35.味方
投稿遅くなりました。
「なぜ側近の方に私が妃になると話したのでしょう」
「君の言うことをよく聞いただろう? いろいろ説明するより簡単なんだ」
「手抜きのために嘘をついたのですか?」
どうしてこの人物と話をするとこうなるのだろう。ユーリグゼナは、いくらでも続きそうなカミルシェーンとの会話にうんざりしていた。出発前に時間をもらったのは、こんなことを話すためではない。
「お話しがあります。ご存知かも知れませんが、念のためお伝えいたします」
「君が俺のこと好きだって話?」
違う!! と叫びたくなるのを、ぐっとこらえる。
「……空間に影響を与えられるのは、私だけではありません。カミルシェーン様もです」
彼の紫色の目がスッと冷えた。彼女は続ける。
「焦土の地でカミルシェーン様が歌ったとき、感じました」
「言わないか、気づかないか、どっちかなと思ってた」
彼は目を伏せる。どこか優しげな表情になっていく。分かっていて、こちらの出方を見ていたことを知る。
元々彼女に限らず、アナトーリーほどの腕前になると音楽で周りを浄化できる。シノが清掃と部屋の配置換えなどで空間を整えて清浄化することを考えれば、実は特別なことではないのかもしれない。
───ただカミルシェーンが起こしたのは、空間自体が組み変わるような劇的な変化だ。他人が起こした変化を目の当たりにして初めて、彼女はその能力が特別なものだと認識した。
「空間の変化を調査した。本当に僅かだけどペルテノーラは大きくなっている。ユーリグゼナが一緒に弾いてくれたから、ペルテノーラ滞在中君がたくさん演奏してくれたから。どの可能性もあって、完全な証明にはならない。でも君には分かったんだね」
「はい。カミルシェーン様の声が空間を変えていました」
「なるほど……」
彼は難しい表情になり、額を手の平で擦った。しばらくそうしていたが、彼女に顔を向けたときには静かな目をしていた。
「一つ秘密を言うよ。俺の母は異世界の記憶を持つ人間だったらしい。君の父も異世界人だったろう? 関係あるかもしれない」
何も反応できない彼女に、彼は続けて言う。
「母は小さいときに亡くなっていたし、先代の森の王が言っても信じなかった。でも本当だったとすれば合点がいくな」
落ち着いたというより沈んだ表情で話す。
彼女はそんな告白を聞くつもりはなかった。彼自身で空間を拡張できるなら、私のこと放っておいてくれるよね、と願って伝えただけだ。内心、頭を押さえながら話を逸らす。
「ライドフェーズ様も能力があるのでしょうか? 双子ですし」
「……ライドは無いよ」
確信した声に彼女は首を傾げる。実はさっきから違和感があった。セルディーナから聞いた前王女とライドフェーズの昔の話が、カミルシェーンの話と一致しない。
「お母様は前女王ですよね? あれ? さっき小さい頃亡くなったって」
思わず出た言葉に、彼は鋭い目線で彼女を見た。
「何の話?」
噛みつくような口調に震えあがる。失言したことだけは分かった。
「そういえば焦土の地で祖父と元凶が戦ったことも、元凶の正体も知ってたね。誰から聞いた?」
厳しい紫色の目が彼女を捕え続ける。これ以上情報が出せない彼女は、表情を読まれないよう両手で顔を覆う。が、すぐに両手を掴まれ顔を晒されてしまう。声が震えた。
「……ライドフェーズ様です」
カミルシェーンは、にやっと笑った。
「俺が知らないことをライドが知ってるかなあ」
彼女は硬直する。知ってるわけがない。嘘だとバレた……?!
彼は余裕そうに首を傾け、彼女の顔を覗きこむ。
「ほーんと、君はチョロい。嘘が下手。思ってることが丸わかりだよ。シキビルドに向かった人間で、ペルテノーラの昔の話を知っているのはセシルダンテだ。彼は絶対に喋らない。……あと知ってるとしたら人外の者くらい。君に教えたのはセルディーナだね」
彼女は悔しくて悲しくて、顔が歪む。こんな風に大好きな人を裏切るなんて、思いもしなかった。彼は楽しそうに彼女の両腕を引き寄せた。
「教えてくれてありがとう。俺たちが双子でないことは、実は裏では有名な話なんだよ。でも祖父と相打ちになった相手が、前シキビルド王の前世だったなんて初めて知った。妖精界には情報があるんだね。あの女、ほんと得体が知れない」
あまりセルディーナの事を好きではないのだろうか。そんな嫌な予感を打ち消したくて、かすれる声で聞く。
「……戦前、後ろ盾のないセルディーナ様を王の婚約者にして守ったのでしょう? セルディーナ様に味方をしてくださったと聞きました」
彼はふふんと笑った。
「あったね。そんなこと。ライドの暗殺未遂が続いていた頃、当時ライドの養女だったセルディーナを守った。ライドが一生の頼みだって言うから仕方なく。────味方なんかしてない。嫌いだからね。ふわふわとしたことを言うばかりで、現実を理解していない。あの女のせいで、ライドは腑抜た」
不快そうな顔になった彼を、ユーリグゼナは呆然と見ていた。なんて相手に漏らしてしまったのか。泣きそうな気持ちで必死に方策を考える。
「でもシキビルド王になってからのライドはいい。気合い入って打つ手も面白い。潰し甲斐があるよ」
カミルシェーンは、にこにこ嬉しそうだ。この兄弟は一体どうなっているのだろう。彼女は掴まれたままの腕が、気持ち悪くてたまらなかった。
「……どうして機嫌が良くなったんですか」
「君の弱みが分かったから。セルディーナが話を漏らしたことを突いたら、急に力がなくなった。弱っている君は本当に可愛い。付け入りたくなるね。……セルディーナを守りたいのは母親を重ねているから? 償いでもしてるつもり?」
彼はわざと傷つく言葉を選んでくる。分かっていても、彼女は傷つき追い詰められる。彼は満足そうに彼女の耳に頬を寄せ、言葉を重ねていく。
「君をたくさん傷つけたら俺のこと無視できなくなるかな。俺のことばかり考えてくれる?」
「……変、ですよ」
震える声で精いっぱい抵抗する。彼はくすぐったそうな顔で、くすくす笑う。
「まあね。自覚はある。普通でいようと思ってないし、欲しいもののために手段は選ばないんだ」
必死で手を払いのけても、彼は気にも留めない。むしろ面白がっているように見えた。
「君の周りには、魔獣に妖精に平民に能力なし。信頼に値しないものばかり」
カミルシェーンの攻撃は止まない。今度は彼女が大好きな人たちを、もの呼ばわりして否定する。
「能力なしが王女の婚約者なんてあり得ない。平民に教育を受けるのも変。シノが特権階級に嫌われる原因を作ったのは君だ」
彼女が青い顔をしたまま睨む。それを彼は平然と見下ろしながら言う。
「シノは少しおかしい。セルディーナの影響かも知れないが、どうして能力もないのに空間を整えられる? 掃除と物の配置でそんなことできるかな」
「じゃあ、何なんですか?」
「分からない。勘」
「…………また勘ですか」
確証が無いなら、彼独特の揺さぶりだ。これ以上やり込められないよう、気持ちを強く持とうとする。
カミルシェーンは、やれやれと首を振り、彼女の心を振り回し続ける。
「勘だけど、半分確証があるから君に言うんだよ。ベルンのことも嘴を握って確かめた……異世界の香りがする。君の父親はさ。人ならざるものに変えられたんだ。母親と同様、人の理から外れることをした証拠だよ。──人はね。ユーリグゼナ。身に過ぎたことを願えば、必ず不幸になるんだ」
紫色の目は凍るように冷たい。鋭い氷の針で、彼女の心に凍てつく言葉を縫い付けようとする。
(違う!)
ユーリグゼナのなかに、熱いものが湧き上がってきた。
身に過ぎた望みであろうとも、父と母は命を懸けて叶えようとした。それを不幸と、他人に言われたくない。
不意に現れた黒い鳥がパタパタと羽ばたき彼女の周りを飛び、ふわりと肩にとまる。彼女の頬に、頭を擦り付けた。彼女は息をするのが少し楽になる。
味方を得て、力が沸いてくる。黒曜石のような目に強い輝きが戻った。
「望みのため、懸命に尽して何が悪いんですか? 私は父と母が不幸だなんて思いません。人でなくなっても──カミルシェーン様。あなたは母を想うのでしょう? それと何が違うのですか?」
◇◇◇
逃げるように部屋を出た。
外に出た途端、身体の力が抜けきって扉の前にしゃがみこむ。どう抵抗しても、カミルシェーンには勝てない。セルディーナに不利なことを言ってしまったことは帳消しにならない。胸を掻きむしった。
「全敗か?」
立ち上がれないまま、見上げた。声の主を睨む。アクロビスは片眉を軽く上げるが、さらりと流してしまう。
「よく父王に向かっていけるな、と感心する」
アクロビスは手を差し伸べてきた。振り払うのも違う気がして、手を取り引き上げてもらう。
ユーリグゼナを時空抜道まで案内する役目は彼が負っていた。手は離されず、そのまま彼女に付き添い歩く。
「あの、調子が狂います。いつも通りがいいです」
王女の所作が崩れ目が泳ぐ。彼はチラリと父王譲りの綺麗な紫色の目を向ける。
「俺は、ユーリグゼナを認めている。隣国の王女として友好的に付き合っていきたい。それだけの価値がお前にはある」
「はあ……」
打算か、と小さく息をつく。でも、いちいち突っかかって来られるより、遥かに良い。
「ペルテノーラで父王は無敵だ。誰も逆らったりしない。それなのにお前は何度も何度も怒らせて、しかも負けてばかリだ…………」
「悪かったですね」
別に逆らうつもりも、怒らせるつもりもないのに、気が付けばこちらの意見は通らず、敗退している。ライドフェーズの「カミルシェーンには絶対に近づかないように」という言葉が頭の中を反芻する。あんなに注意されたのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
城の出口が近づき、外の風がアクロビスの銀髪を揺らし始める。
「学校で俺に立ち向かってくるユーリグゼナは、憎たらしくて凛々しくて。それでいて綺麗だと思っていた。でも父王に叩き潰されて弱ったお前は…………ひどく可愛い」
弱って可愛いなんて、趣味が悪い。さすが親子だ。
「守ってやりたくなる。俺くらいは味方になってやる」
予想外の言葉に歩みを止めてしまった。見上げると彼が真剣な眼差しで見ていた。
「俺はもうすぐ王位に就く。ペルテノーラは成人と同時に継承するんだ。父王は若いし、力もあるから側近が引き留めている。それでも卒業後一年か二年で代替わりするだろう。そのときシキビルドにユーリグゼナがいたら心強い。でも本当は、側にいてくれたら、と思っている」
彼は手を取ったまま、足元に跪いた。矜持の高い彼からは予想できない動きに、彼女の頭から血の気が引いていく。彼は彼女を見上げて、張りのある声で言う。
「ペルテノーラ第一王子アクロビスは、シキビルド第一王女ユーリグゼナに結婚を申し込む。我が伴侶としてともに生きて欲しい」
目をつむった彼の唇が、彼女の指先に軽く触れる。彼のさらりとした銀髪が手首にかかる。ユーリグゼナは痺れたように動けなくなっていた。声がかすれる。
「断るの、分かってますよね」
「ああ。父王の牽制になれば十分だと思って申し込んだ。だが」
そう言いながら、微かに頬を染めた彼は立ち上がり、彼女の顔を覗き込む。
「なんだ。期待して良かったんだな。本気だから受けてもらって構わない」
アクロビスは、彼女の赤い頬に手を添えようとする。慌てて後ろに下がると頭が誰かにぶつかる。振り返ると、一輪の花を持ったナンシュリーがにこりと笑う。彼女の手を取り花を渡すと跪く。
「ペルテノーラ第二王子ナンシュリーは、シキビルド第一王女ユーリグゼナに結婚を申し込む。我が伴侶としてともに生きて欲しい」
アクロビスの台詞をそのままだ。その雑さに頭が冷え、ナンシュリーから素早く手を引き抜く。
「ご好意嬉しく思います。後ほどシキビルド王より正式にお断りのご連絡をいたします」
「返事早! まだだよ。口づけするところまでが求婚の儀式じゃないの?!」
ナンシュリーは悪びれもなく不服そうに言い募る。愛も真剣さもない求婚だったが、敬意を込めて黙っていることにする。
「全然態度が違う。もしかしてアクロビスの求婚は受けるわけ?」
ユーリグゼナは次第に顔が赤らんでくる。
「いえ。お二人ともお受けできません。初めて正式にいただいたので、ちょっと動揺したというか」
そう言いながらますます赤くなる頬を片方の手で覆い隠す。
「自分にこんな普通の女の子みたいなことが起こるのが、信じられなくて。すみません。どう対応するのが普通か分からないのです。ちゃんと王からお返事いたします。この場の不作法、本当にごめんなさい」
何を言っているのかだんだん分からなくなって、目が回ってくる。すぐ側からナンシュリーの声が聞こえた。
「ふうん。何とも可愛い反応してくれるね。勇ましいときと大違い」
「ナンシュリー。何人目の求婚だ?」
「五人目ー。でもちゃんと本気。父王に挑む見上げた根性を心から尊敬してる。面白いから味方してやるよ。父王の邪魔するのはアクロビスより得意だし」
予想通りの軽さだ。ちょっと気が楽になって顔を上げる。
「二人ともありがとう。味方になろうとしてくれて嬉しいです」
ユーリグゼナは恥ずかしそうに黒曜石のような目を細め、唇を軽く嚙んだ。
きゃー誰か!! 王が──!!
遠くから女性の叫び声が聞こえ、城内が一気に騒がしくなった。
慌てて城の外へ向かおうとするユーリグゼナの肩を、ナンシュリーが押さえる。
「ユーリグゼナ。何したの?」
彼女は気まずそうに答える。
「言い返したところ、急にその…………抱きつかれて」
王子二人はそれぞれ「うわー」「あちゃー」と頭を抱えた。彼女の声は限りなく小さくなる。
「…………気がついたら、その…………蹴り倒していました」
アクロビスは深く頭を下げた。
「父王が失礼した。その……殺してはいないのだろう?」
「死んでも自業自得じゃない? 十八歳も下の女の子に見境がなくなったら、変質者の仲間入りだよ」
アクロビスとナンシュリーの言葉に、彼女はぶんぶん首を振る。
「殺してません。でもしばらくは立ち上がれないと思います。やり過ぎました。すみません」
次回「母の側人」は9月13日18時に掲載予定です。




