三話:オカエリ
「暇だ」
「会議中ですよ、奏葉教授」
「暇なものは暇なんだよ、アーネちゃん」
「水町、と呼んでくださいと半年前から言っています」
「あー君が所属してからもうそんなに立つのかー」
百人もの人が入ってもまだ余裕があるだろうと思われる広い会議室では、五メートルはあろうかという机を中心に向かい合うように椅子が並べられている。
また、扉の反対側の壁にはこれまた一般家庭ではお目にかかれない特大サイズのテレビと部屋の天井から吊るす形になるまた大きいモニター。
それ以外の壁の空いたスペースには高級そうな絵画がずらりと並んでいる。
要するに、ここは相当な立場の者が必要とする会議室なのだが、明らかに場違いな空気を醸し出す男が周りに構わず私語を堪能していた。
その男の容姿はズリ落ちそうな眼鏡を高めの鼻で止めているような顔に、背中まで伸びきった黒い髪と白衣。
その横に直立する秘書は長方形のレンズを嵌めた赤いフレームの眼鏡に、臙脂のスーツを上下でピッチリと揃えたまさに秘書。
「あーソウバ君、君はもう出ていい。」
「あ、それじゃあ失礼します」
もはや毎度のこと、の用にテレビ前の社長椅子に座った男が手を振った。
実際、社長のように位が高い男なのだが、奏葉はそれを気にしない。
「んじゃあまた」
「失礼します」
奏葉と水町は揃って会議室を後にした。
ガチャリ、と扉が閉まる音を確認してから、
「くっくっくっ……」
「何が可笑しいのですか?」
奏葉はこらえ切れなかった笑いを押し殺しながら歩き出した。
「いや……なんでもないよ、それより早く研究室に戻ろう」
「はい」
廊下の所々に先日の『脱走』の後が残っていた。
それは大体的にアメリカに情報が流れることはなかったが、研究所の一棟が全壊、二棟が半壊と言う悲惨な結果を残した。
全壊した一棟は『脱走機』を研究所ごと爆破するためだったので致し方ないものの、二棟は純粋に『脱走機』と警備兵の交戦中に破壊されたものだった。
「僕の研究室に誰もいれてないよね?」
「日本人の研究室に近づこうとする研究者は一人もいませんから。特に奏葉教授の部屋となると。」
「厳しいね」
廊下を歩きながらニヤニヤと笑う男は怪しすぎるが、伸ばした黒髪に白衣の日本人は研究施設の中でも有名だったので、すれ違う人はみんな無視をしていた。
「じゃあ『アレ』も残ってるね?」
「無論です」
またくっくっと奏葉は笑う。
「うん、それなら問題ないよ」
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「出かける準備は出来た?」
「出来たぞ」
「できたー」「きたー」
その日水町家の家長、瀬矢が店長を務める小さいながらも収入源のレストラン『ローズ・マリー』は三日間の休業の張り紙を扉に貼り付けていた。
そして、四人は瀬矢の運転するシルバーのワゴンに乗って朝六時に家を出た。
「……ぐぅ」「……」
運転して十分と経たないうちに、双子は夢の世界へと旅立った。朝五時に起きて行動するのは小学一年生にはまだ早いようだった。
一方、時雨は完全な夜型で朝には弱いはずなのだが、今日ばかりは寝ぼけた様子は見当たらない。
「なんかあったか?」
瀬矢は煙草を咥えて、規定速度四十キロきっちりで市内を走っている。
車の少ない車道に煙草を吐き出して、
「……チビ共が静かにしているんだ、少しぐらい話したって「煙草。」
瀬矢は、へ?と言った顔で時雨を見た。
「煙草、いくら火が消えてるからって捨てちゃダメ。」
「え?あ、あぁ……悪い」
助手席の時雨はしゃべりながらも窓から目を放さない。
通り過ぎていく街路樹や早起きの老人、灯りの点いていない街灯を目の端に流す。
「ともちゃんにね……」
「ともちゃん?」
――えーっとあぁ、この前うちに来た……
「あの子か」
「うん。」
「その子がどうかしたのか?」
時雨が暗い顔をしているのは大体よくない事のあった時なのだが、瀬矢はその時に限って話を聞きたがる。
「可哀想な子、って思われたかも」
「は?」
瀬矢はわけがわからない、って顔をしたが時雨は気づかずに
「三連休に遊ぶ友達もいないって思われたかもしれない」
――あぁ、そういうことか
「なんだ、時雨は予定があることをちゃんと言わなかったのか」
「だって……言えるわけ……」
「じゃあ週が空けたら言うんだな。それで大丈夫だろ」
「あ……うぅ」
時雨は渋々、と言った感じで頷いた。
その後も多少影がかかっていたものの、いつも通りの表情に戻った時雨を見て、瀬矢はほっと息をついた。
そして、それから他愛もない会話を続けながら県の境にある寺までやってくる。
「お久しぶりです」
「どうも」
車を駐車場に止めて、双子を時雨が起こしている間に瀬矢は一足早く寺に隣接した墓地まで来ていた。
見える人影はなく、一人だけ瀬矢の前に立っている女性と瀬矢だけが墓地にいた。
「子供達は?」
「元気いっぱいです。強いて言うなら長女が大変な年頃ですかね。」
「それは結構」
女性と瀬矢は笑うこともなく少ない言葉だけを交わした。
二人が立つのは『水町夕陽』と書かれた墓石の前。
「お父さん」
ふと後ろを振り向くと双子を両脇に引きずりながら時雨が駆け寄ってくる所だった。
「それじゃあ私はこれで」
「ではまた来年」
時雨が来る前に女性は逆方向へと歩き出した。
瀬矢はそこで煙草を取り出し、火を点ける。
「はぁ……はぁ……」
「ご苦労さん」
ふー、と煙草の煙を吐き出しながら時雨のほうを向く。
毎年の行事。
夕陽の墓参りはこれで六回目だった。
「じゃあ始めようか」
「うん。」
双子は寝ぼけ眼を擦りながら、四本の手を突き出す。
その手に束ねた線香を瀬矢が渡しながら、
「いつもの通りだからな」
「うん」「はーい」
と、瀬矢の出すマッチの火で火をつけて、墓石の前の皿に置く。
そして、手を合わせて目をしっかりと閉じ、そのまま十秒ぐらいしてから
「終わったよ」「終わった。」
陽政と雪乃は下がって、瀬矢にしがみ付く。
「じゃあ後は頼んだ」
そのまま時雨だけを残して瀬矢は双子を連れて駐車場へと歩き出す。
毎年、瀬矢は時雨だけを残して先に行っていた。
時雨がそこで何をするかをわかっているかのように。
「お母さん……」
一年間、どこでも涙を流さない時雨は――
――一年に一度ここでだけ涙を流す。
ポツリ、ポツリと俯く顔の影から涙が流れ出す。
その時だった。
「何故泣いている?」
え?と涙を拭くのも忘れて時雨は振り返った。
二年前、聞かなくなった声とその声は似ていた。
見て、確認して、それで時雨は驚くこともなかった。
「君の名前は?」
時雨はあえて、この言葉を選ぶ。
「コード2112。」
ちょっとふざけたように、水仙はそう言った。
「ただいま――時雨」
「――おかえり水仙」
車に戻ったら双子がびっくりするだろう、と思いながら。
時雨は水仙に飛びついた。
最終話、っぽいですが……全然終わりません(汗
これから貯めておいたネタとか全部入れていくのでこれからを期待してください。
では