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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第2部

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44.兆し

「リナーサに食事の約束を取り付けてもらってありがとうございます」

「うん。向こうも喜んでたよ。元会長と僕たちもくっついてくるのは、まあおまけだと思って諦めて」

「いえ。嬉しいです。スリンケットと最後に食事したの二年ぐらい前ですよ」

「あ。そうだね」


 ユーリグゼナは黒曜会の打ち合わせに向かっていた。学校へと時空抜道(ワームホール)を進みながら、スリンケットと話している。彼は後ろを振り返り、小声で彼女に聞いた。


「で、何があったわけ?」

「何がですか」

「分かっていてとぼけるなんて、(たち)が悪いよ。何でアルフレッドは落ち込んでるの?」


 彼の指摘に答えられる言葉を見つけられない。彼女は黙ったまま顔を引きつらせる。人の良いアルフレッドは、意地の悪いことをしたと落ち込んでいるのだろう。


 彼の好意に甘えて、期間限定とはいえ婚約者になってもらった。その彼以外の人への想いなどあってはならない。この間の彼女の涙は、まるであると認めるような行為だ。彼はもっと怒っていい。

 追い付いてきたアルフレッドが、スリンケットの肩に手を乗せる。


「大丈夫です。ご心配なく」


 貼り付けたような彼の笑顔。裏切っているのはユーリグゼナなのに、苦しんでいるのはアルフレッド。

 周りが望むようになれない。間違ってる自分なんか、消えてなくなればいい。そう彼女は思う。




◇◇





「ユーリグゼナ様!!」


 リナーサが彼女に飛びついてきた。相変わらず柔らかくていい匂い。

 学校には制服でなければ入ることができない。国の境界線を越えられないようになっている。ただ謝神祭などの行事がある日、学校がない時期は、制服でなくても入れるよう境界線が解かれていた。


 リナーサが身につけている白いシャツは、身体の曲線ぴったりに仕立てられ、袖だけがふわりと広がっている。彼女のスリムな体型と大きめの胸が強調されていた。紺を基調としたスカートは細かく均等なひだが入り、ひだごとに色を染め分けてある。質素な色合いだが、彼女自身の濃い橙色の髪を上品なものに見せていた。


 リナーサの兄である元会長、勾玉模様の織りが入った鈍く光る鼠色の上衣を身に着けていた。少し詰まった襟に、金糸の装飾と小さな赤い宝石が縫い込まれている。


 おそらくリナーサは普段着、兄の方は日常の外出着。もしかしなくても兄妹ともにお洒落だ。


 ユーリグゼナは動きやすさだけを重視した、このまま森に行けるよ! という護衛用の服だ。出かける寸前まで、サギリが「今回はこちらをお召しになった方が……」と上質の生地で仕立てた服を手にしていた。せめてそっちを着て来れば良かった、と後悔する。


「ユーリグゼナと申します。今回はお話を頂きありがとうございます」


 彼女は挨拶だけは、と丁寧な所作を心掛ける。リナーサは挨拶を受け、大柄で引き締まった身体をした兄を紹介した。


「兄のべセルです。黒曜会の元会長で、今はカンザルトルの議員を務めています。お兄様?」


 リナーサが不審そうに眉をひそめる。べセルはリナーサによく似た黄緑の目で、ユーリグゼナを鋭い目つきで睨みつけている。スッと彼女の手を取ると、腰を落とし(ひざまず)いた。


「星とも見紛(みまご)射干玉(ぬばたま)の姫よ。相まみえんとすとも、我泣き濡れて目には移さじ」


 なにか呪文を唱えられた。何が起こるのかと、彼女はどきどきしながら待つが特に変化はない。べセルは顔を上げる。静かに泣いていた。

 怖い。しかも手を離してくれない。助けを求めてリナーサを見ると、すまなそうな顔で見返された。


「申し訳ありません。兄はちょっと、いいえ。だいぶ変なのです」


 ユーリグゼナの手をしっかりと握りこむべセルの前に、スリンケットはひらりと一枚の紙を垂らす。彼のふわふわした赤茶色のくせ毛が揺れた。


「ベセル。あまりにも予想通り過ぎて、逆に驚きだよ。もう契約破ったね。即刻帰国してもらうし、賠償金払ってもらうよ?」


 スリンケットはひらひらと契約書をなびかせて微笑む。ベセルは慌てて手の力を緩め、名残惜しそうに手を離した。切なげに彼女を見上げさらに涙をこぼす。


 迷いを振り切るように首を回し、スリンケットに顔を向けた。


「なぜ駄目なのだ。リナーサとは抱擁していたではないか。男女で差別してはいけない」


 普通に話せるの? 差別? 彼女の頭は追いつかない。スリンケットは、余所行き用の笑顔で答える。


「怖がらせたベセルが悪い。『怯えさせたら、即帰国。賠償金支払い』という約束でしょう?」


 ベセルはガバッと立ち上がり、口調を強めた。


「五年待った。待って待ってようやく、近距離接触できたんだ。攻撃されることもなく友好的に。こんな千載一遇の好機(チャンス)、見逃せるかー!!」

「お兄様」


 落ち着いた、それでいて怒気を含んだ、綺麗な声が言う。


義姉様(おねえさま)をお呼びいたしましょう。きっとお兄様の興奮が冷めると思いますわ」

「冷めるどころか凍るわ!! …………分かっている。大人しくするから頼む。スリンケット」


 ベセルは悲痛な声で訴えた。


「私は本当に楽しみにしていたんだ。カンザルトルの寮と調理場の使用許可をとった。食事を用意している。喜んでもらえると嬉しい」


 スリンケットはやれやれという顔で、手にした紙を丸めて懐に入れる。ベセルはスリンケットからユーリグゼナの方へ、躊躇(ためら)いがちに目線を移した。

 彼女はカンザルトルの料理のもてなしが受けられる、と舞い上がっていた。品格の欠片もなくニタニタしていた。







 別の国の寮に入る許可は、基本的には下りない。閉校中で、ベセルの議員という役職の力で可能になった。


 カンザルトルの寮の壁は石を基調にされていて、幾何学模様描かれ、色鮮やかな布が室内を居心地よく装飾している。美しい織物はカンザルトルの名産だ。


 銀色のポットの細い注ぎ口から、お茶が注がれる。爽やかな香りが辺りを包む。高い位置から注がれ泡立っていた。今まで見たことのないお茶だ。

 味の予想がつかず、戸惑いながら器に口を寄せる。涼やかな香りが鼻をくすぐった。

 口に含んだ瞬間、ユーリグゼナは目を見開いた。優しい甘さとほのかな苦味が新鮮な香草と相まって、不思議な味わいだった。


「カンザルトルの香草(ハーブ)茶です」


 リナーサが嬉しそうに微笑む。彼女の隣に座るベセルが目を潤ませて熱い視線を送ってくるのを、視界に入れないようにして答えた。


「とても美味しいです。どうやって淹れるのですか?」

「お茶の葉と香草と氷砂糖を煮出して、泡立つように器に注ぐのです」


 アルフレッドとスリンケットは社交的な微笑みを浮かべている。二人は口に合わないのだろう。


 お茶が終わると連続模様が美しいテーブルクロスの上に、ところ狭しとたくさんの種類の料理が並べられる。側人たちに指示を出していたベゼルは緊張気味に言う。


「特権階級が好む一般的な料理のほかに、国の料理も何種か用意した。よければいくらか試して欲しい」


 特にパンとチーズの種類が多い。多分、小麦や牛の乳以外が原料のものもある。肉はシキビルドでは食べられない動物のようで、嗅いだことのない匂いがする。


(ユーリグゼナ)


 たしなめるような声が心に届きハッとして、前のめりになった体を起こした。王女の品格が限りなくゼロに近づいていた。


(すみません。見たことないものばかりで、つい)


 彼女の心の声に、スリンケットは苦笑いした。外見上は二人とも知らんぷりを続ける。


(僕は慣れない料理は難しいよ。君が羨ましい)

(無理せず食べたいものを食べてください。アルフも無理みたいだし)


 スリンケットに心の声で答えながら、強ばった表情のアルフレッドに首を傾げ様子を窺う。

 アルフレッドは少し照れたように小声で言う。


「食べるよ。特に甘いパンは全種類」


 それは彼女にとっても必須事項だ。彼女が神妙な顔でゆっくり頷く。互いに顔を見合わせた二人は、急に同時に笑いがこみ上げてきた。必死に口元を押え(こら)える。






意匠(いしょう)代は要らないと?!」


 食事を進めながらベセルは驚いたように言う。スリンケットは落ち着いた様子で食事の手を休める。


「昔からあるデザインだから、金額はつけられないんだ。そちらの目的は複製したものの販売でしょう?」

「ああ。謝神祭以降、国内でも反響が大きい。アルフレッド以外の演奏面子(メンバー)も古式の服だったろう?」


 王の結婚式に参加した学生は全員、古式風の衣装を作った。シキビルドの演者はそれらを借りて謝神祭で着た。目新しい衣装だったため、服に興味のある人たちの中で話題になっている。


「カンザルトルの上流階級は新しいものに目がない。特に服に関しては金をかける。誰がデザインしたかはとても重要で、そこに金銭が絡む」

「なるほどね」


 スリンケットは目を伏せ頷いた。ユーリグゼナは戸惑いながら、発言の許可を求める。視線が集まり、動きがぎくしゃくする。


「私は…………今回は朱雀の衣を買い取っていただければ、満足です。それより協力いただきたいことがあります。できれば『黒曜会』として受けていただきたいです」


 リナーサは興奮気味のベゼルを強引に黙らせ、彼女に優しく視線を投げかける。


「何でしょう」

「音楽の権利を守る仕組みを作りたいと思っています。楽しむ分には自由にして欲しい。ただその曲の楽譜や、演奏で収益が出る場合は許可をとること、決まった金額を納めること。そういう仕組みを国を越えて作りたいのです」

「……なるほど。カンザルトルでは服が売れた分だけ、意匠いしょう代として納めます。音楽に適応しようという考えはございませんでした」


 リナーサは難しい顔で、形の良い顎に手を添える。逆にユーリグゼナは希望が見えたように思えた。服でその仕組みがあるなら、カンザルトルでは見えないものに所有権があるという概念があるということだ。

 彼女の意図を汲んだスリンケットは、ゆるりとした表情でリナーサに言った。


意匠いしょう代を使用料に変えるだけなので、カンザルトルでは受け入れやすいかもしれないね。謝神祭で弾いた曲は、公の場で演奏する事を学校長が規制している。それが使用料を払えば演奏できたり、権利を買い取れたりするなら、カンザルトルが利用する可能性はあるかな?」

「ある!! 姫の曲を自分のものにできるなら、全財産を投げ打っても惜しくない。国が買わなくても私が購入しよう」


 鼻息荒くベゼルが話に割り込んでくる。ドスっと重い音がした。リナーサが浮足立つ彼の頭に、肘鉄を撃ち込んでいた。濃い橙色髪がふわりと揺れた。


「申し訳ございません。こんな兄ですが、議員としての手腕は優れています。カンザルトルの取りまとめはキッチリさせますので、ご安心ください。『黒曜会』としても後押しさせていただきます」

 







 無事に全ての望みを交渉できたユーリグゼナは、全種類のパンとチーズを食すべく、次々に皿に乗せていた。できるだけ落ち着いて食べるようにしているつもりだが、どうしても興奮気味になる。

 夢中で味わっている途中、いきなり音声伝達相互システム(プルシェル)が鳴り出す。誰からだろう。国を隔てて繋ぐことができないため、学校内いる相手のはずだ。心当たりのないまま、ぼんやりと片手を耳にあてる。


(ユーリグゼナ。ちょっと()いか? (わし)の部屋まで来てほしい) 


「はひ?!」


 変な声が出て彼女はそのままゴホゴホと咳き込んだ。突然の彼女の行動を、周りは呆れ気味に見守っている。


(すまぬ。食事中だったか。ただ……少々急いでいる)


 アルクセウスの声が気遣うように柔らかくなる。喉の状態を整え、彼女は答えた。


「かしこまりました。あの……何の件でしょうか」


 少し間を置いて、落ち着いた声が耳に届く。


(休み中の課題を出す。取りに来い)


 急ぐ用ではない。他に言えない理由があるということだ。彼女も努めて落ち着いた声を出した。


「はい。すぐに」






次回「異常ナシ」は10月18日頃更新予定です。

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