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自動化とUBI

作者: redanoire

 自動化と労働者の関係を一言で言うなら、沸騰する水の中にいるカエルと言ったところだろうか。

 見ずは徐々に熱くなっているけど、中に入ってるカエルはそれがどれだけ暑いのかがわからない。徐々に、徐々に死に近づくけど、それが具体的にいつ頃になるのかに対しての予想は、存在しないこともないが、労働者本人は多分自覚もなく知らないのであろう、そうでなければ何らかの形で革命のような出来事が起きてもおかしくない。

 社会全体の富が上層に集中し続けているのは単純に労働者を搾取しやすい状況になっているからに他らない。なぜなら自動化が進むにつれ市場に供給される労働者の数と良質の仕事の数は釣り合わなくなっているからだ。

 技術的革新は幾何級数的に進んでいるのに社会全体の富はたかがパンデミックのせいで逆に減ったりするのも富が下に回りにくい仕組みになっているからだ。

 だが問題は、労働者は基本的に消費者でもあるという点である。沸騰する水の中では冷たい水でしか生きられない生物から死んでいく。まだ自分は死んでない、まだ自分にはそれが来てないとして、何時かその時期が、自分がやってる仕事ですらも自動化によって代替されることは何となく知ってはいる。

 知ってはいるけど、どうすればいいかはわからない。

 ここで革命でも起こすべきかと言うとそれは難しいと思う。

 極端だからじゃなく、そこまでしなくとも何かしらの変化をもたらすことは今のシステムのままでも可能だからだ。

 例えばUBI(universal basic income)、いわゆるベーシックインカム。

 だけどベーシックインカムの問題は、資本主義を根本的な部分から否定するように思えてならない。

 そもそもお金を渡らせて経済を活性化しようという発想自体に罠があるように見える。

 何が言いたいかと言うと、自動化が進みすぎた社会では日々経済の発展を望んで励むより好きなことをして好きに過ごすのが多数になりやすいということで、だからこそ好きなことをして過ごす人間が革命を起こすわけがないという話で。

 お金は取引のために存在する。それが可笑しくなって、資産、資本と化したのは概念が自らを変質させたことに他ならない。

 これは、テオドール・アドルノと言う哲学者が言っていたことだけど、文明が自らを発展させるために人は使われて、人はそこで自らの人生において意味を見つけるという発想が主流だった時期があった。これはヘーゲルと言う哲学者が提示した考え方なのだが、アドルノはそれに対してこういったわけである。

 『文明が自らを発展させるために人を利用するだけに過ぎないとしたら、その文明は人のタメのものではない』と。

 完全に同じことを言っていたわけではないにせよ、大体そんな感じである。今の資本主義は資本が自らの価値を増やすためにありもしない価値を作り出そうとする。暗号通貨だって同じと言える。そもそもそのもの自体に価値はない。交換される価値、交換価値があるだけで、それ自体が実際に価値を生み出すわけではない。

 だけど勝手に価値は増える。価値のないものが価値のある、例えば食糧や鉱物と取引できる。取引のための取引が成立している。

 資本主義の変質は哲学の不在にあるというより、価値の存在しない世界で価値を生み出そうとする強迫観念によるものである。

 だけどこれを諦められないのは途轍もなく多くの人々がそれに関わっているため。お金は、ただの数字でしかない。それは昔から変わらない事実で、経済も人々を動かす手段の一つではあっても結局皆が同意しているからこそ動いていることに過ぎない。

 この同意している概念が現実を作り出す根本的な構造事態は社会の本質的な部分でもあるが、同時にその本質的な部分が現実と1:1対応して存在するものでない以上、虚構としての特徴をまた持つ。

 ブルジョア階級が支配階級となったのは彼らがどうやって政治と経済を動かして社会を作り出せばいいかに対してのビジョンがあったからだ。それに逆らうための力が足りなかったこともある。いかに労働組合を作ろうとしたところで、彼らは国際的な単位でゲームを進める。

 帝国主義時代が始まったのも、今でもアメリカやイギリスなどのいわゆる主要国たちが途上国の利益を吸い上げる状況は変わらない。

 この状況を作り出しているのがブルジョア階級で、彼らを制御しようとしたら途上国への搾取が行えなくなる。

 途上国への搾取が止まると先進国が先進国である理由はなくなり、国家の競争力が減る。

 この事実を知っているからこそ、アメリカではブルジョア階級に対して無限と言っていいほど寛大である。

 日本も知らないわけではないだろう、上級国民などと言う言葉があるのも現実がそうやって作られているのを知っているからだ。

 だが自動化は徐々に進んでいる。自国の労働市場が完全に破綻する状況になっても今までしてきたその国際関係でのゲームを続けるものかと。

 ロシアによるウクライナに対する一方的な侵略はその時代、国際関係が作り出すゲームが終わっていく症状でもあるように見える。

 結局のところ、誰もが地球から外へ出たところで真空と放射線で溢れていることは知っている。

 環境破壊や温暖化をこのままにしておくわけにはいかないことも知っている。

 ならどうする。

 UBIに走るかと。

 だけどUBIは、保守的な考え方に見えてならない。経済をどうしても回さなくてはいけないという強迫観念がその根底にあるということである。

 ユヴァル・ノア・ハラリがTEDで言った話で終わろうと思う。

 「UBIの範囲をどこからどこまで設定するべきか考えなくてはいけないでしょう。今私たちが着ている服は東南アジアで安い労働力を用いて作られたものです。これが3Dプリンターなどで簡単に作られるようになった時、仕事を失うのは彼らです。じゃあ彼らにもベーシックインカムを支払うべきでしょうか。Universalと言うのは、文字通りの意味として受け取った方がいいかもしれません。」

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