雨の日、散歩に誘われる
ドアを開けると黒いお腹があった。目の前にいたのは見上げるほど大きなクマだった。
朝からざーざーと雨が降る土曜日。起床とともにちょっと憂鬱な気分。平日に溜まった洗濯物。こんなことならこまめに洗濯しておけばよかった。
洗濯機を2回まわし、狭い部屋の中で悪戦苦闘しながらもなんとか一週間分の洗濯物を干し切った。除湿機をかけているけれど部屋の中がじめじめする。ちょっと辛い。
少しでも気分を変えようとラジオをつける。除湿機の音とラジオを聞きながら少し遅めの朝ごはんを食べる。ハニートーストとサラダとコーヒーといういつも通りのシンプルな朝ごはん。
「ゆり子さーん、いますかー?」
もそもそと少し焦げてしまったパンの耳をかじっていると、家の外から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「はーい、いますよー」
食べかけのトーストをお皿に置いて玄関に向かう。チェーンを外してドアを開けるとクマがいた。黒くて大きなツキノワグマだ。
「おはようございます。ゆり子さん」
「はい、おはようございます」
「ゆり子さん、今日はお散歩日和ですよ。今からどうですか?」
クマはにこにこ顔で誘ってくれた。もう出かける気満々なんだろう。右手に大きな傘を持ち、肩にはショルダーバッグがかかっている。たぶんクマは気がついてないけど小さく足踏みしている。
雨足は私が起きた時よりも強くなってきている。ラジオでも今日は一日中雨が降るってさっき言っていた。こんな日は家でのんびりするのがぴったりだと思うけど。
「お散歩日和? こんなに雨が降っているのに?」
「ええ、雨の日はお散歩日和なんですよ。さあ、行きましょう!」
「ちょっと待って。今、朝ごはんを食べているところなの」
「あ、ごめんなさい。じゃあ一時間後なんてどうでしょう?」
「んー、もうちょっと時間が欲しいかな。二時間後じゃだめ?」
「じゃあ一時間半後で! 下で待ってますね。それじゃ」
そう言うとツキノワグマは嬉しそうに帰って行った。私の下の部屋に。
クマを見送った私はのんびり朝ごはんの続きを食べはじめた。朝ごはんを食べ、食器を片付けた私は掃除に取り掛かる。
毎日欠かさず掃除をしているのにどうしてこんなに埃がたまるのだろう。どこからともなくやってくる埃たち。我が家にこの子たちをお招きした覚えはない。迷惑な話だ。
「何を着ていこうかしら」
掃除を終えた私は鏡の前で腕組みしながら頭を捻った。雨が降っているから多少汚れてもいい服にしよう。でも、せっかくのお休みだからそこそこお気に入りの服が着たい。
悩んだ結果、履き古したデニムにお気に入りの白いコットンシャツ、その上に丈の長いネイビーのカーディガンを羽織った。鏡に映る自分の姿を見て満足した私は少し楽しい気持ちになった。
化粧は最低限でいいや。時計を見るとそろそろ約束の時間だ。私はレインブーツを履いて家を出た。
家の鍵を閉めてマンションの下を見ると、雨の中大きな傘をさしたクマがこちらに手を振っていた。先に外に出て待ってくれていたようだ。私は少し早歩きでクマの側に向かった。
「さあ行きましょう!」
クマは私に微笑みかけると嬉しそうに歩き始めた。のっしのっしと二足歩行で歩くクマの後ろを私はゆっくりとついて行った。
「そんなに大きな傘、どこで買うの?」
大きなクマの体がすっぽりカバーできる、大きな大きな黒い傘。私はこんなに大きな傘を見たことがない。
「ホームセンターですよ」
「どこの?」
「ほら、駅前に新しくできた」
クマは先月オープンしたばかりのホームセンターの名前を言った。一度買い物に行ってみようと思いながら私はまだ行けていない所だ。
「あのホームセンターってなんでも売ってるのね」
「ええ、あそこならたいていのものは買えますね。あの系列のお店だとクマ向け商品の売り場があるんですよ」
クマ向け商品。私は初めて耳にする単語に興味を持った。
「え、そうなの? クマ向けの売り場ってどんなものが並んでるの?」
「傘とか服とか、日用品ですね。人間用よりも大きなサイズのものが売られています」
「へーなんだか楽しそう」
「機会があれば見てみてください。ゆり子さんなら楽しいかもしれません」
クマは嬉しそうに話す。視界の下の方で何かぴこぴこ動くものが見えた。見るとクマが小さな尻尾をふりふりとしている。きっと無意識でしてるんだろうな。なんだかちょっと可愛らしい。
雨は相変わらずざーざー降っている。空も暗いままだ。家を出てまだそれほど歩いていないのに服が所々濡れてきている。
「ゆり子さん見てください! ほら、大きな水たまり!」
突然、クマがすごく嬉しそうに前を指さした。クマが指さした先を見ると、歩道の真ん中にとっても大きな水たまりができていた。これは避けて通るのは無理そうだ。レインブーツを履いてきてよかったなあと思う。
そーっと歩いて渡ろうか、ちょっと車道に逃げようか、そんなことを考えているとクマが少し後ろに下がってきた。何をするんだろうと気になって見ていると、クマは力強く走り出し水たまりの手前で思いっきり飛んだ。
びょーんとクマが水たまりを飛び越える。そして水たまりの向こう側に着地した……が、バランスを崩して尻餅をついた。
ばしゃーん
大きな水飛沫が上がる。びしょ濡れのクマが水たまりの中で固まっている。
「大丈夫?」
ばしゃばしゃと水たまりの中を歩いてクマの側に行くとクマは満足そうな顔で目を閉じていた。
「水たまりにはまるなんて何年ぶりだろう。楽しくなってきました。ゆり子さんも一緒にどうですか?」
「……私は、いいかな」
私は遠慮することにした。
〜 クマからのお願い 〜
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以上、クマからのお願いでした