8.謝神祭
ユーリグゼナと他の三人は急いで寮に戻る。アルフレッドは戻る途中、音声伝達システムでカーンタリスに連絡を取り、彼女のために素手格闘技の集合情報を確認してくれる。
アルフレッドは音楽学の教授にも連絡を取る。
「アルフレッドです。鍵盤楽器の移動ありがとうございます。実はシキビルド王に呼ばれて、一度寮に行きます。……はい。……はい。そう言われています」
アルフレッドは話しながらすたすた歩いていく。スリンケットは目を見開いて言った。
「アルフレッドがこんなにまめで、気配りができる男だと思わなかったよ」
それを聞いて面倒みてもらうばかりのユーリグゼナは、いたたまれない気持ちになる。プルシェルを切ったアルフレッドは三人に言った。
「再演については、教授が学校長に執り成してくれるそうです。多分断れます。その代わり今回の協力者のために、ピエッタを弾くことになりました。すべての競技が終わった後、協力者のために食事会を開くそうです。その場で弾いて欲しいと」
「助かった」
スリンケットは、アルフレッドの背中をポンっと叩いた。
(アルフレッドは人と上手く付き合えていいな)
ユーリグゼナは、羨ましそうに彼を見つめた。
シキビルドの寮に戻ると王の側近らが待ち構えていた。すぐに四人を部屋へ案内する。物々しい雰囲気の中で、王の婚約者セルディーナだけが穏やかに微笑む。
「来たか」
王のライドフェーズは、疲れた様子で苦い顔をしていた。セルディーナを促す。
「それでは私から先に。ユーリグゼナ、アルフレッド、スリンケット、テラントリー。演奏も趣向もとても素晴らしかったです。神々もさぞかしお喜びでしょう」
「神々ですか?」
思わず口をはさんでしまったユーリグゼナに、アルフレッドは周りに聞こえないよう話す。
「挨拶みたいなものだろう。遮るな」
「ごめん」
セルディーナはさらりと長い金髪を揺らしながら、不思議そうにしていた。
「謝神祭ですもの。いらっしゃいましたよ。花びらを風にのせて遊んでおられました。ユーリグゼナは、どうやって神々の助力を得られたのでしょう?」
ライドフェーズが口をはさむ。
「待て。神々があの場にいたのか?」
「あら、私申し上げましたよ」
「ああ。聞いていた。聞いていたが『神の御力ですね』とのんびり言われても、例え話としか思わなかった……。そうすると──学校維持のためにひいた魔法陣が、何個か吹っ飛んだのもまさか……」
呆然とするライドフェーズに、申し訳無さそうにセルディーナが言う。
「そこは私には感知できなくて……」
「ごめんなさい」と俯くセルディーナに、ライドフェーズは「いや、いいのだ」と目をそらし口元を手で覆った。
ユーリグゼナは小声で尋ねる。
「スリンケットどういうこと? 魔法陣で風を起こしてばら撒いて……」
スリンケットは苦い顔をする。
「先に話しておけばよかった──。上手く作動しなかったんだよ」
「本当に神々の御力ですか?」
テラントリーは目を見開く。アルフレッドは、ああと情けない顔をしながら手を額に当てた。
「実は魔樹もおかしかった。酔っぱらってるみたいに踊りだした。斬ってしまったが……」
見覚えのあるライドフェーズの側近が、鋭い声を放った。
「何をこそこそ話してる!!」
すぐに四人はピンと背筋をただす。
セルディーナはくるりとユーリグゼナに向き直った。
「ユーリグゼナは、会場で何かしましたか? 心当たりはあるかしら?」
「特別なことはしていません。今考えれば、何かいたことは感じていました。でもそれだけで。ああ……挨拶はしました。初めての場所ですから」
「ああ。それはするわね」
セルディーナがユーリグゼナに同意すると、またライドフェーズが遮った。彼の栗色のくせ毛がフサっと揺れた。
「待て。場所に挨拶はしないぞ」
「あら、ライドフェーズは初めて会った人に挨拶するでしょう? 同じようなものではありませんか」
ゆったり話すセルディーナに、ライドフェーズは大きなため息をついた。
「同じようなものではない……。セルディーナとユーリグゼナの話は危うい。神の力を信じている者などほとんどいない。それがあることを前提で話されると、話が進まない。────おい、呼べ」
ライドフェーズは側近に合図する。側近一人とセルディーナとユーリグゼナ以外退室させる。
ユーリグゼナは出ていこうとするアルフレッドを呼び止め、耳元でささやいた。アルフレッドは呆れた顔で彼女を見返し、部屋を出ていった。
人払いされた部屋に来たのは、背が高い細身の男だった。薄い茶色の髪は緩やかに後ろで束ねられている。人好きのする表情のため学生に見えるほど若いが、本当は卒業してだいぶ経っていた。
ユーリグゼナはその男を、ああやっぱり、と見つめた。男はユーリグゼナを見て小さく笑った。
「アナトーリー。お前が検証してくれ。神の力など、私にはちんぷんかんぷんだ」
アナトーリーは、ライドフェーズとセルディーナに礼を執り、許可を得て話し始める。
「今回の検証の前に確認したいのですが、ライドフェーズ様は神を信じていますか?」
「……セルディーナがいるというものは信じる。なんとしても!」
「かしこまりました。ではユーリグゼナは?」
ユーリグゼナは首を振る。
「挨拶の口上としては入れていますが、本当はいないと思っています」
「……分かりました」
「意外だわ。とても気に入られているのに」
セルディーナが残念そうに白い頬に手のひらを寄せる。アナトーリーは思案顔でユーリグゼナに問う。
「挨拶の口上を教えてください」
「『この場におわします 神々と精霊よ 楽しき音色 しばし 酔ひたまはらむ』です」
「声に出しましたか」
「いいえ」
アナトーリーが、ほおっと息をついた。
「この学校の敷地には聖域があります。そこには神のように力のある人外の者がいらっしゃいます。謝神祭は本来その人外の者を喜ばし感謝を捧げる日です。言霊は通りやすかったと思います」
「人外の者……。ユーリグゼナの挨拶が引き金ということか」
ライドフェーズは、信じ難そうに渋い顔をする。アナトーリーは少し微笑み頷いた。
「はい。ユーリグゼナの言葉通り、音楽に酔い羽目を外して楽しまれたのでしょう。その者たちの能力は、人間の扱う術とは性質が違います。魔法陣に少しでも触れれば、破損すると思われます」
ライドフェーズは長い長いため息をついた。
セルディーナが不思議そうに首を傾ける。
「それって特別なこと? 私も新しい場所や魔生物が多いところでは、必ず挨拶をするわ」
アナトーリーは穏やかな微笑みを返す。
「私もしております。パートンハド家の者は、皆そうするように教わります。ただ声にすると影響があるため場面により声を出しません」
アナトーリーは薄茶色のやわらかな髪を揺らしながら、言葉を続ける。
「今回気になるのは、声を出さずに人外の者に伝えられるユーリグゼナの能力です。演奏にも能力が働いていたのではないか、と思われるふしが多多見られます。謝神祭の日だけの影響ならいいのですが……」
「シキビルド国内は駄目だぞ!! 壊させるな。どれだけ魔法陣で修復したと思っている!」
「ライドフェーズ様。王らしくお願いいたします」
慌てるライドフェーズを側近がたしなめる。
アナトーリーはすまなそうな顔になった。
「まだ調査ができておらず、裏付けがとれていません。どう影響するか検証するまで、もう少しお時間をいただきとうございます」
「分かっている。今回は助かった。人外の関与など理解を超える……」
セルディーナが寂しそうに赤い目を細める。それに気づいたライドフェーズは、そっとセルディーナの頬に手を当てた。
ユーリグゼナが、居づらい雰囲気を感じていると、退出許可が出された。
一緒に退出したアナトーリーに小声で話しかける。
「これ、ありがとう」
耳飾りに軽く手を当てながら言う。アナトーリーは、ああ、と言い濃い紺色の目を細めた。
「姉たちと、学校から戻る日を楽しみに待っている」
それだけ言うと、足早に行ってしまう。まだ彼が叔父であることは、前パートンハド家の嫡子であることは周りに広げてはならない。そのために人払いもされていたのだ。
(生きていてくれて本当に嬉しい。でも──)
ライドフェーズとの親密な関係を考えると、不穏な事ばかり思いついて心配になってしまう。ユーリグゼナは自分の気持ちにキュッと蓋をした。
(今は……与えられた役目を務めよう。素手格闘技に参加して、終わったら音楽棟で演奏。アルフと約束したもの)
彼女は黒い大きな目を閉じて深呼吸した。
四つの国の中でシキビルドは最も戦力が乏しい。人口が少ないこともあるが、先の戦争で敗北した影響が大きい。
「一勝もできなかったでは、王とセルディーナ様は肩身が狭いと思う。ユーリグゼナの能力で何とかならないか? もちろん協力はする」
カーンタリスの言葉にユーリグゼナは気の無い、はあ、と言う言葉を返した。
(棄権は、駄目なんだろうな)
素手格闘技競技は、比較的収容人数が少ない武術館で行われていた。他国の選手たちは、体が大きく強そうな男性が多い。ユーリグゼナのように小さくて細い人間は皆無だ。彼女は何度目か分からない、深いため息をついた。
(全くやる気になれないなあ……)
ユーリグゼナが会場の観客席をみると、各国の王や代表が見に来ていた。ライドフェーズやセルディーナの姿もある。
(国の代表者の前だもの。みんな張り切るよね)
目の前で、他国の選手たちの凄まじい戦いが繰り広げられている中、ユーリグゼナはぼんやり思った。