレヒトには似てない娘だし、三十近いし、全てにやる気がないし、可愛げ皆無な女だし。
(あたしも伯爵の事とか秒で忘れてたしな)
そういえば、ビルの実父の家はどうなったのか。
ビルを手に入れる事には失敗したので、最終的には嘘臭い愛人の子を招き入れるか、親戚に譲るしかなくなっていたはず。まあ、無難に親戚に譲ったのだろうな、と勝手に思う。
「あ!」
ビルの大声が響いた。
そちらに視線をやると、ビルがこちらに駆けてくるところだった。
「ママ、ママ! ねえきて!」
という言葉はジュラエル語で、息子が他国の言葉に慣れてきていることが見て取れた。
「なんだよ」
「ママきて、ね、ねこさん、ねこさん!」
「あ?」
意味が分からない――が、ついて行って分かった。
木の上に、子猫らしいのがいた。みゃあみゃあ、と鳴いている。
「ママ、たすけて、ママ」
腰にしがみついて揺らす息子は、今度は、祖国語で母に訴えた。
(周りの奴らに言えよ)
と思ったが、近くには侍女しかいない。侍女がビルに何か言っているが、ジュラエル語なので、エラには分からない。
まあいいか、とエラは木にしがみ付いた。
侍女たちが何か言うが、止めようと伸ばされた手がエラに触れる前に、エラはあっという間に木を登った。
何せエラは猿と罵られたクソ餓鬼だったので、綺麗に整えられて足をかける枝が上の方にしかない木でも、余裕である。
「みゃ!」
「おーおー。おめーもよくこんなとこ登ったな」
「みゃ!」
「ん? ……ああ、鳥に狙われたのか」
子猫は、どうやら傷だらけであった。
よっこいせ、と木の枝にまたがる。きゃあ、と悲鳴が上がった。そういえば今はスカートだった。三十近い女の股の内側が見えたのかもしれない。やってしまったものは仕方ない。鳥の糞にあたったとでも思って忘れてくれ、とエラは思った。
ひょい、と子猫を持ち上げる。子猫は抵抗する元気もないのか、みゃあ、みゃう、と鳴くばかりである。
「ママー!」
「おう、子猫は生きてっぞー」
と、母と子が会話した所で、エラが会話ができる数少ない使用人――エラ達の祖国語を話せる人間――が到着した。
「何をなさっておいでなのですか、エラ様!」
「あ~、ビルが、猫がいるっていうから……」
「使用人に命じてくださいませ!」
「だって木に登れそうなの近くにいなかったし」
エラは子猫を抱えたまま、ふと、思った。
随分彼らが下にいる。
(……いいな)
やはり猿の心が、高所を求めるのか。
この屋敷に来てから一番、ホッとする事に気が付いた。
「今、梯子をお持ちしますので、そのまま動かずっ」
「あー。そーいうの、いーんで、ほんと。ちょっと離れてくれます?」
ひょいひょいと、手で離れるよう指示をする。エラの話している言葉が分からない侍女たちは、とりあえずジェスチャーに従うように距離を取った。木のすぐ下にいるのは、二つも言語を使える学のある使用人と、ビルだけだ。
「エラ様? まさか!」
使用人は顔を青ざめさせた。エラのしようとしている事を理解したらしい。
「おやめください!」
「梯子使うよりはえーし」
エラはそういって、ひょい、と木から飛び降りた。
スカートがぶわっと広がって視界を覆う。ミスったな~結んでおけば良かったな~とエラは思ったが、周りはそれどころではない。
侍女たちの絶叫、使用人の制止の叫び声が屋敷の庭にこだました。
「――っと、子猫。お前無事か?」
「みゃあ」
無事に着地した山猿ことエラは、片手に持ってた子猫にそう語りかけた。子猫は子猫で、高所から降りるのに抵抗がなかったようで、普通に返事が戻ってきた。
――が。
当然の事として、こののち、エラはとてつもなく叱られたし、骨に異常があるのではと医者まで呼ばれる羽目になったのだった。