37.家族になるには
ユーリグゼナは御館に戻っても、何もする気になれなかった。どうせなら、とアーリンレプトと遊んで過ごす。彼女は言葉が分かり始め、ますます可愛さが増している。現実逃避していることすら忘れて、夢中で日々を送っていた。
ある日、ライドフェーズが養子院に同行するか、と彼女を誘う。
そういえば、新しい楽器を一から作ろうとしていた。結婚式の演奏仲間に相談しに行こう。もしかすると、ライドフェーズに費用をみてもらえるかも? と期待して同行する。
「アルフレッドも呼んだのか」
「はい。護衛で」
ライドフェーズは飛行魔術機械の操作をしながら、お前に護衛? と納得のいかない顔になる。
「まあ、いい。それよりこの魔術機械も乗り納めかも知れない。資金調達のために売ろうと思っている」
「売れますか? 操作が難しくてお蔵入りしてたものを、ライドフェーズ様が貰ってきたんですよね」
「スリンケットに同じこと言われた……」
やはり。そう思いながら彼を見ると、不満そうに魔法陣に触れていた。自分が気に入ってるのに周りが評価してくれないのが面白くないらしい。
「たまに乗せていただけるので、ライドフェーズ様が所有していた方が、私は嬉しいですね」
彼女の言葉に少しだけ顔が緩む。彼女にちらりと目を向けた。
「スリンケットが相談したいそうだ。お前の物で高額にさばけるものがあるらしい。近いうちに呼んでおく」
私の? そんな物あったかな、と考えをめぐらすうちに養子院に到着した。
先に着いていたアルフレッドは、入り口で王が目に入ると、すぐに礼を執る。
ライドフェーズは軽く礼を受けると、すっと養子院の建物に入って行った。側近無しで迎えも案内も無し。何も言わず客室ではなく、シノが執務を行う部屋へ向かう。かなり養子院に入り浸っているのではないか、と疑う。
「まだ来てません。彼らは午後からです」
お茶を出しながらシノは言う。芳しい香りに部屋全体が包まれていた。
「お待ちになられますか?」
「いえ。今日は楽器を見せていただいて、ライドフェーズ様と帰ります」
ユーリグゼナは即座に判断した。午後まで待てば、食事の準備が必要になる。シノの仕事を増やしたくない。ライドフェーズは至極残念という顔をしている。一緒に食事をして寛いで行くつもりだったのだろう。仕事は?! と少々呆れるが、心の中にしまいこむ。
早々にお茶を終え、金属の棒の楽器を見るために席を立とうとすると、シノは彼女の足元に流れるような動きで跪いた。固まっているユーリグゼナの前で、抱えていた荷物をほどく。
「こちらをお持ちいただけますでしょうか」
片手で持てそうなほど小さな、そしてとても綺麗な形の弦楽器だった。
「これは?」
そう言いながらも、彼女は見覚えがあることに気がつく。アナトーリーがずっと昔から大事に持ち歩いていた楽器にそっくりだった。ペルテノーラに亡命する際に持参したのを最後に、一度も目にしていない。
「アナトーリー様はこの楽器に思い入れがあられるように、お見受けしました。それで探して取り寄せたのですが……。お渡しするのを躊躇っていました。ユーリグゼナ様からお渡し願えませんか?」
大事そうに差し出され、おずおずと受けとる。ずっと渡せずにいたのに、今渡すのは餞別のつもりなのだろうか。そう思うと気が重い。
ペルテノーラ行きは、まだ本決まりではない。縁談に国の事情は関係しないから、二人次第で話はなくなるそうだ。
アナトーリーは婚約者を見殺しにしたことを、レナトリアが決して赦さないはずだと言う。それなのになぜ彼女が結婚を了承したのか分からない、と苦しそうに漏らした。彼の表情が、彼女の中で消えずにいる。
シノに案内された部屋で、長さの順に吊るされた金属の棒を眺める。前回見たのは、礼堂で暴れて治療を受けたとき。布を固く巻き付けた木の棒で叩き、音を確認する。ペルテノーラの鐘とも違う、澄んだよく響く音に彼女もアルフレッドも笑顔になった。
「まずは金属と槌の素材探しだな」
アルフレッドは難しい顔をして、顎に手を添える。彼女は同意しながら、渋い声で言う。
「さすがに私たちでは素材は分からない。加工できるかも知らないから。下調べが足りなかった……」
楽器を一部借り受ける了承をシノにもらう。次回は金物を扱う職人のところに顔を出すことになった。
「それにしても、どうやって鐘のように鳴らすつもりだ? 子供でも打ち鳴らすには、重さも細工も考えないと……」
「アルフ。実は異世界の本に書いてあるの。今度書き写してくるよ」
話を切り上げ、早々に養子院を辞すことにした。
本当はシノに話したいことがある。ペルテノーラ現地語の勉強の進め方の相談に、孤児院の子どもたちから聞いた昔のシノとテルの話をしたい。
でもなぜだろう。アルフレッドの前では話せないと思った。シノと言葉を交わしても、今日はどこかよそよそくしてしまう。鍵盤楽器の練習に来るたびに話して、だいぶ打ち解けたはずなのに。
◇◇
なかなか帰ろうとしないライドフェーズを回収して、三人で養子院を出る。ライドフェーズがきちんと仕事に戻るのを確認してから、パートンハド家に向かう。
「ユーリ!!」
青い目をきらきらさせながら、従弟の末っ子ユキタリスが飛び付いてきた。熱烈な感激を受け嬉しくなる。彼をぎゅっと抱きしめる。
「ユキ。会えて嬉しい!!」
「ユキも!!」
「アランまで、フィンみたいにくっついてくれなくなった。寂しいよ」
目を潤ませながら言うユーリグゼナに、従弟の真ん中アラントスがふんわり笑う。
「婚約者の前では、さすがにできないよ」
アルフレッドは気まずそうしていた。それでも笑顔でアラントスに手を差しのべる。
「よろしく。アラントス。俺はアルフレッド。ようやく会えた。嬉しいよ」
「はじめまして。僕もお会いできて嬉しいです。よろしくお願いいたします。アルフレッド」
十歳にしては落ち着いた物腰のアラントスに、アルフレッドは目を見開く。
「ユーリの従弟はみんなしっかりしてるな。ユーリ見て危機感持ったからか」
それはどういう意味でしょう? と彼女が軽く睨む。彼は、にいっと笑った。
「ごめん。俺、かなり舞い上がってる。ずっとユーリの家に呼んで欲しかった。家族に会いたかった」
「そうだったの? 早く言ってくれたら……」
いや。呼ばなかったかもしれない。森の小屋に一人暮らしのときも、今の家も紫位階級にあるまじき棲みかだ。始めに家に来たいと言われたときも断った。サタリー家の子息には見せられないと思っていた。
でも、いつしか家族以外の人を家に入れるようになっている。研にスリンケットにシノ。少しずつ他人に生活をさらすことが、負担ではなくなっていた。
「ユーリ。きちんと椅子を勧めなさい」
ヘレントールの声に慌てて席を整えようとすると、いや待って、とアルフレッドが止めた。
「初めてお目にかかります。アルフレッドです。よろしくお願いいたします」
「初めまして。アルフレッド。ユーリグゼナの叔母ヘレントールよ。本来なら、私からご両親のところに説明と謝罪に伺うところなのに。ごめんなさいね」
「いいえ。ご心配なく。両親には王から直接話をいただいています」
アルフレッドの言うとおり、王の挨拶があれば十分だった。ユーリグゼナはすでにパートンハド家の者ではないから。
ヘレントールは沈んだ表情になる。
「いえ。ユーリグゼナのことではないの。アルフレッドに対する非礼の数々を詫びなければならないわ。破棄するつもりの婚約に巻き込んで、家を出てパートンハド家に入れなんて、横暴もいいところよ。王とアナトーリーはどうかしてるわ。でも…………まさかアルフレッドが承諾するなんて」
「俺に利益があったからです」
彼は顔を赤くして、目線を下げた。ヘレントールは哀れむような、なんとも言えない表情になった。
「ユーリを好いてくれているのね」
「はい」
「期待させるようなことをしたユーリが悪い。でも、はっきり言っておくわ。ユーリはあなたと結婚することはない」
ヘレントールはきっぱりと告げる。彼女の発言に全員が凍り付いた。そんななか、ユーリグゼナは息がしやすくなるのを感じていた。
「うちのユーリは馬鹿なの。本当のことが怖くて言えない。あなたに嫌われたくないのね」
アルフレッドは蒼白の顔のまま、ヘレントールを見つめていた。
「そもそも護衛は学校だけのはずでしょう? 婚約の段階で未成年二人がずっと行動をともにしてるのも、ましてや他国に一緒に行くなんて行き過ぎよ。許可した王は本当に非常識。信じられない」
ヘレントールはいつも通り痛烈なライドフェーズ批判を続ける。だが慣れないアルフレッドは顔を強ばらせていた。
「本来、婚約とパートンハド家の養子は別々の話でしょう? 一緒に考えるから訳が分からなくなるの。────アルフレッド。結婚は関係なくパートンハド家に入りたいって、本気なの?」
彼は緊張した表情のまま返事をした。
「はい」
ガチガチになっている彼を見て、ヘレントールはにっこり笑った。
「それなら、この家の事をもっと知らなければいけないわ。パートンハド家はかなり特殊な家。サタリー家のように真っ当な紫位の人には受け入れられないほどに、まともじゃない。だからまず………」
ヘレントールの口調が厳しくなる。場の全員の意識が彼女に集中するのが、ユーリグゼナにも分かった。
「家に遊びに来なさい」
アルフレッドの深緑色の目は大きく開かれる。ヘレントールは優しく微笑み、薄い茶色の髪がふんわり揺れた。
「アナトーリーはあなたのことを見込んでる。でもアルフレッドだって選ぶ権利があるでしょう? パートンハド家の事を知っても、それでも来たいと思ってくれるなら、心からあなたを受け入れる。あと、家に遊びに来るときはユーリも誘ってあげて。二人きりは駄目だけど、この家で家族として会うなら問題ないわ」
そして彼女はアルフレッドを食事へ誘う。彼が顔を歪ませながら大きく頷くと、フィンドルフとアラントスは準備のために席を立つ。ユキタリスが「器選ぼうよ。何色が好き?」とアルフレッドの手をとる。
ユーリグゼナは身動き一つできないまま、みんなを見ていた。ずっと心の奥で引っかかっていたものが取れたようだった。こんな風に過ごして行けるなら本当に幸せだと思った。
次回「夢見た未来」は9月20日18時に掲載予定です。




