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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第2部

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43.芽ばえる

「ユーリが弾いていた、違う国の人に恋する女の子の歌ってあっただろう?」

「うん。レナトリアが好きな曲だね」


 養子院の五角形の形をした木の香りのする建物には、鍵盤楽器(ピエッタ)が置かれている。その傍でユーリグゼナは、ペルテノーラから帰ってきたばかりのアルフレッドの話を聞いていた。彼のさらっとした見事な金髪が、天窓から入った日の光で煌めいている。


「アナトーリーは、ペルテノーラの現地語の歌詞で歌って、レナトリアに捧げていた」

「えっ?! それ聞きたい!!」

「だよな。めちゃめちゃ良かった。甘くて切なくて、すっげーいい声。俺が惚れそうだったよ」


 顔を赤らめながら彼は言う。彼女は一気に興奮が高まる。


「そうでしょー!! かっこいいんだよ。アナトーリーは」

「俺さ。今まで練習するのは演奏だけで歌は全然だった。アナトーリーみたいに歌えるようになりたい。ユーリは歌えるんだろう? 一緒に練習しないか?」


 彼の言葉に、急にユーリグゼナは固く口を閉ざし、ついでに目も閉じる。彼は、はぁと息をついた。


「なんで歌の話になると、喋らなくなるんだよ」

「ハイハイ。そこ。いー加減にイチャイチャするのはやめて、こっち来てくんないかな」


 にやにや顔の(ロウ)が手を叩いて、集合をかける。新しい筒状の金属楽器は、主な三十音余りが完成した。記録を取るようになってから、新しい音が増えるごとに効率よく鋳造、加工できるようになったらしい。

 演奏仲間の一人がガハハハッと、嬉しそうに笑う。


「嬢ちゃんのいう記録な、やってみたら長さや厚さやらに規則があることが分かって、一発目から近い音を出せるようになったんだ」


 三十音あれば演奏できる曲は一気に増える。彼女の黒曜石のような目が輝いた。こそこそとアルフレッドに耳打ちする。


「もう完成しましたってアナトーリーに連絡していい? 来てくれる?」

「呼ぶな。新婚だぞ。予定している音全部完成させて、みんなで弾けるようになってからだ」


 アルフレッドは小声で返す。彼女は「そうだね。ガンガン練習しよう」と、もう小さくない声になっていた。勢いづいた彼女は仁王立ちになる。


「早速、弾いてみよう。鐘で弾いた曲なら楽器の違いも分かるし、いいと思う」


 彼女は鍵盤楽器(ピエッタ)に飛びつき、いきなり弾き始めた。演奏仲間に曲を覚えてもらうためには、聴かせるのが手っとり早い。彼らは楽譜を使わず、耳で覚えることに慣れている。

 暴走する彼女の意図を理解したアルフレッドは、演奏仲間に説明する。鍵盤楽器(ピエッタ)自体初めて見る彼らは、一応に感心したように聴いていた。


 そこに窓の外から、ぽこぽこと人影が現れる。養子院の子供たちだ。彼らはユーリグゼナが弾く鍵盤楽器を聴くのが大好きで、いつもどこからか聞きつけて集まってくる。今日はアラントスとユキタリスも顔を覗かせた。


「覚えた。やろうぜ」


 演奏仲間たちは筒状の楽器を音の順に並べていく。そして誰がどの音を担当するか、決めるための真剣勝負(じゃんけん)を始める。


「最初だし何でも良くない?」


 呆れ半分、とっととやろうよという気持ち半分の彼女に、男たちは唾を飛ばしながら真剣に言った。


(ギャラリー)いるんだ。本気出す!!」


 彼女は力なく笑うと、一番人気の無さそうな出番の少ない音を手にした。






パーン ポーン パン ポン


 上部に取り付けられた(ハンマー)は、演奏者が振り上げるたびに振り子のように金属楽器を叩く。柔らかな音色が鳴り、重なり合いながら響いていく。

 音消しのために肩や手で共鳴を止めなければならない楽器だが、この曲は多少音が残っても違和感が少ない。演奏に秀でた彼らも、初めての楽器は勝手が分からず、まごついていた。それでも旋律(メロディ)が途切れるような失敗はなく、流れていく。

 

 ペルテノーラの鐘の楽器はよく響いた。でもこの筒状の金属は、こもったような丸みのある音で響き渡るような強さはない。狭い空間、ちょうどこの五角形の建物では優しく耳に届く。透明で綺麗な音の連なりを聴いていると、いつの間にか心穏やかになっていく。

 子供たちは固唾を飲んで、見守っている。みんな真剣な表情で黙って耳を傾けていた。


 終えるのが惜しい。ずっと弾いていたいと願うが、やはり音楽は終わるものだ。

 演奏が終わる。優しい沈黙の中、演奏仲間たちはどこかぼうっとした表情で、それぞれ手にした楽器を見ていた。


「いいな。これ」


 そう呟いた男に、みんなが同意して頷く。


「なんて音だ。俺、神様のためにでも演奏してるような気がしてたよ。全然信じてないのに」

「分かる。俺も王の結婚式で、神獣のために弾いたときのこと思い出した」


 口々に言う言葉が、らしくない。毒がなく素直に良いと思っているのが伝わってきた。嬉しい。同じ気持ちなのが本当に嬉しい。そう思ってアルフレッドを見ると、目頭を手で押さえていた。







「ユキも弾きたい」


 ユーリグゼナの腕をいつの間にかユキタリスが掴んでいた。マイペースな彼だが、場の雰囲気は読む。こんな公の場で自分の希望を率直に言うのは珍しい。


「鳴らしてみる?」


 彼女の言葉にユキタリスは、こくりと頭を動かす。彼女は一番重さのない、高い音を手渡そうとする。アルフレッドが少し心配そうに彼の手元を見た。彼女はにっこり笑う。


「この楽器さ、鐘より軽くて細長くて持ちやすいでしょう? それに丈夫で素手で触っても腐食しない。子供でも体の弱い人でも、誰でも音楽を奏でられる。そういう楽器なの」


 ユキタリスは手渡された楽器をしっかりと掴み、慎重に振った。


コーン


 高くて綺麗な音が、空気を柔らかく揺らした。天井を見上げたユキタリスの白い頬が、バラ色に染まる。他の子供たちも集まってくる。彼女は一人一人に手渡し、鳴らし方と止め方を教える。子供たちだけで単純な曲を演奏してみる。響く音は誰が弾いても同じように美しかった。


 弾き終わったあと、彼女は回収した筒状楽器を手入れをする。すると、再びユキタリスは彼女の側に寄り添い、黙って片付けていく様子を見ていた。やっぱり珍しいなあと思い、黙ってそのままにしておく。彼はポツリと言った。


「ユーリ。音楽を教えて」


 ユキタリスの心がじわりと伝わってきた。彼女自身の熱い思いがよみがえる。音楽を本気で始めようとしたとき、誰にも伝えることができなかった。家族が命のやり取りをしているなか、とても音楽を教えてとは言えなかった。


「うん」


 自然に答えていた。ユキタリスが望むようにしてやりたい。そう思った。




◇◇




 アルフレッドは久々に鍵盤楽器(ピエッタ)を弾きたいと言う。

 彼女が養子院に納めた理由は、誰でも利用して欲しかったから。なのに実際は、高価な楽器を弾く度胸も腕もないと嫌厭(けんえん)され、彼女以外弾く者はない。


「もっと気楽に弾いてくれればいいのに……」


 彼女は本気でそう思う。彼は浮かない表情のまま返事をする。


「無理だと思う。習っていないものを、いきなり弾くのは怖い。高価だから人の目も気になる」


 誰でも最初がある。楽器さえ提供すれば、弾いてくれるようになると思ったのが甘かった。教える人も必要ということか。彼女は深いため息をつく。


 どうしても口にできなかった。「アルフはもう弾けるのだから、いつでも弾きに来てよ」と。彼が養子院を嫌う本当の理由を、今では察していた。


 今日はアルフレッドがアラントスとユキタリスをパートンハド家に送り届けることになっている。従弟(いとこ)たちが終わるまでの間に、存分に弾きたいだろう。彼女は先に帰ることにする。


「ユーリ」


 彼が呼び止めるので、振り返る。


「何?」

「何って。ちょっと二人で話せたらと思って」


 用はないけど話したい、ということか。最近は彼の気持ちに気づくようになった。

 アルフレッドは(とど)まってくれそうな彼女にホッとした様子だった。少しもたつきながら、話し出す。


「…………そうだ。『黒曜会』の件で学校に打ち合わせに行く話、スリンケットから聞いたよ。朱雀の衣の方は、売る許可出たのか?」

「うん。ライドフェーズ様が問題ないって。実は早めに現金にしたい。今作ってる楽器の試作代、結構かかってる」

「俺も出そうか?」


 彼女は大きく首を振る。断られた彼は少し、しゅんとする。

 彼のお小遣いは全額サタリー家のお金だ。利益になるか分からない現時点では、ただの道楽。家のお金を使ってするようなことではない。 


「『黒曜会』をどう思ってる? 会員はみんなユーリのことを好きなんだろう?」


 ばつの悪い顔で彼は言う。一番聞きたかったことなのかもしれない。彼女は無表情に答える。


「…………よく分からない」


 彼女はゆっくりと天窓を見上げた。


「リナーサは、そんな厄介な会長をどうして受けてくれたのだろう。まあ、せっかくだから好意に甘えてみようと思う。音楽に関する提案をするつもり」


 彼女はほんの少しだけ顔を緩めた。彼は、ふうと息をつく。


「本当にユーリは、何でも音楽に結び付けるんだな」


 そう言って優しく微笑んだ彼の深緑色の目が、一瞬のうちにキツくなる。なぜだろう、と考えているうちにふんわりと背中に腕を回された。


「アルフ。どうし」


 いい終わる前に分かった。誰かが立ち去る気配と微かに残るお茶の香り。

 アルフレッドはスッと彼女から離れ、顔をそむけた。悔しそうで苦々しい表情から、彼の気持ちがじんわり伝わってくる。多分見せつけたかったのだ。自分のものだと……。


 別に間違ったことはしていない。二人は婚約している。それを誰に誇示しても問題はない。────そう彼女は思っているのに、喉の奥が苦しくなった。彼は(うめ)くように言った。


「謝らないぞ」

「……うん」


 答える声が震えて困る。彼は苦しそうに深緑色の目を歪ませながら、彼女を見た。


「泣くなよ」

「……泣いてない」

「嘘つき」

「……ごめん」


 どうにも息苦しくて堪らない。これ以上動揺したら彼に失礼すぎる。急いで顔についた水滴を払いのけた。





次回「兆し」は10月11日頃の掲載予定です。

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