松若椿 17歳 行き先:東京都
新宿駅南口前で黒塗りベンツを停めてお客様を待っている。僕にとっての初めてのお客様でとても緊張する。ネクタイを直して深呼吸する。人通りの多い新宿であるにも関わらず、誰も僕とベンツを見ていないようである。
「あの」と少女が声をかけてきた。僕はハッとして、
「松若椿様でいらっしゃいますか?」
と尋ねる。
「あ、はい。プライベートツアーの方ですか?」
と言った。茶色の髪でブレザーが良く似合う女子高生で、ふわふわした雰囲気の少女だった。
「この度はFプライベートツアーをご利用頂きまして誠にありがとうございます。私が担当のドライバーでございます。本日は1日よろしくお願い致します。」
と挨拶をした。少女はその挨拶に驚いたようでたじろいでいた。すっと後部座席のドアを開けてエスコートした。
「失礼致します」と運転席に乗り、今日のプランの確認をする。
「本日は都心ドライブを中心に、東京観光ということですね。なにか変更はございますか?」
彼女は、「いいえ」と呟くだけだった。
「かしこまりました。どこか寄りたい場所がありましたら随時お申し付けくださいませ」
と言ってアクセルを踏んだ。
まず向かったのは上野だった。
「まもなく上野に到着致します。上野には動物園や科学館、博物館や美術館など非常に多くの施設がありますがご興味がある場所はありますか?」
少しの静寂の後、「動物園でお願いします」と声がした。バックミラーを見て「かしこまりました」と言った。
今日は晴天だが暑すぎない日で動物園日和だった。だが、少女は非常に眩しそうにして目元を手で覆っていた。
「日光苦手ですか?別の場所に変えますか?」
と聞くも、彼女は
「いえ、動物園に行きたいんです。」
と言った。
僕は日傘を開いて彼女を下に入れた。
「ではこちらに。少しはマシになりますよ」
「まぁ、日傘のご用意もされているんですね。流石プロですね」
と小さく笑っていた。
動物園に入ってからは少女は性格が一気に変わったかのようにはしゃぎだした。
「キリンって本当に首長いんですね!象も本当に耳も鼻も大きいんだ!」
というはしゃぎ方である。動物を見たことがないとしか思えないような言動であまりに不思議な気持ちになった。
「お客様、もしかして動物園にいらしたことないのですか?」
思わず聞いてしまった。
「はい!お恥ずかしいことに!」
と笑っていた。その後も動物園によくいる動物たち、ライオンや猿などを見て小さな子供のようにはしゃいでいた。その後行ったふれあいコーナーでも変わらずはしゃいでいた。
「うさちゃん……!!かわい~~!!」
と目を輝かせていた。ふかふかの毛並みを撫でてうっとりしている。高校生の女の子というにはあまりにも世間知らずな印象だった。
少女はうさぎをずっと撫で続けている。それだけで1時間経った。
「お客様、そろそろ次のところへ行きますか?」
「どのくらい経ちました?」
「1時間ほどうさぎを撫でていらっしゃいますよ」
「えっそんなに経ちます!?じゃあ次のところへお願いします!楽しかったです!」
最初とのテンションの差に驚くが、満足していただけたようだ。
車に戻る途中にタピオカ屋があった。彼女はそれに気付いていたようで、車のところに戻った時に、
「あっタピオカ!有名なお店だって聞きましたよここ!タピオカ飲みたいです!」
と言った。
「かしこまりました。買ってまいりますので車内でお待ちください」
と言ってドアを開けた。僕は急ぎ足でタピオカミルクティーを購入して車に戻り、手渡した。
「車内で自由にお飲みいただいて構いませんよ」と言って運転席に乗り、車を発進させた。
次の目的地は東京タワーだ。車では15分くらいだが、人通り・車通りが多く渋滞しており時間がかかってしまっている。
「お客様。ただいま渋滞しておりまして、到着時間が未知数でございます」
と伝えた。
「大丈夫ですよ!全然お腹もすきませんし、大都会の景色は素敵ですし。私の話でもします?」
「ありがとうございます。……そうですね、このツアーを利用されているということは…」
「えぇ、そういうことですもの。どうせ最後なんです、私のこと全部話したいわ!聞いてくださる?」
「もちろんでございます」
彼女はタピオカを味わいながら話し始めた。
私は見てわかる通り年齢的には高校生なんですけど、1度も学校に行けていないんです。色々な病気で。昔から沢山病気があったので外を全く知りません。ずっと病室の白くて四角が並んだ天井を見ていました。とうとう余命宣告をされました。そんな人生なので動物園も行ったことなくてさっきはあんな感じで。この制服もどこの学校かわからないんです。髪だって、本当はないんですよ。それでも、ふわふわな茶色の髪の女子校生になってみたかったんですよね。複雑な気持ちですけど、私がイメージしている理想のJKになれて嬉しいですね。今回東京を指定したのは、私が東京出身らしいからです。しかもかなり都会の方の。なんて言うんだっけ、赤坂?とかいうところ生まれみたいです。私が見上げるのは白い天井じゃなくてビル群だったはずだったんです。新宿も上野もそこに向かうまでの道も首が痛くなるくらいのビルが沢山あるじゃないですか。タワーマンションって言うんでしたっけ。私の家はその最上階だそうですよ、本当は。そんな建物を沢山見てからじゃないと死にきれないと思ったんです。いい街ですね、東京は。
僕は何も詮索しなかった。大都会で贅沢に、幸せに暮らすはずだった少女が、自分が見るはずだった景色を見ようとしている。僕は何も詮索したくなかった。しないようにした。ただ一言、
「いつがその日で」
と聞いた。
「明日だそうですよ」
と彼女は最後のタピオカを吸い込んだ。
渋滞していてかなり時間がかかったが、日が出てる間にどうにか東京タワーに着いた。真下から見上げられるように、なるべく近くに車を停めた。
「お客様、大変お待たせ致しました。東京タワーに到着致しました」
ドアを開けると彼女は元気に飛び降りた。
「うわー、首痛くなるくらい高いですね!でもなぜ東京タワー?スカイツリーの方が高いんですよね?」
「スカイツリーは本日ラストの予定でございます。東京タワーもいいものですよ」
「本当に!上には行けるんですか?」
「東京タワーなら可能ですね。スカイツリーですと時間的に厳しいのですが」
「では上行きたいです!」
エレベーターに乗って展望台に向かった。エレベーターも病院のもの以外は乗ったことがなかったようで、とても興奮していた。
「随分高くまで行けるんですね?それに中もきらきらしてますし」
とこそこそ話しかけてきた。
「そうなんですよ、凄いですよね。私も初めて乗るのでわくわくしてますよ」
と笑い返した。ほっとしたような顔をしていた。
展望台にはあまり人がおらず、広々していた。
「こういうものですか?」
「いいえ、恐らくスカイツリーに登っている方の方が多いんでしょうね」
「なるほど、でもこのくらいの高さで充分です」
とパタパタ走りまわっている。
「高いところは苦手ですか?」
「いえ、全く」
「では窓を見てみてください。外がよく見えますし床がガラス張りのところもありますよ」
「わ、夕陽が綺麗ですね!こんなに広いんですねぇ、東京って」
「えぇ、それが実感できると思いますよ」
少女は夕陽が1番よく見える場所ではなく家をじっと見ていた。声をかけようとしたとき、
「日本って沢山の人が自殺するんですよね」
と呟いた。
「健康に生きることができるのに自分から死んでしまうんですね」
「私には理解できない苦しみがあるんでしょうね。代わりに、そういう人たちには私の苦しみはわからないんでしょう」
彼女は独り言のように呟いた後にガラス床2たち、見下ろした。
「どう死ぬんでしょう。こういう高いところから飛び降りるのかしら?あんまり死に方の想像がつかないわ」
「下の彼らが憎いですか」
「いいえ、いいえ。自殺する人も何かしら事情があるんでしょうし、自分から病気になりたい人なんていないもの。私の人生は仕方なかったのよ」
そして彼女はこちらを向いて、
「人は沢山いるのね。それがよくわかったわ。私は私らしく死のうと思うことが出来たわ。ありがとう」
と笑った。何も言葉を返すことが出来なかった。
「次はスカイツリーよね?もう日も落ちたわ!」
「…はい。スカイツリーです。向かいましょう」
彼女は東京タワーに来た時よりも明るく振舞っており、足早にエレベーターへ向かった。乗ったエレベーターは行きよりも暗くなっている気がした。
東京スカイツリー駅に到着した。辺りもすっかり暗くなっており、最後の目的地であることが実感させられる。
「大変お待たせ致しました。本日最後の目的地、スカイツリーでございます。歩きますが、よろしいですか?」
「はーい!」
と彼女は元気そうに返事をして車を降りた。今回はスカイツリー駅手前に停めて簡単なイルミネーションを見るというプランだ。
「わ、イルミネーション!今ってその時期ですか?」
「クリスマスだけのものでは無いですからね。見たことはありますか?」
「病院の外の木がキラキラしてたのを見たことはありますけど、あれをイルミネーションだとは思いたくないですね」
と笑った。木と階段に巻かれたLEDを横目に歩いていると、星型のイルミネーションが吊るされているところに来た。
「わ、星型!かわいい~!大きいですね」
「こんなのもあるんですね。スカイツリーの色と相まって綺麗ですね」
「本当に!空みたいですね!それにスカイツリーは大きいとかの騒ぎじゃないですね!全部見えないくらい!」
少女はきょろきょろしながら歩き回っている。僕はその後ろから歩いて彼女の行く末を考えていた。彼女はこの時間が終わったら死んでしまう。誰が悪いわけでもない。運命として決まってしまっているだけ。彼女はただ1人のお客様だから詮索してはいけないし深く思ってはいけない。でも、今日1日何も知らない彼女を見て、もったいないなと思ってしまった。自分が他の人とは違う運命にあることを受け入れているようで、やはり普通の生活に対して未練があるんだろう。ハイヤー運転手の僕には彼女が夢見る普通の生活を与えることは出来ない。死の前日に未練を少しでも無くすことが出来ただろうか。
「あ…」
ふと彼女が足を止めた。
「何か気になるものがありましたか?」
と聞くとゲームキャラクターのオブジェを指さした。
「可愛いですよね、あれ。お見舞いで貰ったことあるんです、あのぬいぐるみ。カフェがあったんだ、知らなかったなぁ」
「申し訳ございません。リサーチ不足で…」
「気にしないでください。私も知らなかったし私があのキャラが好きなこと言ってなかったっていうのもありますから。」
未練を少しでも減らしたいと思っていたすぐのことだった。自分の力不足に落ち込んでしまった。
「写真を撮ってください、カメラありますか?」
と言われた。
「この子達と写真を撮ってください。最後の思い出にしたいんです」
「かしこまりました」
僕はカメラを構える。彼女はオブジェの真ん中に立ってピースしている。
「ハイ、チーズ」
すぐに現像して手渡した。
「うん、よく撮れてます!ありがとう!お兄さん、今日は本当にありがとうございました」
突然お礼されて戸惑ってしまう。
「いえ、僕もあまりプランニングが出来ていなくてご迷惑をおかけしてしまって…」
「そんなことないです!自分1人で病室にいるだけじゃ心の整理もできないですし、他人と話すのすごく久しぶりだったんです。すごく楽しかったです」
「…ありがとうございます」
そのとき、時間を告げるアラームがなった。
「…終わりですか」
「はい。本日のツアーは終了です」
「ありがとうございました。今日、本当に楽しかったんですよ。本来私ができないことが沢山できました。Fさんにお願いして本当によかった。私のことをよく考えてくださって。これで安心して向こうに行けます。東京タワーとスカイツリーの更に上から見下ろして笑ってやりますよ」
「お気をつけておかえりください。この度はFプライベートツアーをご利用頂きまして誠にありがとうございました。」
僕は深くお辞儀をした。彼女の最期がより良いものになりますようにと祈りを込めて。顔を上げると彼女の姿はなかった。
次の日、手紙が届いた。
Fプライベートツアー運転手様
この度はお世話になりました。松若椿です。
無事に息を引き取りました。苦しみの多い病気だったんですけど、最期は苦しくなかったです。きっと昨日の楽しい時間を思っていたからですね。あとは、生まれ変わったらきっと健康な身体に生まれようとか、東京以外の場所にも行ってやろうとか思っていました。お兄さんはこの世に未練が残らないか…とか思っていたかもしれませんけど元々そんなものありません。昨日は生まれ変わる希望になりました。今までの私は病院しか知らなくて生きる楽しさを知らなかったんです。でも、昨日は人生で初めて楽しかったと思ったのです。死んだらもう生まれたくないなと思っていました。でも、生まれ変わりたい、生まれ変わってまた生きたいと思いました。きっと生まれ変われますよね。この記憶を持って生まれられるとは思わないけど、また人に生まれ変わって今度こそ幸せな一生を送りたいです。本当にありがとうございました。お元気で。
松若椿
きっと生まれ変われる。少女が生きるには真っ白な天井だけの世界じゃ物足りないでしょう?優しくて元気で、皆に愛される人になれる。どうか来世でお元気で。
第1話 松若椿 17歳 行き先:東京都 終