読書の秋……の前に母の言葉
「血は争えないわね」
私の母の言葉だ。この言葉が頭から離れない。言われたのは昔ではなく、今年のことだ。しかもかなり最近、つい二週間ほど前のことだ。
少し涼しくなり、秋らしいものを探しに近所の和菓子屋さんに行った。そして、そこで買った芋ようかんを片手に実家に顔を出すと、母にあからさまにがっかりした顔をされた。娘が帰ってきたというのにその顔はないだろう。「何よその顔は」と、思わずむっとした顔で言ってしまった。
「今日はクマさんは一緒じゃないのね……」
落ち込む母には私の口調を気にする様子はない。
「そりゃあ、いつも一緒にいるわけじゃないわよ」
「えー、せっかくまた会えると思ったのに残念」
何故一度会っただけで母はこんなにクマを気に入っているのだろう。いや、別にクマに悪い要素はないのだけれど、なんだかこう、釈然としない。
残念がる母を無視して家に上がり、私はダイニングに向かう。
「芋ようかん買ってきたから一緒に食べよー」
「あら、お土産? ありがとう。今温かいお茶をいれるわね」
「うん、お願い」
母の厚意をありがたく受け取り、私はどかっとダイニングテーブルにつく。
近頃の天気の話、私の仕事の話、週末の出来事など、たわいのない話をしながらお湯が沸くのを待つ。お湯が沸き、温かいお茶を出してもらってからは、お茶と一緒に芋ようかんを母と食す。ああ、美味しい。優しい甘さが心地いい。やっぱり秋はいいなーと改めて思う。
「クマさん、次はいつ来てくれるかしら?」
お茶をすすりながら母が言う。
「なによ、そんなにクマに会いたいの?」
私もお茶をすすりながら聞く。
「そりゃあ、会いたいわよ。そもそもあんたがあんな風に誰かを紹介するなんて今までなかったでしょう?」
「まあ、そうだけど……」
なんて答えたらいいのかわからず、私は思わず言葉を濁した。視線を感じて母を見ると、テーブルの向かい側でにやにやしていた。何か面白いものを見つけたような、すごく楽しそうな笑顔だ。
「ちょっと、どうしてそんなに笑ってるの?」
私はつい不機嫌な声で聞いてしまったけれど、母にそれを気にする気配はない。それどころかより一層楽しそうな顔をして「血は争えないわね」と、小さな声でこぼした。
「それってどういうこと?」
母の呟きの意味が私にはよくわからなかった。
「ごめんごめん、いいの。こっちの話だから」
その後私がいくら詰め寄っても、母はのらりくらりとして教えてくれなかった。こんな母はかなり珍しい気がする。
二人で食べるにはちょっと多いかなと思った八本詰めの芋ようかん。母と話しながら食べているうちに、気がつけば残り二本になっていた。母と私で三本ずつ、流石にお腹が張っている。私がお腹を軽くさすっていると「ちょっと食べすぎたかも……」と、母が言った。
芋ようかんで膨れたお腹が落ち着くの待ちながら、今度は私が温かいお茶のおかわりを用意してあげた。お茶を用意する私を見て、母は「自分でいれるより人にいれてもらうお茶の方が美味しいのよねー」と、どこともなく、でも嬉しそうに言った。私はそれがなんだかくすぐったかった。
お腹が落ち着いてから、私は母にお料理の本を借りて、これからの旬の食材のレシピをいくつかぱしゃぱしゃとスマートフォンで写真を撮らせてもらった。写真を撮りながらも頭の片隅に母の呟きが引っかかっていたけれど、結局母は何も教えてくれなかった。
「今度来る時はクマさんも誘ってらっしゃいよ」
帰る時、母はにやにやしながら言った。この笑顔、さっきも見たなあと思いつつ、私は「機会があればねー」と言って、軽く流して実家を後にした。
実家からの帰り道、母の言葉なんて時間が経てば気にならなくなる、そう思っていた。思っていたのに……
「ゆり子さん、どうしたんですか?」
クマの声を聞いて私ははっと我に返った。隣を見ると、クマが不思議そうにこちらを見ている。「ごめん、ちょっとぼんやりしてた」と言って、私はすぐに誤魔化した。日曜日の今日、私はクマとお昼から古本市に来ている。
一昨日の金曜日の夕方、仕事から帰ってくるとマンションの前で朝顔たちに水やりをしているクマに会った。
「クマ、こんばんは。水やりありがとう」
たまにしか水やりができていない私の代わりに、クマは小まめに朝顔たちのお世話をしてくれている。もう花は少なくなってきたけれど、まだ葉は青々している。
「こんばんは、ゆり子さん! 今日もお疲れ様でした。あの、晩ご飯はもう食べましたか?」
「クマも一週間お疲れ様。ご飯はまだよ。冷蔵庫の中を見て献立を決めるつもり」
私はそう言ってから、冷蔵庫の中を改めて考えてみる。何かあったと思う一方で、もうかなりすかすかになっていたような気もする。少し心配になる。
「あの、もし昨日の残り物でよかったら一緒に食べませんか?」
冷蔵庫の中を想像していると、クマがにこにこしながら聞いてきた。クマよ、昨日の残り物でお誘いってあまり聞かないぞ、そんなことを思いつつも私は黙っておいた。私を黙らせるだけの威力がクマのにこにこにはあった。
「いいの? じゃあご相伴にあずかろうかしら」
冷蔵庫の中が空っぽだと辛いので、私はクマのお誘いを受けることにした。
「やったー!」
嬉しそうに喜ぶクマ。相変わらず反応がわかりやすい。
「でも、昨日の残り物ってなんなの?」
「ふふふ、おでんです! 昨日たくさん作っていたんですよー」
「は?」
私は思わず全身から力が抜けるのがわかった。
「クマ、そういうのは早く言いなさいよ。おでんは残り物というより二日目の方が味が染み込んでいて美味しいでしょうが!」
私はそう言ってから思わずため息をついた。でも、クマには見えていなかったようで相変わらずにこにこしている。
「たしかにそうですね! あ、そうだ、こないだスーパーで店員の白猫さんがおすすめしてくれた日本酒があるんです。おでんと一緒にどうですか?」
クマがさらににこにことしながら聞いてきた。なんだろう、夕方だというのにクマの後ろが輝いて見えた。少し眩しい。
「それ、断る理由なんてないでしょ」
私がなんとなく恥ずかしくなり素っ気なく即答すると、クマは返事を聞くや否や「やったー!」と言って嬉しそうに飛び跳ねだした。どしんどしんと大きな音が響いているけれど、まあ今日ぐらいは大目に見てあげよう。ご近所の皆さんごめんなさい。私は心の中で誰にも届かぬ謝罪を叫んだ。
そんなこんなで私はクマの家で美味しいおでんと日本酒をご馳走になった。そして、その時に、日曜日に古本市があるから一緒に行こうと誘われ、私は上機嫌で「それ、断る理由なんてないでしょ」と言ってクマを喜ばせた。喜ばせて私は満足して、その記憶を消し去った。
今朝、10時までだらだらと布団に潜っていると「おはようございまーす!」と大きな声が玄関の方から聞こえた。何事かと思い、私が重たいまぶたをこじ開けると同時に、「古本市、そろそろ行きませんかー?」と叫ばれた。クマの質問を聞いた私は自分が約束したことをすぐに思い出し、自分の軽率な行動を後悔した。そんなこんなで今である。
私はクマと一緒に隣町の神社でやっている古本市に来ている。いろんな本が並んでいて、わくわくしながら見ていたのに、ふと母の言葉を思い出して私はぼんやりしていた。しっかりしなきゃ……




