恋愛に関する私的見解
恋愛に関する私的見解
恋は異なものだと人はいうけれど。むかしから男と女(今はLGBTの方たちも含めねばなるまい)の恋の出会いは不思議な縁だという言葉である。
古来より源氏物語とか、もっと古くなると古事記あたりから人間の恋は書き記されてきて、その証拠に遠いご先祖から私たちに遺伝子が受け継がれているのである。
ポップミュージックでもフォークソングが現れるまでは男の子と女の子が出会って恋に落ちる、そんな内容のダンスミュージックだったりバラッドだったりした。
そういう本だったり音楽だったりに子どもの頃触れて「大人になるってどういうことなんだろうなあ」と憧れてきたのが私たちなのであろう。
年頃になってきたらまわりの大人が「彼女(彼氏)いるの?」としょっちゅう聞いてくるし、テレビでは恋愛ドラマ、コマーシャルでも(JR東海とか)だいたい恋愛中心のものを放送していた。
それが今となっては「恋人いるの?」はセクハラ認定されてしまい、恋愛ドラマやCMではのきなみ数字が取れないとなり、「別に恋愛はしなくていいもの」とみなされるようになった。
「草食系男子」等恋愛のアプローチをする男性もそんな面倒くさいことをしなくていいんだと気づいてしまい、待ちの姿勢で男性の誘いを期待していた女性たちも、次第に待ち疲れて恋愛は一時のブーム?が過ぎ去った。
結婚する男女も右肩下がりで減少し、それにともなって子どもの生まれる数が減った。少子化である。
外圧から逃れたこれまで「ムリして恋愛・結婚していた人たち」がしなくなったのがその原因の一つであろう。
そもそも一九五〇年代くらいまでは、結婚はお見合いが主流であった。適齢期に達して未婚の男女には親や親せきが「こんな子がいるんだけど会ってみない?」みたいな感じでお見合いし、結婚していたのだ。
セーフティーネットもあった。会社やご近所の「世話焼きおばさん」である。家族や親せきの勧めでお見合いしていない若者に「どこどこの誰々ちゃんはいい子であんたと釣り合うから一度会ってみなよ」と無料で(!)結婚話を斡旋してくれたものである。
よって、未婚の男女はよほどの拒否反応を示さなければ「口を開けているだけで」お見合い話が舞い込んできて、恋愛など経験しなくても結婚できていたのだ。
しかし六〇年代あたりから雲行きが怪しくなってくる。家庭の核家族化、ご近所づきあいや会社でのプライベートな付き合いがドライ化してくるにつれ、お見合いを世話してくれる人が激減したのである。
たちまち結婚の割合として恋愛結婚がお見合い結婚を上回った。
これはまさに「結婚の規制緩和」であった。しかし恋愛に慣れている者、異性に接することに抵抗がない者に対してそれは利益が享受されたものの、多くの「恋愛弱者」つまり恋愛に慣れていない者にとっては結婚が遠のくのは自明の理であった。
これまで「口を開けているだけで」結婚相手が用意されていたものが、自分で狩りに出かけないと結婚相手が見つからぬのである。
たちまち晩婚化・非婚化・少子化の波が日本を襲った。男性の約四人に一人が生涯一度も結婚できない時代である。
お見合いという手段も残されているものの、会えば結婚できていた時代と違い、相手が嫌だといえばいつまでも結婚できない。お見合いにも恋愛要素が色濃く反映されているのである。
(恋愛をするにあたって)
恋人あるいは結婚相手を見つけるために、私たちはこれまでの受動的な姿勢を改め、能動的に相手を見つける努力をしなければならなくなった。
これはペット動物が外に出て獲物を捕らえるくらいの価値観の転換なのであって、いろいろなトライ&エラーを繰り返し自分の異性への(あるいは同性への)アプローチを確立してゆかねばならない。
そのための基本的な心得を私なりに三項目ほど提示してみよう。
①清潔な服装および身だしなみ
これは社会人や学生としては当然のように思えるが、意外とできていない人が多い。
髪を整えたり、洋服も(ファッションの雑誌などを参考にしてもよい)だぶだぶではなく、ジャストサイズの清潔感あるものを着るべきであろう。
②一人の異性(同性)に執着しない
いくら好きだ好きだとなっても、恋愛の初期段階では本人の頭ン中で綺麗に彩られた憧れで占められている。
そこで少々頭を冷やし、他に良さそうな人にも連絡しておき、何人か同時進行の友だちを用意することをおすすめしたい。
たとえばAさんから連絡が遅れても過度に慌てず、BさんCさんと連絡をとっていれば、イライラせず、かつAさんにも「余裕がある人だな」とみなされて、結局うまく回る。三人から「好きだ」といわれたらどうするか。ご心配なく。あなたは実際それほどモテません。
③何事にも自信をもって接する
これはいろんな局面において応用できる。異性が幻滅するのはいつもおどおどきょどっている人である。
アクシデントが起こっても、堂々とあわてずおおらかに対処する姿に、お相手は頼もしさを感じることだろう。
以上はあくまで「異性(または同性)とお付き合いするまで」の注意事項であり、付き合えたはいいけれど、恋人同士で過ごす日常の中にはそれぞれの注意点がある。付き合いはじめや結婚など、これがゴールなのではなく始発点だと留意しなければならない。
そう考えると外見等生理的にムリな場合を除き、見た目がそこそこ好ましくて、性格が自分に合う人が望ましいと考える。
いくら美男美女とて、わがままでいけすかない性格であればストレスが溜まるであろう。
お互いがムリなく楽しんで付き合えたり、暮らせたりするお相手が理想である。
(二次元と恋愛)
恋愛はフラれるかもしれぬし、付き合えても相手は劣化(歳をとる)するからコスパが悪い。それならば二次元と付き合う方がコスパがいい。という人も少数派だが存在する。
自分も加齢とともに劣化してゆくのが人間であるのにもかかわらず、相手にはその加齢を許さずコスパが悪いとなる。こうなると恋愛や結婚には向いていない資質であろう。
たしかにマンガやアニメのキャラクターは毛穴一つなく、いつまでもその容姿を変えることはない。言い換えれば不自然である。そこに人としての心を求めるのはどうであろう。
究極的にはフィギュアにせよ巨大なお人形に仕立ててそのキャラクターを立体化したところでそれらはしゃべらず、その所有者が己の脳内で彼女(彼氏)のことばを己の都合のよいように変換し理解しているに過ぎない。
つまりは二次元にしか恋愛を求められないという人は他者を排除し、自分だけの脳内で己の理想的な恋愛を具現化しているわけである。それも恋愛の一つのカタチと呼べなくもないが、他人に害を加えない限り認められるべき一つの手段なのかもしれない。AIの進歩に期待しよう。
(マッチングアプリ)
お見合い→恋愛と出会いの機会が変遷するにつれ、時代はIT化しスマートフォンの時代となった。略してスマホはコンパクトながらパソコンの機能を有しており、今や普及率はパソコンを上回っている。
そのアプリ(ソフト)に出会い系アプリつまりマッチングアプリというものがあり、若者たちの多くがそれで出会っている。
まあマッチングアプリも玉石混交、有料で良質な出会いを提供してくれるものもあれば、無料とうたってサクラばかりの悪質な課金へ誘導するアプリもある。
ともあれ、マッチングアプリであると家族や友人にも知られず、こっそり恋愛のお相手を探すことができるし、居住地・年収・容姿等の条件をふるいにかけて検索できるので「コスパが良い」ということになる。何事も無駄足や失敗を嫌う今どきの若者に受けるのもうなずける。
とはいえ物事に合理性はある程度必要ではある。あてもなく口を開けて餌を待っているより、能動的に自分にマッチしそうなお相手に能動的にアプローチするのははるかによい。
悪質なサクラや既婚者はどの出会いにも紛れ込んでいるのであって、それらを賢明に見極めて、運命の出会いに結び付けられれば幸いということだろう。
(コミュニケーションとしての恋愛)
恋愛は、簡単なように見えてその実最も難易度が高く濃密なコミュニケーションである。
家族間や友だち、地縁関係、会社関係等生活においては色々なコミュニケーションがあるが、恋愛は特殊である。
お互いが好意を抱き、スキンシップにつながるわけであるから濃密さは他に例を見ない。
本来そこには年齢や社会的地位などは存在せず(モラハラ・パワハラ要素がある場合を除く)二人の気持ちの相克が存在するのみである。
小説、マンガ、映画、TVドラマ、絵画、音楽等あらゆる表現手段に用いられるということは、この恋愛というコミュニケーションは掘っても掘っても尽きることのない井戸のようなコンテンツなのであろう。
動物も子孫を残すために、ある動物はオスが綺麗な模様をしており、求愛のダンスを踊り、鳥はかわいらしい声で鳴く。
人間とて例外ではなく、動物の一種であるからして古代からの重要なコミュニケーションでありつづけている。
人は進化し文明化したとはいうものの、ある部分たとえば直感であるとか本能的なひらめきも大事にしつつ、恋愛を楽しんでもらいたい。
終